2006年02月17日

パパイアの少年

バスが停車したときに、偶然目があった少年。

竹カゴを頭に乗せ、パパイアらしき果物を運んでいた。パパイアはバングラでは果物ではなく、野菜である。このため、青いままで食べることが多い。黄色く熟して甘いものは、うまくないと言って食べない人がいると聞いたことがある。

バングラデシュの貧しい家庭では、子供たちが働き手である。この少年は、箱のようなものも運んでいたが、家の手伝いなのか、それとも、運ぶことが仕事なのか、停まったバスや車を相手の売り子なのか。このときはわからなかった。


2006年02月16日

国道沿いのマーケット

バスが止まって渋滞に巻き込まれると、必ずと言っていいほど、マーケットがある。

ここは、バスも停まるし、トラックの出入りもある。人も無数にいれば、客待ちのリキシャ(人力車の前に自転車を付けた乗り物、語源は人力車とも、ほとんど中国製)やテンプー(オート三輪型乗り合い)がひしめきあい、例のけたたましいクラクションの応酬が渋滞を一層憂鬱なものにさせる。

写真をよく見ると、軒先に牛の枝肉がぶら下がっている。バングラデシュはイスラム教国であるので、豚肉は食べないので、豚肉はほとんど売っていない。最近、飼っている豚を見たことはある。豚肉は、冷蔵庫がないとすぐに腐る。牛肉は、干し肉にできるように腐りにくい。

すぐに腐る豚肉を食べないイスラムの教えも理にかなっている気がする。

(精肉店を営む叔父貴が「肉は腐る一歩手前がうまい」と言っていたが・・・・)



2006年02月15日

バングラ風景(水田)

バングラデシュの国土のほとんどは大きな2つの河のデルタ地帯に含まれる。ミャンマー(ビルマ)に近い東側は丘陵地帯であるが、今まで一度も行ったことがない。ここは紅茶の産地で、チャイと呼ばれる、水半分・牛乳半分の甘くて美味しいミルクティー用の葉が取れる。

バングラデシュは、洪水の国と言われているが、日本のように、急な増水ではなく、日に日に水位が上がり、ダッカの街の中に大型船が乗り入れることができるほど増水することが度々日本の新聞に載ることある。

地方を結ぶ国道は、洪水から道路を守るため、盛り土を高くしている。さしずめ、日本の高速道路のような感じである。写真は、乾季のため、水田になっているが、雨期や雨期の終わりは、広大な湖にしか見えない。

最近、乾季は水不足が起きている言われている。乾季には、ポタリとも雨が落ちない日が3ヶ月は続く。

2006年02月14日

恐怖の道路事情

エアコンバスでの旅は、快適かと思われた。
しかし、ダッカの町を走り出して、すさまじい様相呈してきた。

速度の速い車が遅い車に対して、けたたましいクラクションの洗礼を浴びせかける。客の乗り降りをして停車しているバスに対しても容赦ない。日本のようなバス停らしきサインは、首都のダッカでも、メインストリートのごくわずかの場所にしか見あたらない。

ダッカの渋滞も尋常ではない。一時期のタイの首都バンコクの朝の通勤ラッシュが、一日中続く。人は平気で道路を横切るし、クラクションを鳴らしたい気持ちもわからないでもない。さらに、多少ぶつかったとしても、ののしり合うだけで、それで、さようなら。このため、車はみんなボコボコである。日本なら、間違いなく殺されるであろう。

写真は、橋を渡ってくる、牛車とトラックを待っているバスの車内から撮ったものである。ダッカの市街地を抜けると、バスは猛烈なスピードで国道を走り抜ける。その際、先に走る遅い車に遠くからクラクションで牽制し、追い越しをかける。対向車が来ても追い越しをかけるので、とても見てはいられない。時には、わずか6メートルの幅の国道に車が3台(追い越される車、追い越す車、対向車の3台)横並びになることがある。
恐怖におののく、バスの旅である。

2006年02月13日

ダッカのバス停から272kmの旅の始まり

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1997年2月1日 悪友にだまされて、初めて、黄金のデルタ・バングラデシュへ

深夜に、ダッカ・ゼア国際空港に降り立ち、ダッカ市内のホテルに泊まった。しかし、一晩中、蚊に悩まされ、ほとんど眠れなかった。

早朝、うとうとしていると、突然、町中のスピーカーから流れる、けたたましい生オケというかゴスペルのような男性の歌に完全に目が覚めてしまった。

ここは、イスラムの国なので、ゴスペルはあり得ないだろうから、コーランなのか、このときは全くわからなかった。

写真は目的地ラシャヒ市に向かう長距離バスの営業所。
このバスはエアコンがついているので、現地の人はエアコンバスと呼んでいた。これから、恐怖の旅が始まろうとは、このときは、思いもつかなかった。