2011年02月
2011年02月19日
ユヌスのケツに火がついた! その1
今回のバングラ渡航で、モンジュールさんから、ノーベル平和賞ムハマド・ユヌスの評判について、いろいろと聞くことができた。
「ムハマド・ユヌスは、ビルゲイツの1,000倍お金を持っていると言われています。ビルゲイツは、お金をいろいろなことに使っているでしょう?ユヌスは、学校も病院も建てていない。」
「ユヌスは税金を払っていないのです。いくらお金を持っているか、誰もわからない。」
「ノルウェイのテレビ会社が、最初にユヌスがお金を貸した女の人を捜して、ドキュメンタリーを作りました。その女の人は、幸せになっていない。利息は45%です。日本のサラ金と同じです。ユーチューブで見ることができます。」
「グラミンは、いろいろな仕事をしています。」
「ヨーグルトもしています。テレビでは、『貧しい子供たちの体のためには、ヨーグルトが必要です。病気が治りました。貧しい子供たちが食べています。』とコマーシャルをしていますが、アロアシャ学園の子供たちに『グラミンのヨーグルトを食べていますか?』と聞いてみました。誰も食べた子供がいなかった。」
「ユヌスは、頭のいい人です。貧しい人を利用してビジネスをした人です。」
続編は明日。
「ムハマド・ユヌスは、ビルゲイツの1,000倍お金を持っていると言われています。ビルゲイツは、お金をいろいろなことに使っているでしょう?ユヌスは、学校も病院も建てていない。」
「ユヌスは税金を払っていないのです。いくらお金を持っているか、誰もわからない。」
「ノルウェイのテレビ会社が、最初にユヌスがお金を貸した女の人を捜して、ドキュメンタリーを作りました。その女の人は、幸せになっていない。利息は45%です。日本のサラ金と同じです。ユーチューブで見ることができます。」
「グラミンは、いろいろな仕事をしています。」
「ヨーグルトもしています。テレビでは、『貧しい子供たちの体のためには、ヨーグルトが必要です。病気が治りました。貧しい子供たちが食べています。』とコマーシャルをしていますが、アロアシャ学園の子供たちに『グラミンのヨーグルトを食べていますか?』と聞いてみました。誰も食べた子供がいなかった。」
「ユヌスは、頭のいい人です。貧しい人を利用してビジネスをした人です。」
続編は明日。
2011年02月17日
今日はクリスマスイブ、金曜日なのに大渋滞!
今日は12月24日(金)。もちろん、西洋、日本ではクリスマスイブ。ここバングラデシュは、イスラム教国なので金曜日は休日。昨年も、木曜日に入国し、翌日は金曜日だった。ダッカの中心部も交通量が少なく、金曜日はイスラムの休みであることを実感した。その様子は、昨年2010/01/07にバングラからアップした日記「金曜日のダッカ」で紹介している。
しかし、今年は違う!!
ウットラの国道の歩道橋から見た写真。ダッカ市街地からの車が渋滞している。この先、右側にダッカ空港がある。
ダッカから離れていく車の列が長く続いている。ダッカから離れるのに1時間以上かかる。このため、今までダッカ・ラッシャヒの高速バスが5時間だったのが、7時間近くかかる。ダッカに向かう車が少ないので、もしかしたら、ダッカ市内は渋滞していないのかもしれない。
荷台に、たくさん人を乗せたトラックを時々見かけた。同行したブルブル氏にどこに行くのかと尋ねるとピクニックに行くと返したが、どうも、雰囲気的にイスラムの礼拝に行く感じがした。
今回は、渋滞で疲れる高速バスを使わずに、一寸、不安が残る列車でラッシャヒに向かうことになった。今日のディリースター紙に遮断機のない踏切で列車がトラックにぶつかり、3人が死んだと書いてあった。相変わらずである。
しかし、今年は違う!!
ウットラの国道の歩道橋から見た写真。ダッカ市街地からの車が渋滞している。この先、右側にダッカ空港がある。
ダッカから離れていく車の列が長く続いている。ダッカから離れるのに1時間以上かかる。このため、今までダッカ・ラッシャヒの高速バスが5時間だったのが、7時間近くかかる。ダッカに向かう車が少ないので、もしかしたら、ダッカ市内は渋滞していないのかもしれない。
荷台に、たくさん人を乗せたトラックを時々見かけた。同行したブルブル氏にどこに行くのかと尋ねるとピクニックに行くと返したが、どうも、雰囲気的にイスラムの礼拝に行く感じがした。
今回は、渋滞で疲れる高速バスを使わずに、一寸、不安が残る列車でラッシャヒに向かうことになった。今日のディリースター紙に遮断機のない踏切で列車がトラックにぶつかり、3人が死んだと書いてあった。相変わらずである。
2011年02月16日
আসসালাম আলাইকুম।
আসসালাম আলাইকুম।
আনার নাম জিনতার হিমা।
আমি জাপানী।
ちょっとベンガル語を入力してみた。
「こんにちは」
アッサラームアライクム
「私の名前は閑甚太朗です。」
アマル ナム ジンタロ ヒマ
「私は日本人です。」
アミ ジャパネ
書いてみろと言われても、簡単にかけるものではない。
今回のバングラ渡航で痛切に感じてきた。
ベンガル語で話せたら、どんなに楽しいことか。ベンガル語で話したい。
これから、勉強のため、時々、ベンガル語表記をして日記を書くことにする。
多分、タイトルと上の3行は文字化けしていると思う。ベンガル語をご覧になりたい方は、フリーのベンガルフォントをインストールすると見ることができる。携帯電話では無理かな。
আনার নাম জিনতার হিমা।
আমি জাপানী।
ちょっとベンガル語を入力してみた。
「こんにちは」
アッサラームアライクム
「私の名前は閑甚太朗です。」
アマル ナム ジンタロ ヒマ
「私は日本人です。」
アミ ジャパネ
書いてみろと言われても、簡単にかけるものではない。
今回のバングラ渡航で痛切に感じてきた。
ベンガル語で話せたら、どんなに楽しいことか。ベンガル語で話したい。
これから、勉強のため、時々、ベンガル語表記をして日記を書くことにする。
多分、タイトルと上の3行は文字化けしていると思う。ベンガル語をご覧になりたい方は、フリーのベンガルフォントをインストールすると見ることができる。携帯電話では無理かな。
2011年02月15日
蚊はいないけど、ゴキブリがひっくり返る安宿
ダッカ空港から車で10分かからない所にホテルがある。ウットラ・モデル・タウン。空港を出ると国道を5分ほど北上し、道路の右側がモデル・タウンである。
いつも、日本人がよく利用するので、割引で2,500タカ~3,500タカぐらいで泊まれるという。日本人とは、悪友やHさん、山形県立東根工業高等学校の先生や生徒がダッカでの滞在中に使っている。空港から近いから便利である。空港への送迎もしてくれる。
ダッカのホテルは、安い高いにかかわらず、蚊よけの蚊帳を備えていないことが多い。これが、ラッシャヒのホテルになると必ず蚊帳を備えている。
このブログの最初の書き出し2006/2/13の日記「ダッカのバス停から272kmの旅の始まり」と2006/5/5の日記「ホテルのベッド」で紹介している。
今回のホテルは、お湯も出て、蚊帳は無いものの、蚊に悩まされることなく、ゆっくり、寝ることができた。が、である。ゴキブリが床にひっくり返っていた。それを知らないで、朝起きたら踏んづけてしまった。
これは、何を意味するのか?
それは、皆さんの想像にお任せしたい。空港から近いとはいえ、次回の宿は、一寸考えよう。
2011年02月13日
入国カードの様式が変わった。
香港からドラゴン便を乗り継ぎ、予定通りダッカ空港に降り立ったものの、相変わらず入国審査に手間取り、それ以上に時間がかかったのが預け荷物の受け取りである。いくら入国審査が早く終わっても、ターンテーブルに荷物が出てこない。だから、入国審査が遅いことに慌てる必要がない。
ただ、相変わらず入国審査で手間取るのは中国人である。英語が理解できないのが最大の理由で、入国カードの記入不備がほとんどである。カスタム(入国審査官)が英語で話しかけようにも英語がほとんどわからない。カスタムが困り果てていると、後ろに並んでいる若い中国人が通訳を買って出る始末。
入国審査用のイミグレーションカードの様式が変わった。写真は撮ってこなかった。以前は、一枚の用紙に出国用もついていたが、今度は入国・出国別々になった。以前より各項目が少し減った。職業欄が無くなった。入国回数が多いので、ビジネスではないかと疑われたが、「Tourism」と言い切った。最初は「Sightseeing」と何度か言ってみたものの、発音が悪いのか、ベンガル人には理解できないらしい。
ビザの申請用紙には、「Tourism」の文字があっても「Sightseeing」の文字はない。観光という産業が定着していない国だけに、「Sightseeing」という感覚がないのかもしれない。
ダッカ空港で入国カードの記入漏れがあって、英語が理解できないと最悪の状態になる。下手をすると入国できない。
こんなとき、バングラで使える携帯電話が手元にあり、すぐに知り合いのベンガル人に電話ができると問題はすぐに解決する。今回、空港のターミナルの外で待ち合わせているモンジュールさんの研究室の職員ブルブル氏とすぐに会えなくて困ったが、バングラだけで使える携帯電話を事前に日本で渡されていたので、ブルブル氏と連絡が取れて重宝した。
ただ、相変わらず入国審査で手間取るのは中国人である。英語が理解できないのが最大の理由で、入国カードの記入不備がほとんどである。カスタム(入国審査官)が英語で話しかけようにも英語がほとんどわからない。カスタムが困り果てていると、後ろに並んでいる若い中国人が通訳を買って出る始末。
入国審査用のイミグレーションカードの様式が変わった。写真は撮ってこなかった。以前は、一枚の用紙に出国用もついていたが、今度は入国・出国別々になった。以前より各項目が少し減った。職業欄が無くなった。入国回数が多いので、ビジネスではないかと疑われたが、「Tourism」と言い切った。最初は「Sightseeing」と何度か言ってみたものの、発音が悪いのか、ベンガル人には理解できないらしい。
ビザの申請用紙には、「Tourism」の文字があっても「Sightseeing」の文字はない。観光という産業が定着していない国だけに、「Sightseeing」という感覚がないのかもしれない。
ダッカ空港で入国カードの記入漏れがあって、英語が理解できないと最悪の状態になる。下手をすると入国できない。
こんなとき、バングラで使える携帯電話が手元にあり、すぐに知り合いのベンガル人に電話ができると問題はすぐに解決する。今回、空港のターミナルの外で待ち合わせているモンジュールさんの研究室の職員ブルブル氏とすぐに会えなくて困ったが、バングラだけで使える携帯電話を事前に日本で渡されていたので、ブルブル氏と連絡が取れて重宝した。