2010年03月
2010年03月30日
2010年03月29日
マンゴーバーで洗礼
バングラデシュのお土産として、たまに買ってくるマンゴーバー。マンゴーの乾物。硬くて、少し酸味がある。友人Kが買ったマンゴーバー、帰国して食べたら、髪の毛が入っていた。これには、友人Kも固まったという。
今回、バングラに渡航した山形県立東根高等学校の生徒たちもマンゴーバーを買ってきた。ダッカ空港の売店で買ったが、3軒の売店で倍の値段の違いがあったという。ダッカ空港の売店は、人を見る。ベンガル人がいっしょの時は、吹っかけないが、外国人だけと見ると、法外な値段を言う。ポロを大人買いしようとしたときも、吹っかけられたことがある。
入国審査後の免税店の店員は、レシートを出すので「ぼる」ことはほとんどないが、チェックインをおこなうフロアーの売店の店員はレシートは出さないことが多いので要注意である。
高校生たちは、帰国する間際、マンゴーバーでバングラの洗礼を受けて帰ってきた。
2010年03月28日
リキシャ移動でトラブル発生!
夕べ、日本時間で午後9時半過ぎ、悪友から電話が入った。ダッカの「レストランながさき」の場所を教えろというものだった。ダッカ空港の北東のすぐ近くのブロックなのだが、悪友は、皆目、見当がつかない。仕方ないので、「レストランながさき」のホームページから電話番号を教えた。
以前、東根工業高校の先生にホテルと「レストランながさき」の地図を送ったとき、いっしょに悪友にも送ったのであるが、全く、関心がないのか、見ていなかったようだ。
これとは対照的に、東根工業高校の庄司先生が現地での様子を学校にメールで報告していた。それによると、ダッカに向かう前の日、ラッシャヒのホテルからガンジス川の夕日を見て、バザールに向かうリキシャでトラブルが起きた。
隊列を組んでバザールに到着したはずであるが、生徒の乗ったリキシャが見あたらない。どうも、1台だけ先に行ってしまったようだ。前後関係を理解しなかったリキシャ・ドライバーが自分だけ先に行ったことがわからなかった。暗くなったことで、位置関係がわからなくなったのであろう。
携帯電話で連絡がついたので、事なきを得たようだ。実は、大勢で移動するとき、こういうことは普通に起きる。以前、ダッカのポルジャトンホテルから日本大使館に向かったときも似たようなことが起こった。
このときは、3台のタクシーでホテルを出たのであるが、2台のタクシーが日本大使館の領事部に到着した。たまたま、バングラデシュのガイドブックを持っていたため、川を挟んだ対岸に大使館本館があることがわかり、みんなで歩いて行った。このころは、日本の携帯電話は現地で使えなかったし、現地でも携帯電話は、あまり普及していなかった。今は、領事部は大使館本館にあるようだが、最近、日本大使館に行く用事はなくなった。
小さなトラブルは、日常茶飯事である。いつも、ベンガル人は「No problem」を連発するが、大きなトラブルにならないのが不思議である。ただ、その分、物事が進まない。ベンガル人の大様さにはあきれることもあるが、そこは、日本ではなく、バングラデシュであるのであきらめるしかない。
こんなトラブルも、悪友は何のその。悪友は、かなり、バングラに同化している。
2010年03月27日
東根工業高校が無事帰国
バングラデシュで太陽光発電の研修を終えた東根工業高校の先生と生徒たちが元気な顔をして、昨夜、無事、山形に戻って来た。
帰って来るなり、皆、「寒い、寒い」を連発。40度を超えるバングラデシュから、1/10の4度の山形では無理もない。
現地からのライブ中継を見て感動した校長先生から歓迎の握手とねぎらいと感謝のお言葉を受けた。
7日前、はにかみながらの握手から、帰国して再会した家族との握手は、みんな、しっかりとした自信に満ちあふれた握手であった。
買い物や観光も、なかなかできないタイトなスケジュールをこなしてきた先生と生徒たち。毎日、最高気温が更新され、移動車のエアコンが効かなかったり、空港の売店でマンゴーバーを買おうと思ったら、外国人と思われ、ぼられたり、十分、途上国での洗礼を受けて帰ってきたようだ。
今回の研修は、単に太陽光発電の技術移転だけが目的ではなく、途上国から日本を見つめ直すことができるようになれば十分である。
それにしても、まだ現地に残っている悪友からは、相変わらず、現地の様子が送られてこない。「おーい、生きてるのか!」