2012年08月
2012年08月18日
2012年08月17日
東根工業高校・1日遅れで無事帰国
昨日の午後4時半頃、庄司先生から、予定通りの列車で帰りますという連絡をいただいた。
広州空港で足止めを食らった山形県立東根工業高校のサスティナタウン・プロジェクトチームは、丸1日遅れの中国南方航空の成田行きの便に乗り、無事に帰国した。
早速、山形駅で庄司先生たちを迎えた。
山形駅では、出発の時と同じように校長先生や先生たち、親御さんたちが出迎えた。
校長先生から、苦労して帰国した生徒たちに労いの言葉をいただいた。バングラでの活動の様子はNPO法人アロアシャ・プロジェクトのフェイス・ブックに掲載されている。
生徒一人一人が今回の渡航の感想を話した。みんな、伝えることの難しさ、英語の重要性などコミュニケーション・ギャップについて痛感してきたようである。「井の中の蛙、大海を知らず」とは、よく言ったものだが、今回の渡航で3人は大海の素晴らしさを感じてきたに違いない。
そして、恒例の親子の握手。出発の時は、お父さんと握手し、帰国はお母さんと握手した。先生たちのカメラに向かってポーズをとる。
解散式も無事に終わり、形は無いが、大きな、お土産を持って帰った3人の生徒たち両親とともに山形の夜に消えていった。
庄司先生の話では、ダッカに1時間半以上遅れて中国南方航空の飛行機は到着したものの、乗客を乗せたまま、いつまでもエプロンを離れなかった。疲れて眠ってしまった庄司先生が目が覚めた時には、飛行機は、まだダッカ空港にいた。時計を見たら、3時間を過ぎていたという。
なぜ、遅れて到着したのかを尋ねたところ、広州で天気が悪くて遅れたとのこと。ダッカで、すぐに出発しなかったのも、広州の天候の回復を待ったということであれば、理にかなう。
後は、昨日の日記のとおりである。
また、広州空港で生徒のスーツケースが壊され(空港のターンテーブルに載せるときに乱暴に扱ったと思われる)、庄司先生のスーツケースも凹みができていた。破損の証明をもらってきたようであるが、2012/08/05の日記「今年は、中国南方航空で」で指摘した空港職員の質の悪さが露呈した。
広州では、ホテルの外には出ないで、ゆっくり寝ていたとのこと。最近、様々な事件もあり、中国は怖いというイメージがどうしても拭い去れない。
今後、ネパールに行く予定の庄司先生は、広州経由の中国南方航空を利用しようと考えていたようであるが、今回の経験で、航空会社を変える必要に迫られたようである。
庄司先生、ご苦労様でした。
2012年08月15日
東根工業高校・広州で足止め
今日、山形県立東根工業高校が帰国する予定である。
成田空港の公式サイトから到着便情報を見ていたら、30分遅れて到着したようだったので、午後3時半頃、引率の庄司先生の携帯電話してみた。
何か、呼び出し音が聞いたことがある音である。しばらく、聞き慣れたコール音の後、庄司先生が電話に出た。何か、静かである。成田空港に着いたのなら、ざわついているはずである。先生の声もコモって聞こえる。何か、変だ。
思わず、「今は、どちらにいますか?」と聞いてしまった。
「広州にいます!」と返事が返ってきた。
「広州ですか?」
聞き慣れたコール音は、国際電話のコール音であった。
庄司先生によると、ダッカ空港を3時間遅れで出発した中国南方航空は、広州空港での乗り継ぎ便に間に合わなかった。広州空港での乗り継ぎ時間が3時間30分あったにもかかわらず、成田空港行きの中国南方航空は、乗り継ぎ客を待たずに、日本に飛んでいったのである。
人は、すぐに乗り継げても、預け荷物は直ぐには乗り継げない。
中国南方航空は、庄司先生たちのホテルと食事を準備してくれたようである。しかし、いくら航空会社による不手際だとしても、生徒たちを引率している庄司先生にしてみれば、親御さんに余計な心配をかけたくない。庄司先生の心労もピークにきているようであった。
2012/08/05の日記「今年は、中国南方航空で」での心配が、現実のものになった。
明日の同じ便で帰国する。
成田空港の公式サイトから到着便情報を見ていたら、30分遅れて到着したようだったので、午後3時半頃、引率の庄司先生の携帯電話してみた。
何か、呼び出し音が聞いたことがある音である。しばらく、聞き慣れたコール音の後、庄司先生が電話に出た。何か、静かである。成田空港に着いたのなら、ざわついているはずである。先生の声もコモって聞こえる。何か、変だ。
思わず、「今は、どちらにいますか?」と聞いてしまった。
「広州にいます!」と返事が返ってきた。
「広州ですか?」
聞き慣れたコール音は、国際電話のコール音であった。
庄司先生によると、ダッカ空港を3時間遅れで出発した中国南方航空は、広州空港での乗り継ぎ便に間に合わなかった。広州空港での乗り継ぎ時間が3時間30分あったにもかかわらず、成田空港行きの中国南方航空は、乗り継ぎ客を待たずに、日本に飛んでいったのである。
人は、すぐに乗り継げても、預け荷物は直ぐには乗り継げない。
中国南方航空は、庄司先生たちのホテルと食事を準備してくれたようである。しかし、いくら航空会社による不手際だとしても、生徒たちを引率している庄司先生にしてみれば、親御さんに余計な心配をかけたくない。庄司先生の心労もピークにきているようであった。
2012/08/05の日記「今年は、中国南方航空で」での心配が、現実のものになった。
明日の同じ便で帰国する。
2012年08月12日
第1回目のワークショップ終了
山形県立東根工業高校のバングラ渡航チームは、無事、目的地であるラッシャヒに到着した。出発した日の翌日、10日に日本時間の午後12時少し前に、モンジュールさんに電話をした。
丁度、渡航チーム10人とモンジュールさん、イスラム先生たちがレストランで食事をしているところであった。渡航チームは、ラッシャヒに現地時間の午後3時(日本時間の午後6時)には到着したとのこと。山形を出発してから、約30時間の長旅で、モンジュールさんによると、みんな、お疲れモードのようである。
昨日の庄司先生のフェイスブックには、第1回目のワークショップ後の写真が掲載されていたので、引用させてもらった。写真後方には、今回の太陽光発電技術移転のワークショップのための表示板が準備されていたようだ。バングラでは、こういった表示板を事あるごとに利用する。セレモニー的なものは大変重視する、お国柄のようである。
庄司先生によると、3時間のワークショップを何とか、こなしたとホッとした様子がうかがえる。どんなワークショップになったのかは、後日、ビデオカメラ班の編集を待つことにしよう。
ちなみに、今日の日記書き込みは、リナックスOSで行った。今までは、Windowsだったが、OSも画像編集も、すべてフリーソフトで行った。OSはKnoppix ver.7、画像編集はGimp、画像縮小はWindowsバージョンの「縮小専用」がリナックス上で動いた。
リナックスは、ほぼ、Windowsと遜色なく、実用レベルに達したようである。
2012年08月09日
東根工業高校・第3次バングラ渡航チーム出発
今朝、山形県立東根工業高校の第3次バングラデシュ渡航チームが山形を出発した。山形駅には、校長先生を始め、見送りの先生や渡航する生徒の親御さんたちが集まった。
出発式では、最初に校長先生から激励のあいさつをいただいた。バングラのマンゴーシーズンとイスラム教国のオリンピック選手のラマダン(断食)を話題にされて、餞(はなむけ)のあいさつとなった。
渡航する生徒一人一人の決意表明。今回の生徒たちは、みんな大人しそうだ。
そして恒例の親子で握手。滅多に親子で握手する機会がないが、子供への激励と、しばしの別れを惜しむ。
山形駅発8時5分発つばさ128号で、一行は東京にむかった。山形からは、何度もバングラに行っている庄司先生ともう一人の先生、生徒3人、そして随行員としてNPO法人山形県自動車公益センターの伊藤さんの6人。
庄内・鶴岡からは悪友ほか2名。そして、岐阜の元JICA協力隊員の辻さんの合計10名が今回の渡航チームである。
成田からは、今回、中国南方航空を利用する。8月5日の日記で中国南方航空について書いた。広州で乗り換えて、同じ航空会社でダッカに向かう。15時30分発の広州便は45分遅れて成田空港を出発した。今頃は、乗り換えの広州空港にいる時間である。
山形県立東根工業高校は今回が最後のバングラ渡航になる。太陽光発電の技術が、バングラデシュの北西部最大の都市ラッシャヒに技術移転され、広がりを見せることを期待してやまない。
現地ラッシャヒ市長から山形県立東根工業高校がある東根市の市長へ感謝状が渡されるという。その感謝状を渡航チームが持ち帰る。
出発式では、最初に校長先生から激励のあいさつをいただいた。バングラのマンゴーシーズンとイスラム教国のオリンピック選手のラマダン(断食)を話題にされて、餞(はなむけ)のあいさつとなった。
渡航する生徒一人一人の決意表明。今回の生徒たちは、みんな大人しそうだ。
そして恒例の親子で握手。滅多に親子で握手する機会がないが、子供への激励と、しばしの別れを惜しむ。
山形駅発8時5分発つばさ128号で、一行は東京にむかった。山形からは、何度もバングラに行っている庄司先生ともう一人の先生、生徒3人、そして随行員としてNPO法人山形県自動車公益センターの伊藤さんの6人。
庄内・鶴岡からは悪友ほか2名。そして、岐阜の元JICA協力隊員の辻さんの合計10名が今回の渡航チームである。
成田からは、今回、中国南方航空を利用する。8月5日の日記で中国南方航空について書いた。広州で乗り換えて、同じ航空会社でダッカに向かう。15時30分発の広州便は45分遅れて成田空港を出発した。今頃は、乗り換えの広州空港にいる時間である。
山形県立東根工業高校は今回が最後のバングラ渡航になる。太陽光発電の技術が、バングラデシュの北西部最大の都市ラッシャヒに技術移転され、広がりを見せることを期待してやまない。
現地ラッシャヒ市長から山形県立東根工業高校がある東根市の市長へ感謝状が渡されるという。その感謝状を渡航チームが持ち帰る。