2009年06月
2009年06月29日
アリさん到着
昨日、アリさんが無事日本に着いた。
ただ、成田空港の入管で引っかかった。ダッカの日本大使館でビザをもらってきたが、入国審査で、怪しまれた。一緒に迎えに行った悪友の携帯電話に入管職員から電話が入った。到着ロビーAで、アリさんが出てくるのを待っている時だ。
悪友の話では、アリさんの名前やアリさんがなぜ3ヶ月滞在するのかを聞かれたという。入管職員は日本人では無いようだと言う。中国人ではないか。言葉が、違うという。入管は国家公務員ではないのか?国家権力も民間(外国人)に委託しているのか?ダッカの入管は、着衣にPOLICEの表示があり、警察官が入国審査をしていた。
日本大使館には、ビザをとるため、いろいろ資料を準備したが、入管用にも渡航目的を説明した資料をアリさんに預けておくべきだったと後悔していた。大使館は外務省、入国管理は法務省。日本の得意芸である縦割り行政である。
ダッカの日本大使館には農林水産省の職員も派遣されているのだから、領事部に法務省の入管職員を配置しておいて、事前に入管チェックをしておけば、いいのではないか。日本の空港では偽造パスポートや偽造ビザのチェックぐらいで手続きが済めば、事務の簡素化になると思う。
今更ながら、ベンガル人の日本渡航の難しさを痛切に感じる。
ただ、成田空港の入管で引っかかった。ダッカの日本大使館でビザをもらってきたが、入国審査で、怪しまれた。一緒に迎えに行った悪友の携帯電話に入管職員から電話が入った。到着ロビーAで、アリさんが出てくるのを待っている時だ。
悪友の話では、アリさんの名前やアリさんがなぜ3ヶ月滞在するのかを聞かれたという。入管職員は日本人では無いようだと言う。中国人ではないか。言葉が、違うという。入管は国家公務員ではないのか?国家権力も民間(外国人)に委託しているのか?ダッカの入管は、着衣にPOLICEの表示があり、警察官が入国審査をしていた。
日本大使館には、ビザをとるため、いろいろ資料を準備したが、入管用にも渡航目的を説明した資料をアリさんに預けておくべきだったと後悔していた。大使館は外務省、入国管理は法務省。日本の得意芸である縦割り行政である。
ダッカの日本大使館には農林水産省の職員も派遣されているのだから、領事部に法務省の入管職員を配置しておいて、事前に入管チェックをしておけば、いいのではないか。日本の空港では偽造パスポートや偽造ビザのチェックぐらいで手続きが済めば、事務の簡素化になると思う。
今更ながら、ベンガル人の日本渡航の難しさを痛切に感じる。
2009年06月28日
今日、アリさんが来る
今日、アロアシャ学園のアリ校長が来日する。
夕方の便で、成田空港に到着する。
いつも、ダッカに着くとアリさんが迎えに来てくれている。我々も、アリさんを悪友と車で迎えに行く。
以前、モンジュールさんたちが来日したときも、成田空港まで車で迎えに行った。常磐自動車道から成田まで県道を使った。東京経由では遠回りで、時間が無かったので、やむなく、常磐道を走ることになった。あのときは、成田空港の到着ロビーで待っていたら、地震にあってビックリした。
帰りは、首都高で東京の夜景を見ながら関越、新潟経由で帰ろうと考えていた。しかし、かなりの揺れだったので、常磐道を引き返した。結果的には、それが正解で、常磐道の東京寄りと首都高の一部が地震で通行止めになった。
あのころから比べると、北関東自動車道ができ、圏央道ができ、だいぶ、成田までは高速道路で行けるようになった。折しも、今日は日曜日。ETCで1,000円で行けるようになったのも大きな違いである。
午前中には、成田に出かける。
夕方の便で、成田空港に到着する。
いつも、ダッカに着くとアリさんが迎えに来てくれている。我々も、アリさんを悪友と車で迎えに行く。
以前、モンジュールさんたちが来日したときも、成田空港まで車で迎えに行った。常磐自動車道から成田まで県道を使った。東京経由では遠回りで、時間が無かったので、やむなく、常磐道を走ることになった。あのときは、成田空港の到着ロビーで待っていたら、地震にあってビックリした。
帰りは、首都高で東京の夜景を見ながら関越、新潟経由で帰ろうと考えていた。しかし、かなりの揺れだったので、常磐道を引き返した。結果的には、それが正解で、常磐道の東京寄りと首都高の一部が地震で通行止めになった。
あのころから比べると、北関東自動車道ができ、圏央道ができ、だいぶ、成田までは高速道路で行けるようになった。折しも、今日は日曜日。ETCで1,000円で行けるようになったのも大きな違いである。
午前中には、成田に出かける。
2009年06月27日
ドナーカードもか?
献血もできない体になってしまったと嘆いているうちに、もう一つ、不安になったことがある。臓器提供意思表示カードいわゆるドナーカードである。
(社) 日本臓器移植ネットワークのホームページを見たら、正式にドナー登録すれば、毎年、採血の必要があると書いてあった。拒絶反応がないか調べるとある。
献血カードは持っていてもいいが、ドナーカードは持ち歩いていると、間違って臓器移植がおこなわれ、移植された人間がマラリアかコレラにかかって死んでしまうこともあるかもしれない。毎年、バングラに行き、マラリアかコレラにかかる心配のある臓器を誰がもらうであろうか。
海外青年協力隊の隊員だった、あだちさん(弁当日記)のコメントによれば、「協力隊で2年間住んだ場合は、3年間献血しないでくださいといわれました。骨髄バンクも3年間は提供しないように手続きお願いされました。私も60回の記録があるので、残念。」とある。
これからは、持ち歩かないことにする。むしろ、捨てた方がいいかもしれない。献血も骨髄移植も臓器移植もできない体になってしまったかと思うと空しくなってくる。
2009年06月26日
献血できない体になってしまった!
5年ぶりに献血をしようと赤十字の献血センターに行ったら、献血できないと言われてしまった。マラリアの感染国にバングラデシュが入っていて、首都のダッカを出ないで帰国後、1ヶ月たてば献血できるが、ダッカを出てしまうと1年間は献血ができないという。
マラリアは蚊が媒介する怖ーい感染症であるが、バングラはどこに行っても蚊だらけである。乾季の寒い時期でも、ダッカの高級ホテルにも、安宿にも、レストランにも、空港にも、バスの中にも、蚊はたくさん存在する。
ダッカにはマラリアを媒介する蚊が少なくて、ダッカの外には媒介する蚊が多いという赤十字の解釈なのであろう。
バングラ南部ではマラリアやコレラが発生すると現地の人たちは言っている。赤十字の見解も無理もない。
毎年、バングラに行っているので、このままだと一生献血ができない体になってしまう。長らく使っていた献血手帳が献血カードに変わって、献血はできなかったが、記念にカードをもらってきた。過去30回の献血記録として、冥土の土産に持って行こう。
2009年06月21日
ダッカの看板
バングラデシュの首都ダッカで見かけられるようになった大型の看板。携帯電話のNOKIAや家電のSONY、SHAPE、LG、車のISUZU、TOYOTAなどなど、大きな看板が行くたびごとに増えていることに驚かされる。
12年前、初めてダッカに舞い降りたとき、白かグレーの地味ーな街並みを見て、バングラは色のない世界と思い込んでしまったほどだったのに、今は近代的なビルが建ち並び、新しい日本車が走り回る、その変わり様は想像できなかった。十年一昔とは、よく言ったものだ。
色遣いは都市計画上の景観的な制限があって白かグレーだったのか、それとも、単純に貧困だから色を使わなかったのか。
バングラの看板の特徴は、人の写真を多く使っていることである。イスラム教国にしては、時々、女性の色っぽい写真が使われていることもある。
世界的な恐慌に、あまり左右されていないというバングラには、これから、ますます大型看板が増えていくのであろう。行くたびに、その変化を見ることが楽しみの一つでもある。