2008年07月
2008年07月31日
バングラ最大?のガス田
このところ、ほかの活動のブログも書かなければならなくなり、本来の珍道中がおろそかになってきた。
シレットに延びる鉄道を散々歩かされて、いやになった頃、写真のような場所に出くわした。
写真を撮ろうとしたら、道路に制服姿の男性が一人立っていて、何かをわめいていた。学生が看板の英語を読んだ。「restricted area」立ち入り制限区域、「no entry without permission」許可なく立ち入ることができない。道路沿いに、長ーく、フェンスが立っていた。
なるほど、これと写真撮影とどう関係があるのだろう。写真を撮ってはいけないと一言も書いていない。もう一枚とろうとすると、学生と一緒に例のオッサンもわめいている。わかったとジェスチャーして、その場を立ち去った。
ここは、バングラデシュ最大?の天然ガスのガス田であった。最大かどうかはわからないが、モンジュールさんの話によると「何年か前に、シレットの町が天然ガスの事故で大きな爆発があり大惨事になった。世界中にこのニュースが流れたよ。」と言う。
写真の奥に地下から汲み上げている天然ガスの白いパイプが見える。
シレットの近くのホーリープールに天然ガスが自噴している場所があり、自然発火で燃えている場所があると言うが本当か?
2008年07月28日
線路は続くよどこまでも
ラワチャラ国立公園の中を鉄道が走っている。
国立公園からの帰り道、誰かが線路を歩いて30分ぐらいすると駅があると言い出した。みんな、線路を歩き出した。
子供にとっては、線路は魅力的な遊び場だった。レールの上をバランスをとりながら歩くことはたまらなく面白かった。しかし、今の日本では線路の上を歩くことなどできない。いつ、列車がくるかわからないし、下手をするとはねられてしまう。
この線路は、ダッカからシレットに向かう路線である。30分すぎても、1時間すぎても、いっこうに駅も町も現れない。だんだん、日は傾いていく。途中から、近づいた道路の方を歩き出した。途中、野生の猿を見ることができた。ブラウン色の野生の猿だった。この国立公園では猿が見られると聞いていたが、ラッキーだった。
2008年07月19日
国立公園のゴミ
ラワチャラ国立公園の中で目立ったのがゴミ。
ポテチなどのスナックや菓子の石油系包装紙が特に目立つ。
ゴミが目立つのは国立公園に限ったことではなく、バングラデシュの国じゅう、ゴミだらけである。1997年の渡航以来、ここ、一、二年で特にひどくなってような気がする。
バングラデシュは、世界の国々の中でも、いち早くレジ袋を全廃した国であり、排気ガス規制で乗り合いのオート三輪はツーサイクルエンジンから天然ガス車に切り替えている。
黒いレジ袋が空中を漂い、ツーサイクルの焼けたオイルの臭いでツンときていたダッカは見違えるようにきれいな町になった。ディーゼルエンジンのバスから同じディーゼルエンジンの列車に旅行客は足を切り替え始め、地球温暖化対策への第一歩を踏み出したかに見えた。
徐々に、徐々に、バングラ国民の生活は良くなってきたのであろうが、その代わり、線路沿い、観光地、都市部にゴミが集中し始めた。それも、石油系のゴミが。
日本の公共的な場所にあって、バングラの公共的な場所にないもの。それは、ゴミ箱。バングラには、誰でもが普通に捨てるゴミを回収するシステムが、まだない。
2008年07月16日
ラワチャラ国立公園の少数民族
ラワチャラ国立公園の中で少数民族の村があった。小高い丘の上に集落を作っていた。村に通ずる斜面にパイナップルをたくさん植えていた。パイナップルが育つと言うことは、土が酸性土、日本で言う赤土に近い土である。
家は、土壁で出来ていて、壁の表面は漆喰のような細かい土で仕上げられていて、見た目には決して粗末な家ではなかった。
少数民族の子供たちである。我々と同じモンゴリアンであることはすぐわかる。ベンガル人グループの突然の訪問者の中に、同じモンゴリアンがいたことは、この子たちにも驚きのことであろう。予想に反して、この写真の子供たちは、人なつこい子供たちであった。
この写真の家族たちは、我々に距離を置いているのが見て取れた。タイの少数民族が写真を撮ると金を要求するのを見ていることと、ベンガル人のように写真をとってもらって喜んでいるのとは訳が違うとの思いから、出来るだけ、特に大人がいるときは写真は遠くから望遠で撮ることにした。この人たちには、この人たちのプライドもあるだろうから。
高床式の建物。倉庫にでもしているのか。多分、このあたりになると、穀物を食べる野生の動物がいるだろうから、こういった高床式にしている可能性がある。作り的には、ネズミ返しになっているような気もする。