2009年05月
2009年05月31日
2009年05月30日
アロアシャ学園にグランドと体育館を
ラッシャヒ大学の先生であるモンジュール・ホサイン氏がバングラデシュの建国は貧しい家庭に生まれ育った子供たちの教育しかないと始めたアロアシャ学園。
仲間の裏切りや運営費捻出のための農業の失敗など、幾度かの困難を乗り越え、経営的には、ようやく、独り立ちできるようになった。
しかし、設備的には、まだまだ十分とはいえない。子供たちへの教育環境をもっと充実させたい。3階建ての立派な校舎は完成したもののグランドといえるほどのものはない。
上の写真は、学園前の中庭であるが、学園の農場で収穫される農作物の集出荷場と兼用のため、床がコンクリートになっている。
学園の裏側(北側)がまだ土地があいている。できれば、この土地を大きく買収してグランドと体育館を造りたい。
9.11の年の暮れ、友人らとアロアシャ学園を訪れたとき、ソフトバレーボールを持って行った。友人は大学でバレーボールをしていたことがあるので、子供たちにバレーボールを教えた。
このとき、一緒に遊んだ子供たちのなかで、一際背が高く、いつも笑顔の女の子ラッキーがいたことが強く印象に残っている。
そのラッキーは、アロアシャ学園を卒業後、貧しいながらもハイスクールに進み、バングラデシュのバレーボールのナショナルチームのメンバーになった。
教室での勉強だけではなく、知育・体育・徳育の視点からアロアシャ学園の教育を行い、心豊かで、たくましい子供たちを育てたい。できればより多くの様々な選択肢を持った子供たちがバングラデシュ社会へ飛び立てるようにすることがアロアシャ学園の使命と考えている。
2009年05月26日
モンジュールさん父娘
モンジュールさんの娘、ミデュラとポロマ。ラッシャヒ大学の先生であるモンジュールさんと女子大の先生であるボナニーさんの間に生まれた二人は、ともに、ラッシャヒでは1,2位を争うほどの秀才であるが、全く、そんな感じをさせない普通の女の子である。
長女のミデュラはダッカの大学でアーキテクチャを専攻している。将来は建築家を目指しているが、ラッシャヒに帰りたいという。モンジュールさんは、バングラデシュの建国には貧しい子供たちに教育が必要であると考えて、学校を作ったが、彼女は父の意思を受け継ぎたいという。
次女のポロマは、医者になりたいという。ボナニーさんの妹が小児科の医師である。多少なりとも、その影響は受けているかもしれない。ただ、長女のようにモンジュールさんの意思を受け継ぐため、モンジュールさんと同じバイオテクノロジーの道も考えているようである。
親の背中を見て子は育つとはいうが、ミデュラもポロマも親孝行である。しっかり、モンジュールさんの背中を見て育った。それにしても、羨ましい。モンジュールさんが娘たちを優しく育て上げたことが写真を見ればよくわかる。
2009年05月24日
豚インフルエンザと無関係かバングラデシュ
久しぶりにブログを書く。
先週は、何かと精神的に忙しかった。今週も、同じ。
今年も、年末にバングラに渡航しようと思っていたら、豚インフルエンザで日本が大騒ぎになってしまった。夏は、下火になるだろうが、冬になると、また、大騒ぎするのか。9.11の時と同じように、年末年始の航空運賃が安くなるだろうと皮算用をしている。
来月、アロアシャ学園のアリ校長を日本に呼ぶために悪友が手続きを始めている。3ヶ月ぐらい日本に滞在し、帰国の時、悪友が一緒に渡航する予定である。
バングラは、まだ、豚インフルエンザの感染者の発表がない。鳥インフルエンザの時も、あまり、騒ぎになったとは聞いていない。患者が多数存在しても、情報が正確に伝わらないのが途上国の常ではある。
3月8日の日記に、コンソメスープが鳥インフルエンザのせいで売らなくなったと書いたが、豚インフルエンザでは、元来、豚を食わないイスラム教徒が多いバングラなので、豚原料の食品が売れなくなったということはないのであろう。
今年も豚インフルエンザに関わらず、渡航することになるだろう。
2009年05月17日
田植えの話
今日は全国的に雨。以前から手伝いに行く予定をしていた「田んぼの学校」の田植えが翌週に延期となった。
9年前に一度だけ、手伝いに行ったことがある。手伝いと言っても、子供育成会の子供や保護者に体験をしてもらうのがメインなので、子供や親のそばで植え方を教えたり、苗を手渡したり、植え残したところに補植することだけである。
不思議なもので、延期すると雨はたいして降らなくなるのである。子供や大人がカッパを着てまでするには、風邪をひいたりするので、無理があるだろうということで延期になったのかもしれない。雨は上がり始めた。
本来の田植えは、稲刈りと違って、多少の雨が降ってもする。むしろ、水が欲しい時期だけに、雨は邪魔ではあるが、歓迎するむきがある。
バングラデシュの田植えは、乾季の時期になる。家族総出で田植えをしている光景が普通見られる。日本は機械化が進み、家族総出で田植えという風景は、あまり見かけなくなった。昔は、田植え休みとか稲刈り休みとかがあったそうだが、経験がない。
今、自分の次男が悪友の家で農業研修生として、6条植えの田植機を操り、田植えをしている真っ最中である。一年で一番忙しい時期で、朝早くから日が暮れるまで農作業を繰り返している毎日である。悪友の父は、多忙を極めると、毎年、腸捻転で倒れるそうだが、今年は大丈夫だろう。
9年前に一度だけ、手伝いに行ったことがある。手伝いと言っても、子供育成会の子供や保護者に体験をしてもらうのがメインなので、子供や親のそばで植え方を教えたり、苗を手渡したり、植え残したところに補植することだけである。
不思議なもので、延期すると雨はたいして降らなくなるのである。子供や大人がカッパを着てまでするには、風邪をひいたりするので、無理があるだろうということで延期になったのかもしれない。雨は上がり始めた。
本来の田植えは、稲刈りと違って、多少の雨が降ってもする。むしろ、水が欲しい時期だけに、雨は邪魔ではあるが、歓迎するむきがある。
バングラデシュの田植えは、乾季の時期になる。家族総出で田植えをしている光景が普通見られる。日本は機械化が進み、家族総出で田植えという風景は、あまり見かけなくなった。昔は、田植え休みとか稲刈り休みとかがあったそうだが、経験がない。
今、自分の次男が悪友の家で農業研修生として、6条植えの田植機を操り、田植えをしている真っ最中である。一年で一番忙しい時期で、朝早くから日が暮れるまで農作業を繰り返している毎日である。悪友の父は、多忙を極めると、毎年、腸捻転で倒れるそうだが、今年は大丈夫だろう。