2006年05月16日
モンジュールさんちの娘たち
真ん中の子は、モンジュールさんの娘ではない。この当時は、メイドの子供だと聞いていたが、どうもメイド見習いのようである。モンジュールさんの家では、地方の貧しい子供をメイド見習いとして住み込みであずかり、自分の子と一緒に読み書きを教えている。
自分の母親がそうだったように、メイド見習いの子も自分の子供も同じように育てている。学校から帰ってきたモンジュールさんの娘たちは、一緒に遊んでいる。右が姉のミドラ、左が妹のポロマである。
「ミドラちゃんは、勉強がよくできるが、ポロマちゃんは、勉強がきらいで遊んでばかりいる。」と、いつもモンジュールさんは笑っていう。しかし、この子たちが勉強しなさいといわれているのを見たことがない。
2006年05月15日
モンジュールさんちのプール
正確には、モンジュールさんの奥さんのお父さんの池
邸内は塀がめぐらされ、すぐ内側にはヤシの木が植えられている。初めて、モンジュール邸にいったときは、池は誰か他人の持ち物であるのかと思っていた。池では、魚を飼っており、定期的に魚を捕る業者が数人で網を使って囲い漁をして魚を買っていく。一度だけ、釣りをしたことがあるが、友人(悪友でない)が大きな魚を釣り上げ、その晩のおかずになった。
写真下にダリアが見える。庭は池に比べるとそんなに広くはないが、パパイアがあったり、スターフルーツがあったり、熱帯産のプラムがあったり、毎回、違う花が植えられており、楽しみな場所の一つである。
2006年05月14日
モンジュール邸
最初は、アロアシャ学園の創始者・モンジュール・ホサイン邸
モンジュール邸といっても、モンジュールさんの持ち物ではなく、奥さんの実家である。2階に両親が住んでいる。生計は別々であるが、自由に行き来しており、サザエさんでいう「マスオさん」に近い。
奥さんのお父様は、ラシャヒで一番最初にバス会社を始められた実業家である。大きなバスターミナルが家の近くにあり、道路を挟んで向かい側が駅である。交通の要所の近くに居を構えて、バス事業をおこなっていた。近年、ラシャヒ市街地の北側に国道のバイパスができて、そちらにバスターミナルが移るという。また、昨年から駅舎の改修工事が行われていた。
お父様が実業家だけに、敷地も大きい。ヤシの木が何本も茂り、25mプールが2つ分あるような池もある。この家には、何回泊まったか数え切れない。
2006年05月13日
レンガ割りおばちゃん Part2
なぜ、レンガを割っているのか。写真をよく見るとわかるように、割ったレンガの大きさが山によって違う。
バングラデシュでは、大河の最下流にあることと、近くに山がないため、石が取れない。このため、砂利の代わりにレンガを砕いたものを使っている。ある意味、砕石である。この砕石は、何に使われるかというと、道路の路盤材(アスファルトの下の砂利の部分)やコンクリートの中の砂利代わりに使われる。
当然、硬い石ではないため、アスファルトの舗装道路は、2、3年で穴があき、ボコボコになる。このため、街中のどこかで、必ず、道路工事をしているのを見かける。最近は、国道などの幹線道路は、インドなどから輸入した砂利や砕石を使って工事をしており、以前より、耐用年数が増しているようだ。