2019年05月14日

モンジュールさんのアパート

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ボナニーさんのお父さんが亡くなり、モンジュールさんたちが住んでいたボナニーさんの実家から出ていかなければならなくなったことは、以前、紹介したような気がします。

ボナニーさんのお父さんはラッシャヒで初めてバス会社を興した実業家でした。大きな池付きの一戸建ての2階にボナニーさんの両親、1階にモンジュールさん家族が住んでいました。

ラッシャヒ大学の学生でボナニーさんの家庭教師だったモンジュールさんは、この家でボナニーさんに勉強を教えていました。若いモンジュールさんとボナニーさんは結婚し、この家で、ずーと暮らしてきました。

しかし、お父さんが亡くなり、今まで両親と暮らしていなかった長男が、この家の相続を主張し、結果的にモンジュールさん家族は長年住み慣れた両親の家から出ていくことになりました。バングラデシュでは、いくら、一緒に住んでいなくとも、家は男がほとんど無条件で相続することになっているのだそうです。

現在、長男はこの家に住んでいます。今まで一度も長男に会ったことはありませんし、存在さえ知りませんでした。医者になった妹とは会ったことがあり、てっきり、ボナニーさんと妹の二人姉妹だけだと思い込んでいました。

モンジュールさんたち家族は、Bhadra Morというロータリー式交差点の近くの比較的新しい市街地に立ったアパートの2階に住んでいます。

今回、総選挙ということもあり、モンジュールさんのアパートに居候させていただくことになりました。

ボナニーさんの実家には、老いたお母さんが住んでいますが、長男は面倒を見ていないようです。その様子を、後日、紹介します。



himajintaro at 21:45|PermalinkComments(0)生活 | 文化

2019年05月12日

マンゴーのお菓子アンビータとボナニーさんの嘆き

モンジュールさんと悪友が打ち合わせで部屋を外している間、モンジュールさんの奥様ボナニーさん(1枚目の写真左)が面白い手作りお菓子アンビータ(写真2枚目と3枚目)を出してくれました。

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マンゴーとミルクと砂糖を混ぜて大きく丸く伸ばし、太陽の光で何日も乾かして作るのだそうです。程よい甘さでマンゴーの香りのする美味しいお菓子です。バングラデシュで初めて食べたお菓子です。

モンジュールさんたちがいないところで、ボナニーさんは私につぶやきました。

「長女のミディラがイギリスに留学し、二女のポロマ(1枚目の写真右)がノルウェーの留学から帰ってきたと思ったら、来年、日本に留学してしまう。家族は一緒に暮らすことが幸せなのに、みんなバラバラの生活になることは悲しいことです。」

ボナニーさんは動物学者でラッシャヒ市にあるバングラデシュ最古の大学で教鞭をとっています。以前は、他の地域にある大学の学長をしていました。単身赴任をしていましたが、家族と離れてることが辛くて、早々にラッシャヒに戻ってきました。

彼女は夜なべして娘たちの服を縫ったり、お菓子を作ったりしていたのを覚えています。学者である以前に二人の娘たちのマザーです。

バングラデシュの母親は、子供に対する愛情が深いと聞きました。子供に対する愛情に国籍は関係ないと思いますが、バングラの母親の溺愛は新聞によく載ることがあります。

ポロマはノルウェーで差別や人間的な軋轢に遭い、志半ばでバングラに戻ってきました。そして、ボナニーさんの嘆きとは関係なく、この4月に岡山大学に留学しました。



himajintaro at 11:45|PermalinkComments(0)女性 | 生活

2019年05月11日

ベンガル人の出稼ぎとインド人の出稼ぎ

東京葛飾区堀切に住む下町のベンガル人・橋本羅名(らな)さんの投稿を掲載します。

少し長くなります。

バングラには世界中の外国からの出かせぎ送金があります。1年間で135億3000万ドルにもなります。これはバングラ政府予算の収入のかなり大きな割合を占める金額です。1500万人が海外で働いてます。人口1億7000人ですから、かなりの大人数です。

しかしその代償は大きく、18000人以上が毎年事故や病気で故国に遺体となって帰ってきます。私は以前ダッカの空港で遺体が飛行機から降ろされるのを見たことがあります。なんともやりきれません。

一方、一部の人たちは、病院に行くにも、シンガポール、タイ、インドの大病院に飛行機で通います。


最近、バングラの新聞Daily Industry をみておどろきました。なんと在バングラのインド人(約100万人)のインドへの送金が1年で100億ドルもあるのです!以前からあったそうですが最近かなりふえました。

100万人もインド人がバングラに住んでいるにも驚きますが、その人数で100億ドルもバングラからインドに送金していることも驚きです。

新聞には、彼らインド人のバングラでの職業は、アパレルやIT産業であると書いてありますが、私が現地の知人から聞いたところでは、かなりのインド人がバングラ機関の中枢に入り込んでいるということです。警官や検事、教員など。

また違法労働で働いたインド人はインドに上記の送金(違法)をしています。ふつうのバングラ人は就職するにも大変なのに、多くのインド人がこのようにバングラで職を得ているのが、どうにも納得できません。

現ハジナ首相は親インド政権です。

私は昭和63年に日本に働きに来るました。学生で来日しましたが、アルバイトでかせいだお金はバングラにせっせと送金しました。私の家族(両親と9人兄弟、他に2人は独立戦争時死亡)は大変助かりました。

現在私は日本で家族にめぐまれ、働いています。日本は努力すれば成功する社会です。

それに比べ、バングラデシュは...
わがふるさとバングラデシュの現状を非常に心配します。


himajintaro at 05:43|PermalinkComments(0)貧困 | 政治

2019年05月10日

総選挙の真っただ中、バングラへ

今回は、運悪く、総選挙の真っただ中のバングラに渡航することになりました。悪友から渡航の誘いを受けた昨年夏には、選挙の気配が全くなかったのですが、渡航近くになって、選挙があるので移動が制限されると聞かされました。

モンジュールさんによるとシュンドルボンの観光も考えていたそうですが、本来の渡航目的が総選挙による影響をもろに受けることになり、断念したようです。

以前の渡航でも総選挙と重なったことがあります。その時は、二大政党のアワミリーグとBNP(バングラデシュ・ナショナリスト・パーティー)が拮抗していましたが、投票日以外は何も影響されませんでした。

国中に洗濯物を干しているように、選挙ポスターがぶら下がっている光景はバングラの風物詩とも言えるでしょう。

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ラッシャヒ大学の正面玄関にまで選挙ポスターが貼られていました。

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バングラの選挙ポスターの特徴は白紙にモノクロで印刷されています。日本は、カラー写真で候補者の顔写真が大きく印刷されています。日本のように指定された場所にしか貼ることができないのと異なり、ありとあらゆるところに貼られているのが特徴です。日本のようにカラー印刷にしたら、金がかかり、とても洗濯物のようには干せないでしょう。

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洗濯物のほかに、チラシが配られています。上下の写真は、子供たちがもらっていたチラシを借りて写したものです。上は現政権アワミリーグの候補者で党首で首相のシェイク・ハシナの写真が印刷されています。

下は最大野党のBNPの候補者で党首で収賄容疑で収監中のカレダ・ジアの写真が印刷されています。

バングラデシュは文盲の人が多いので、日本のように投票用紙に候補者の名前を書くのではなく、候補者のマークを選んでゴム印でしるしを付けるという投票になります。

上の候補者は稲、下の候補者は舟がマークになり、このマークが書かれた投票用紙にゴム印を押します。

選挙結果は、与党アワミリーグの圧勝ということになりましたが、いろいろ、波乱を呼んだ選挙になりました。

そして、この選挙結果が私たちの渡航スケジュールを大きく狂わすことになるとは、渡航終盤までわかりませんでした。

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himajintaro at 06:53|PermalinkComments(0)政治 

2019年04月03日

ダッカ・ラッシャヒ便

ラッシャヒに向かうUSバングラエアーラインの出発までロビーで待っていました。たくさんの国内線の発着がありますが、行先を示す案内標識がベンガル語表記なのでわからず、係員が盛んに行先を呼んでいるのを聞いて、自分たちが乗る飛行機の確認をしました。



ダッカ空港の国内線のターミナルにはボーディングブリッジはなく、エプロンに駐機している機材までバスで送り迎えになります。

今回の機材はボンバルディアDHC8-Q400でした。全日空が徳島空港で前輪が出ず、胴体着陸をしたことで一躍有名になった機種です。

この機種に搭乗するのは初めてでした。ターボプロップのプロペラ機で、静かでジェット機並みに早いと言われている機種で、一度は乗ってみたいと思っていましたが日本国内では乗るチャンスがありませんでした。



航空機を撮影することなど考えられなかったことですが、みんな記念撮影していました。



預け荷物は機体後部の貨物室に一つ一つ運び込まれていました。



単通路のナローボディ型の航空機に乗るのは羽田・山形を飛ぶエンブラエルのリージョナル・ジェットERJ-170以来のことです。今は90人乗りのERJ-190が飛んでいますが、ERJ-170は観光バスに羽が生えたような小さなジェット機という感じがしました。

この便は、ほとんど満席の状態でした。安い列車もありますが、ダッカ・ラッシャヒは6時間もかかります。プロペラ機では飛んでる時間は40分くらいでした。バングラデシュも経済的に豊かになり、時間をお金で買える人たちが増えたようです。

最近、ダッカ・ラッシャヒ間にノンストップの列車を走らせるというニュースがありました。どれだけ、スピードアップできるか、甚だ疑問です。

離陸はジェット機のような急な上昇ではなく、ふぁっと浮かび上がったという感じでした。昔乗ったことがあるYS-11とは全く違ったイメージでした。



上空は雲の絨毯。地上からは曇っている様子は全くないのですが、これは乾季で乾燥した土の埃が上空に舞っている状態です。土埃が雲に見えるのです。冬、スパイクタイヤが全盛期の時代に山に登ると同じような光景が見受けられました。



飛行機はガンジス川があるインド側(南側)からラッシャヒの町を北上し、ラッシャヒ空港に着陸します。



前と後ろの両方のドアから乗り降りできました。



久しぶりのラッシャヒ空港です。自分たちで降り立ったのは初めてのことです。今回、飛行機に関して驚いたことがたくさんありましたが、特に運行時間が正確になっていることに驚きました。私たちがダッカから30分遅れで飛び立ちましたが、ラッシャヒには10分遅れで到着しました。また、毎日、ラッシャヒ上空を飛んでくる飛行機は、ほぼ定刻に飛んできました。



空港の外にはモンジュールさんたちが迎えに来てくれました。それと同時に私服の警察のセキュリティーサービスのオッサンも待っていました。何か、いかがわしい、本当に警察官?と思わせるメンツでした。私たちのパスポートは写メされました。

今回、バングラの総選挙と重なり、抵抗勢力からの外国人警護という名目で、実際は選挙に関わってもらいたくないという思惑が透けて見えました。警護とは言っても、渡航の最初のころは、モンジュールさんに様子を確認するために電話をかけてくるだけのようでした。全く、警護されている実感はありませんでした。



himajintaro at 21:27|PermalinkComments(0)交通