2009年10月

2009年10月25日

寄付額は62,000円

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今日、夕方、蔵王キリスト教会からアロアシャ学園の奨学基金への寄付金をいただいてきた。62,000円であった。



10月18日のフリーマーケットの収益金のほとんどを基金へ寄付してもらった。担当の高内牧師さんといろいろお話をさせていただいた。



牧師さんは、国際理解教育の事務局をされていたことがあり、アロアシャについては、ほとんど知らなかったそうであるが、今回、フリーマーケットを通して、現地の活動を理解していただけたことは大変ありがたかった。



今後、教会のある地域に対して、アロアシャ学園の支援を呼びかけてくださるということで、教会の皆さんの期待に応えられるように活動しなければならない。









himajintaro at 20:31|PermalinkComments(0)宗教 

2009年10月24日

蔵王キリスト教会から電話

10月18日の日記で紹介した蔵王キリスト教会のフリーマーケットで、収益金の一部をアロアシャ学園に寄付してくださることになったが、今日、教会の職員の方から電話があった。



寄付金の集計が終わったので、受け取りに来てくださいという連絡であった。明日にでも、お伺いしようかと思う。金額は、明日のお楽しみ。









himajintaro at 21:13|PermalinkComments(0)宗教 

2009年10月23日

モンジュールさんの来日の目的

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今回のモンジュールさんの渡航目的の一つに、農業技術支援センターの建設打ち合わせがあった。来日途中で、三井物産環境基金の助成金決定の知らせもあり、打ち合わせの時間が倍に増えてしまった。



いつもは、メールや電話で現地とのやりとりをするが、年に1、2回のバングラ渡航では、十分に打ち合わせできないこともあり、今回、モンジュールさんたちが来日するというので、じっくりと話すことができた。



アロアシャ学園の敷地の中に農業技術支援センターの研修所を建設することになり、建設工事の内容やスケジュール、宿泊棟のベッドの仕様など細かい打ち合わせをおこなった。研修所建設の費用には、元の郵政省の国際ボランティア貯金の寄付金を使わせていただくことになっている。



バングラで打ち合わせをすると、どうしても、メンバーが集まらず、時間どおりに会議ができなくて、終いには、数日後になってしまうことが多かった。この、物事が当たり前には進まない感覚は、現地に行って体験しないと味わえない。以前、悪友が「アジア的速度」と言ったことがあるが、その速度は、今も変わらない。



これからは、事業の打ち合わせでモンジュールさんたちが来日することが多くなるかもしれない。









himajintaro at 19:58|PermalinkComments(0)アロアシャ学園 

2009年10月22日

日本の秋、実りの秋

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モンジュールさんが日本の米の写真を撮って欲しいと言った。



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バングラデシュの農家や大学先生たちに日本の稲穂を見せたいという。できるだけ、きれいな田んぼを撮って欲しいというリクエストにお答えして、何枚か撮った。



日本の実りをバングラで自慢してもらえるのは日本人として誇りである。








himajintaro at 21:22|PermalinkComments(0)農業 

2009年10月21日

岩手・宮城内陸地震の災害復旧現場に行ってきた

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バングラデシュには直接関係ないが、今日、仕事で岩手・宮城内陸地震の災害復旧現場に行ってきた。



2008年6月14日 土曜日 8時43分45秒 岩手県内陸南部で突然発生した大地震は、山間部に大きな爪痕を残した。一関市市野々原に出現した天然ダムを地震発生の2日後、ダム決壊の危険を防ぐための水路工事が始まった。写真の川向こうの山が地震により巨大な地滑りを起こし、川を塞いでしまった。道路が所々で寸断され、自衛隊のヘリで資材を運んだ。



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一見、水色の湖水がきれいな湖に見える。しかし、この水が溢れれば、地滑りの柔らかい土砂が、土石流となり一関市内を襲うことになる。この川の下流には、観光地で有名な厳美渓がある。



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湖の下流には、迂回路の水路工事が行われていた。最初は、中央に流れている水路が造られたが、10年に1回の雨量しか対応できない断面積であることがわかり、隣に大きな水路を造り直すことにしたという。新しい水路は、100年に1回の雨量でも対応できる断面積になると国交省の職員が説明してくれた。



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天然ダムの上流には、崩落した橋があった。現在は、仮橋を作り、新しい橋の工事をしていた。崩落した橋は、地滑りにより、水平に11m地面が移動し、橋桁が耐えきれなくなり、大きく折れ曲がってしまった。



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普段は、一般の人は入ることができない崩落現場を岩手県の災害復旧課長さんから案内してもらった。地滑りで、アスファルトに大きな亀裂が、たくさん入っていることがよくわかる。



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本当に崩落した橋台まで行くことができた。この災害現場は、一部を除き、ほとんどを保存し、一関市に引き継ぐという。



近隣の山々には、まだ、巨大な崩落した山肌が残り、地震の恐ろしさを見せつけられた。新潟中越地震の発生のとき、ボランティアで最大震度の川口町に入ったが、山の崩壊の規模が岩手の方が格段に大きい。



日本は、災害が発生すると、ライフラインの復旧は早いと思う。それは、阪神淡路大震災から発生している多くの地震や水害の教訓が生かされている結果であると思う。バングラはどうだろうか。日本で生かされている教訓と技術を海外で役立たせることが、これからの日本の役割であると思う。









himajintaro at 22:13|PermalinkComments(0)生活