2010年04月
2010年04月29日
バングラの温水事情
アロアシャ学園のゲストルームに寝泊まりするようになってから、ゲストルームの設備が徐々に改善されてきた。タンスや吊り戸棚なども使えるようになったが、一番、ありがたいのは、給湯ボイラーである。
数ヶ月前に渡航したチームのときはなかった給湯ボイラーがゲストルームについていた。バングラの冬は、雪国に育った自分でもお湯が無いのはきつい。水のシャワーは、後から体が温かくなるが、慣れるまで大変である。
ただ、配管がシンプルすぎて、どうやれば、お湯が出て、水がでるのかわからない。特にシャワーヘッドからの湯加減が最初はよくわからなかった。
日本のようにお湯は赤、水は青なんて表示はない。電気の配線も同じで、アロアシャ学園の配電盤を見たら、すべて、同じ赤の配線を見たときには、友人Kとともに仰天したことを覚えている。
電気式ボイラーなので、電源を入れてから30分以上たたないと熱いお湯が十分出てこない。幸い、渡航中は、停電がほとんど無かったので、お湯が切れる心配はなかった。
東根工業高校の生徒たちがラッシャヒに泊まったとき、シャワー中に停電になり、生徒と先生がシャワールームの中で真っ暗になり、とんでも無い経験をしたようである。シャワールームは窓がないので、電気が落ちると漆黒の闇になる。素っ裸で助けを求めた生徒に誰も気づかなくて、助けなかったというエピソードが残った。
お湯があるというのは温かいシャワーを浴びられるだけではなく、温かい水で洗濯ができるというメリットがある。それだけでもバングラでは贅沢ではあるが、日本でお湯と水が一本の蛇口から出る混合栓を使っている者としては、不便さを感じる。贅沢は切りがない。
渡航中は毎日洗濯をした。これもお湯が使えるありがたさである。
バングラも少しづつではあるが、国民の所得水準も上がり、日本で言う文化的?な生活をする人々が増えていることは確かである。10年前に比べれば、一定水準の所得のある人々の暮らしや都市機能の変貌ぶりは、目を見張るものはあるが、貧しい人々の生活は、相変わらずである。バングラでの格差は広がりつつある。
2010年04月25日
2010年04月24日
いつもと変だぞ、ピカピカの一年生
バングラデシュの新年度は1月1日から始まる。今年は、金曜日と重なったために2日から、アロアシャ学園も新学期を迎えた。アロアシャ学園のゲストルームに寝泊まりしている我々もピカピカの一年生の様子を見るために教室をのぞいた。
廊下には、新入生の親や兄弟たちが心配そうに教室の様子をうかがっていた。
アロアシャ学園の先生たちも、新入生を迎えるため、教室に集まってきた。
しかし、いつもの年と様子が違う。何が違うか。一年生がどんどん教室の中で増えてくる。毎年、30人を新入生として迎えていたが、すでに50人が教室の中にいる。
どうも、これで、収まらないようだ。明日も今日の人数の他に30人以上来るという。例年なら、前の年度のうちに選抜をして、30人が入学してくるはずである。
原因は、バングラデシュで有名なNGOブラックが、毎年、1年生だけを対象にしている学校の運営を止めたことが背景にあるという。
バングラデシュではNGOの法人税は非課税である。あのムハマド・ユヌスのグラミン銀行もNGOなので税金は出していない。アロアシャ学園は日本でいうと社団法人に該当し、法人市民税を納めている。
非課税の超儲かりNGOが学校運営を止めて、日本からの支援を受けて税金を納めているアロアシャ学園が学校を経営している。日本的感覚では、とても、理解できない。でも、そこは賄賂立国バングラデシュである。
今年は、新入生を50人にして、全校生徒335人となった。
2010年04月21日
またまた、新聞に載った。
山形県立東根工業高校の話題が毎日新聞に載った。まだ、新聞が手に入っていなにので、テキストを掲載する。
東根工高電子システム科:バングラデシュの学校支援、自作の太陽光パネル設置 /山形
東根工高電子システム科の当時の2年生4人が3月にバングラデシュ・ラッシャヒ市を訪れ、山形ゆかりの「アロアシャ学園」に自作の太陽光発電パネル2枚を設置した。同校の生徒は昨年8月にはモンゴルでパネルを設置しており、ウガンダとナイジェリアの駐日大使も高校を視察している。同校の太陽光パネルの普及活動は国際的に注目されている。
パネルは縦120センチ、横53センチで160ワットの発電ができる。アロアシャ学園は、ハウスで育てたイチゴやジャガイモの売上金を学校運営費に充てているが、1日5、6回は停電がある。現地は日中の気温は40度になるが、停電すると、ハウスを30度以下に保つための送風機と、畑にまく水をくみ上げるポンプが動かなくなっていた。
高校生4人は3月20日に日本を出発。26日に帰国するまで現地に滞在し、太陽光パネルを設置し、送風機とポンプにつなげた。配線方法や使用方法も現地の技術者に指導した。
代表の加藤公貴さん(現在3年)は「自分たちが作ったもので途上国を支援できると分かり、やればできると実感した。今後も何らかの形で支援したい」と振り返る。
引率した庄司洋一教諭(39)は「生徒は学校で学んだ基礎が発展途上国でどのように生きるのかを実践を通して理解した。今後のものづくりにつなげてほしい」と期待している。【浅妻博之】
==============
◆メモ
◇アロアシャ学園
母国の貧しい子供が無料で教育を受けられる学校建設をという山形大農学部へのバングラデシュの留学生の願いに耳を傾けた鶴岡市などの有志が95年に「アロアシャの会」を組織し、設立した学校。現在は小中学生332人が無償で学ぶ。その後、学校運営のためにNPO法人「アロアシャ・プロジェクト」(山形市)が組織され、現在は学園だけでなくバングラデシュの貧しい子供たちの支援もしている。パネル設置は「アロアシャ・プロジェクト」との共同事業。アロアシャは「希望の光」の意味。
東根工高電子システム科:バングラデシュの学校支援、自作の太陽光パネル設置 /山形
東根工高電子システム科の当時の2年生4人が3月にバングラデシュ・ラッシャヒ市を訪れ、山形ゆかりの「アロアシャ学園」に自作の太陽光発電パネル2枚を設置した。同校の生徒は昨年8月にはモンゴルでパネルを設置しており、ウガンダとナイジェリアの駐日大使も高校を視察している。同校の太陽光パネルの普及活動は国際的に注目されている。
パネルは縦120センチ、横53センチで160ワットの発電ができる。アロアシャ学園は、ハウスで育てたイチゴやジャガイモの売上金を学校運営費に充てているが、1日5、6回は停電がある。現地は日中の気温は40度になるが、停電すると、ハウスを30度以下に保つための送風機と、畑にまく水をくみ上げるポンプが動かなくなっていた。
高校生4人は3月20日に日本を出発。26日に帰国するまで現地に滞在し、太陽光パネルを設置し、送風機とポンプにつなげた。配線方法や使用方法も現地の技術者に指導した。
代表の加藤公貴さん(現在3年)は「自分たちが作ったもので途上国を支援できると分かり、やればできると実感した。今後も何らかの形で支援したい」と振り返る。
引率した庄司洋一教諭(39)は「生徒は学校で学んだ基礎が発展途上国でどのように生きるのかを実践を通して理解した。今後のものづくりにつなげてほしい」と期待している。【浅妻博之】
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◆メモ
◇アロアシャ学園
母国の貧しい子供が無料で教育を受けられる学校建設をという山形大農学部へのバングラデシュの留学生の願いに耳を傾けた鶴岡市などの有志が95年に「アロアシャの会」を組織し、設立した学校。現在は小中学生332人が無償で学ぶ。その後、学校運営のためにNPO法人「アロアシャ・プロジェクト」(山形市)が組織され、現在は学園だけでなくバングラデシュの貧しい子供たちの支援もしている。パネル設置は「アロアシャ・プロジェクト」との共同事業。アロアシャは「希望の光」の意味。
2010年04月20日
大学からの褒美
モンジュールさんは、イチゴの品種改良の研究でバングラデシュで有名になり、勤務するラッシャヒ大学から、研究室をもう一つもらったという。
新しい研究室は、イチゴの共同研究者でモンジュールさんの尊敬する上司・イスラム先生といっしょに使うという。
新しい研究室には、まだ、ほとんど研究器材は入っていなかった。
ディスクトップパソコンが1台置いてあった。バングラは、まだ、ノートパソコンはそれほど企業や大学には普及していない。
研究には、寒天培地を保存しておく冷蔵庫が必要なので、停電のときのためのジェネレーター(発電機)も置いてあった。
これから、この研究室で、モンジュールさんとイスラム先生が、どんな研究をするのか楽しみである。次の渡航のときには、器材や薬品が増えているに違いない。