2011年10月
2011年10月30日
Skype同士でモンジュールさんと話をした。その2
昨日は、バングラのインフラ整備が進んできたことを書いた。
今日は、モンジュールさんとのやり取りを書く。
モンジュールさんは、2011/07/21の日記「モンジュールさんがヘレンケラー賞を受賞した。」で紹介したAtish Dipankar Awardの授賞式に出席するため、10月26日にダッカに出かけ、翌日にラッシャヒに帰る予定であった。
「昨日、(10月27日)帰ってきたのですか?」
「今日、午後3時に帰ったのです。」
「列車で帰ったのですか?」
「列車に乗れなかった。バスで帰ったのです。」
「バスで疲れたでしょう?」
「疲れなかったよ!」
「道路が悪くなって事故が多いから、みんな、列車に乗りたいんです。でも、列車が少ないんです。」
「日本から機関車を買うと新聞に載っていましたよ。」
「それは、ダッカとチッタゴンを走るんです。ラッシャヒに来ないんです。」
「みんな、交通大臣を馬鹿だ、と言っています。今の大臣になってから、道路が悪くなりました。何もしていません。」
「道路を広げないと駄目です。もう、何年かしたら、道路は全部クルマだけになって、動かなくなります。」
「アハハハハ!」
と、前段は、こんな、やり取りをした。
今日は、モンジュールさんとのやり取りを書く。
モンジュールさんは、2011/07/21の日記「モンジュールさんがヘレンケラー賞を受賞した。」で紹介したAtish Dipankar Awardの授賞式に出席するため、10月26日にダッカに出かけ、翌日にラッシャヒに帰る予定であった。
「昨日、(10月27日)帰ってきたのですか?」
「今日、午後3時に帰ったのです。」
「列車で帰ったのですか?」
「列車に乗れなかった。バスで帰ったのです。」
「バスで疲れたでしょう?」
「疲れなかったよ!」
「道路が悪くなって事故が多いから、みんな、列車に乗りたいんです。でも、列車が少ないんです。」
「日本から機関車を買うと新聞に載っていましたよ。」
「それは、ダッカとチッタゴンを走るんです。ラッシャヒに来ないんです。」
「みんな、交通大臣を馬鹿だ、と言っています。今の大臣になってから、道路が悪くなりました。何もしていません。」
「道路を広げないと駄目です。もう、何年かしたら、道路は全部クルマだけになって、動かなくなります。」
「アハハハハ!」
と、前段は、こんな、やり取りをした。
2011年10月29日
Skype同士でモンジュールさんと話をした。その1
モンジュールさんと話をした。
今回は、モンジュールさんが「スカイプを使って話をしましょう」というので、モンジュールさんのアカウントにつなごうとしたが、つながらず、次女のポロマのアカウントでつないだ。
いつもは、こちらはSkypeを使ってモンジュールさんの携帯電話につないでいた。
今まで、何度もSkypeを使って話をしたことがあるが、音質も画質も悪く、途中で切れることが多く、正直、使い物にならなかった。これは、バングラデシュのインターネットの質の悪さによるものであった。
ところが、今回は、音質もさることながら画質が鮮明で、今までにない感覚を覚えた。モンジュールさんのリビングで、次女のポロマが動いている様子や奥方のボナニーさんが新聞を読んでいる様子がよくわかった。記録を残すためハードコピーしていたが、そのこと忘れて、パソコンの電源を落としてしまったので、画像が残っていない。
思えば、ラッシャヒに赴任していた海外青年協力隊員の新津直子さんから鶴岡市の小学校とアロアシャ学園のインターネットのライブ交流でアイボールというSkypeと同じようなソフトがあるということを教えてもらったことがきっかけで、バングラデシュとは何度かライブ通信をしたきた。
14年前から比べると隔世の感がある。
バングラデシュのインフラの環境は格段に良くなっているが、悪くなっているものもある。そのあたりは、次回。
今回は、モンジュールさんが「スカイプを使って話をしましょう」というので、モンジュールさんのアカウントにつなごうとしたが、つながらず、次女のポロマのアカウントでつないだ。
いつもは、こちらはSkypeを使ってモンジュールさんの携帯電話につないでいた。
今まで、何度もSkypeを使って話をしたことがあるが、音質も画質も悪く、途中で切れることが多く、正直、使い物にならなかった。これは、バングラデシュのインターネットの質の悪さによるものであった。
ところが、今回は、音質もさることながら画質が鮮明で、今までにない感覚を覚えた。モンジュールさんのリビングで、次女のポロマが動いている様子や奥方のボナニーさんが新聞を読んでいる様子がよくわかった。記録を残すためハードコピーしていたが、そのこと忘れて、パソコンの電源を落としてしまったので、画像が残っていない。
思えば、ラッシャヒに赴任していた海外青年協力隊員の新津直子さんから鶴岡市の小学校とアロアシャ学園のインターネットのライブ交流でアイボールというSkypeと同じようなソフトがあるということを教えてもらったことがきっかけで、バングラデシュとは何度かライブ通信をしたきた。
14年前から比べると隔世の感がある。
バングラデシュのインフラの環境は格段に良くなっているが、悪くなっているものもある。そのあたりは、次回。
2011年10月23日
クルナの港に戻ってきた。
遊覧船での最後の朝食を終え、下船する準備を始めた。
クルナを出港するときは、暗くて、町の様子がわからなかった。川縁に突きだして建っている粗末な家並みは、スラムでないかと思われる。
「貨物船がと~お~る。」 どこかで聴いたフレーズそのもである。
出発したときの船着き場である。今回の遊覧船として使ったランチと呼ばれる船が停泊している。この遊覧船も、まもなく、接岸し、74人全員、この船を下りた。
今まで経験したことのない、快適なクルーズであった。決して高級とはいえない宿泊施設を持つ遊覧船で、モンジュールファミリー73人とともに、世界遺産で世界最大のマングローブ天然林シュンドルボンを訪れることができたことを幸せなことだと思っている。
クルナを出港するときは、暗くて、町の様子がわからなかった。川縁に突きだして建っている粗末な家並みは、スラムでないかと思われる。
「貨物船がと~お~る。」 どこかで聴いたフレーズそのもである。
出発したときの船着き場である。今回の遊覧船として使ったランチと呼ばれる船が停泊している。この遊覧船も、まもなく、接岸し、74人全員、この船を下りた。
今まで経験したことのない、快適なクルーズであった。決して高級とはいえない宿泊施設を持つ遊覧船で、モンジュールファミリー73人とともに、世界遺産で世界最大のマングローブ天然林シュンドルボンを訪れることができたことを幸せなことだと思っている。
2011年10月21日
2011年元旦、夜の催し その2
抽選会のあと、モンジュールさんの娘たちが企画したシュンドルボンの絵の優秀作品発表があった。
優秀作品が何点か選ばれた。審査員は、もちろん、この二人である。私の作品も選んでもらった。長女のミディラは、ダッカにあるバングラデシュ工科大学で建築デザインを学んでいるだけに、絵心がある。
最優秀作品は、写真の男の子の作品で、ワニの絵が描いてあった。優秀作品を写真で撮ってこなかったのが、今更ながら悔やまれる。
作品発表のあと、シュンドルボンツアーの参加者から何人か、ツアーについての感想や2011年へのメッセージを話す時間があった。
トップバッターは、唯一の外国人参加者である私であった。
アロアシャ学園理事のホク先生にベンガル語に通訳してもらった。ホク先生は、ラッシャヒ大学の教育学部の教授で日本での留学経験を持つ。
モンジュールさんの研究に協力でき、アロアシャ学園の運営に貢献できたことを誇りに思っていることと、多くの仲間とともにシュンドルボンツアーに参加させてもらったことに感謝をした。
それから、次々と、指名されて話を始めた。
この方は、初めて、お会いした。
ピントさん。機械設備屋さん。娘と息子と参加している。右側でメモを取っているのは、幹事のブルブルさん。
ムホンさん。同じく機械設備屋さん。
この方は、名前を忘れた。2010/10/03の日記「バングラ・イケメン俳優 Jeetu Ahsan氏 の農場にて その3」の集合写真の一番右側の人。日本に滞在経験があり、日本語が堪能で、イケメン俳優の農場で通訳をしてもらった。奥さんと子供と参加した。
モンジュールさんの片腕、マスッドさん。アロアシャ学園の研究所の責任者である。マスッドさんは、国の紅茶試験場に勤めていたが、モンジュールさんが研究所の責任者として迎えるべく、ヘッドハンティングした。奥さんと子供と参加した。
アラムさん。バングラデシュ農林水産省農業開発局の職員。奥さんと子供と参加した。
みんな、家族連れで参加している。そのため、ツアーの参加者が74人まで膨れ上がったのである。
正直、みんなベンガル語で話をしているので、何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
最後の人が終わったのが、午後11時ちょっと前。これで、2011年元旦のすべてのイベントが終わった。後は、歯を磨いて寝るだけ。明日は、船が最初に出航したクルナに戻る。
優秀作品が何点か選ばれた。審査員は、もちろん、この二人である。私の作品も選んでもらった。長女のミディラは、ダッカにあるバングラデシュ工科大学で建築デザインを学んでいるだけに、絵心がある。
最優秀作品は、写真の男の子の作品で、ワニの絵が描いてあった。優秀作品を写真で撮ってこなかったのが、今更ながら悔やまれる。
作品発表のあと、シュンドルボンツアーの参加者から何人か、ツアーについての感想や2011年へのメッセージを話す時間があった。
トップバッターは、唯一の外国人参加者である私であった。
アロアシャ学園理事のホク先生にベンガル語に通訳してもらった。ホク先生は、ラッシャヒ大学の教育学部の教授で日本での留学経験を持つ。
モンジュールさんの研究に協力でき、アロアシャ学園の運営に貢献できたことを誇りに思っていることと、多くの仲間とともにシュンドルボンツアーに参加させてもらったことに感謝をした。
それから、次々と、指名されて話を始めた。
この方は、初めて、お会いした。
ピントさん。機械設備屋さん。娘と息子と参加している。右側でメモを取っているのは、幹事のブルブルさん。
ムホンさん。同じく機械設備屋さん。
この方は、名前を忘れた。2010/10/03の日記「バングラ・イケメン俳優 Jeetu Ahsan氏 の農場にて その3」の集合写真の一番右側の人。日本に滞在経験があり、日本語が堪能で、イケメン俳優の農場で通訳をしてもらった。奥さんと子供と参加した。
モンジュールさんの片腕、マスッドさん。アロアシャ学園の研究所の責任者である。マスッドさんは、国の紅茶試験場に勤めていたが、モンジュールさんが研究所の責任者として迎えるべく、ヘッドハンティングした。奥さんと子供と参加した。
アラムさん。バングラデシュ農林水産省農業開発局の職員。奥さんと子供と参加した。
みんな、家族連れで参加している。そのため、ツアーの参加者が74人まで膨れ上がったのである。
正直、みんなベンガル語で話をしているので、何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
最後の人が終わったのが、午後11時ちょっと前。これで、2011年元旦のすべてのイベントが終わった。後は、歯を磨いて寝るだけ。明日は、船が最初に出航したクルナに戻る。