2006年02月
2006年02月28日
アロアシャ学園の玄関
日本でこの学校を支援しているグループから、衣類などの支援もあるようだ。モンジュールさんの行動力を支えようと山形県鶴岡市の人たちが支援グループを立ち上げ、悪友は、そのグループの活動家であった。
玄関の入り口に対になった見たことのある植物(写真)があった。これはクロトンと呼ばれ、日本でもスタンダードな観葉植物で、コンテナガーデンにもよく使われる。別名「葉変木」とよばれ、色も黄色あり赤あり様々である。しかし、こんなに大きくなった玉物(造園用語:玉状に仕立てられた植木)のクロトンは見たことがない。これから、おもしろい植物がたくさん見受けられると思うと楽しみであった。
2006年02月27日
2006年02月26日
本当に作ってしまった学校
ある大学の先生のお宅の1階を間借りして、小学校の授業が始まった。お宅は広い庭を持つ、マンションである。日本では、ビルの住まいをマンションと呼んでるが、間違った呼び名であり、広い敷地の大きな家を本来マンションと呼ぶ。周りに塀がめぐらされ、庭には、ヤシの木が植えてある。いわゆる、中流階級のお宅である。日本で言う中流は、意識だけの勘違いである。
バングラデシュの小学校は、5年制である。ここ、アロアシャ学園では、5年間で小学校と中学校の勉強をするという。バングラデシュでは、小学校は無料と思われるが、教材さえも買えない貧しい子供たちが、この学校で学んでいる。
写真の車は、元々、山形県の鶴岡市で走っていた車で、心ある「庄内おばこ」(庄内美人かな!?)がモンジュールさんのためにプレゼントしたものである。
2006年02月25日
バングラの光の天使
この当時、バングラデシュの北西部の町ラシャヒ市にあるラシャヒ大学の助教授。専門は育種学。バイオテクノロジー。植物の成長点培養で新たな品種を作る研究がお仕事。
山形県鶴岡市にある山形大学農学部に博士号取得のため留学なされた。留学の約4年間、一度も家族に連絡しなかったという強者。帰国直前に、貧しい子供たちのための学校を作りたいと言って帰国。
普通、開発途上国の留学生の10人中10人が学校を作りたいと言って帰るとか。しかし、ほぼ10人が作れないと言われている。おまけに、その言葉に信用した日本人が、募金活動して集めた金を、まんまとその留学生にせしめられてしまうことが大半であると言われている。
しかし、この人は、本当に作ってしまった。
その学校の名は、「アロアシャ学園」。アロアシャはベンガル語で、「希望の光」を意味する。