2012年09月

2012年09月29日

「チャナツールもどき」の作り方

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バングラデシュでポピュラーなスナック菓子・チャナツールのような、全く、そうでない「チャナツールもどき」の作り方。
材料
1.1年前に賞味期限の切れた非常用保存食(白米・いわゆるアルファー米) 200g(2袋)
2.ベビースター・ラーメンおつまみ(ピーナッツ入り) 1袋(63g)~2袋
3.SB カレー粉 好きなだけ
4.味塩 少々
作り方
1.材料を全部混ぜ合わせるだけ
材料1.の乾燥白米(アルファー米)は、お湯を入れて食べることを前提にして作られている。以前のアルファー米は登山用に流通していた。前から比べると美味しくはなったが、それでも白米を炊いたようなわけにはいかない。そこで、乾燥したまま食べる方法で思いついたのが、この方法。主食と言うより、ビールのつまみになる一品。ただし、米が硬いので、お年寄りや幼児には不向き。
今の日本人の柔らかい物しか食べない食習慣や柔らかい食事を美味いと誤解している状況は、決して体には良くはない。非常用食品の期限切れ対策で思いつき、予想以上に美味しかった。


himajintaro at 15:58|PermalinkComments(0)生活 

2012年09月20日

今年のジュートの出来は?

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2012/03/16の日記「ジュートの市場価格も値上がり!」で、作りすぎたはずのジュートが投機マネーにさらされて、価格高騰の憂き目にあい、ジュート農家が馬鹿を見ているという話題を書いた。
昨日のバングラ紙に、バングラ北部、ジョムナ川近くの町Madarganj Upazilaで、メインストリートが1kmにわたりジュートのマーケットが開かれているという記事が載っていた。
2006/07/10の日記「なめし革市場の渋滞」でも、メインストリートで大渋滞に巻き込まれた話を紹介した。
Madarganj Upazilaのジュート・マーケットでは、緊急車両も通れなければ、通学する子供たちも通れないと書いてあった。
ところで、今年のジュートの作柄はどうなのであろうか?
昨年は作りすぎて、農家は買いたたかれ、市場は高騰した。バングラ農業が、投機目的の標的にされることを望まない。農業が衰退するだけである。農業に関しては、バングラに日本と同じ轍を踏ませたくない。


himajintaro at 21:17|PermalinkComments(0)農業 

2012年09月19日

女優・紺野美沙子さんの講演会に行ってきた

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2012/08/30の日記「紺野美沙子講演会」に書いてある講演会に行ってきた。
山形青年会議所が主催する公開例会である。入場無料であるものの、なかなか、申し込みが少なく、メンバーは苦労していた。ポスターは地元のスパーマーケットの目立つところに張ってあった。
講演会当日、600人入るホールでも、残念ながら半分も入らなかった。有名な女優であるもののテーマが硬かったと若き会議所メンバーたちは感じたかもしれない。
紺野美沙子さんが国連の開発計画の親善大使であることは、国際NGO系の人々はよく知っている。しかし、一般の人には、なじみが薄いと思う。
14年間の親善大使としての活動の内容や国連が目指す途上国における貧困の改善目標について、パワーポイントの写真を使いながら、わかりやすく説明してくださった。
1、2年に一回の割合で、途上国に視察に行き、その状況や日本のODAがどのように使われているのかを日本で広報する。報酬は年1ドルである。アジア地域では紺野さんだけが親善大使である。他の地域の親善大使には、テニスのマリア・シャラポアやサッカーのジダン選手がいて、自身や身内が貧困や原発被害の当事者であるなど、興味深い話もされていた。
国際理解教育は次代を担う子供たちには、絶対不可欠のテーマである。偏った国粋主義は、自国を存亡の危機に陥れる。それは、最近の隣国を見れば、よくわかる事である。
しかしながら、山形は災害も少なく、平和な地域である。それが故にか、あまり、他国の国情を知ろうとしない人々が多いのかもしれない。
せっかく、紺野さんのような、きれいな女優さんが山形に来ても、途上国支援の話をすると、集まるのは主催者の縁者だけでは、大いに寂しい。これが、紺野さんが演劇をするというと人が集まるかもしれない。
今回の講演は、国際支援や国際協力を始めようとする人にとっては、きっかけとして十分であったが、国際支援をしている者としては、十分、物足りないと感じる内容ではあった。
そんな贅沢なことを言っているうちに、紺野美沙子さんのサイン入り色紙が届いた。


himajintaro at 22:39|PermalinkComments(0)女性 

2012年09月16日

私は出世はしません!

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モンジュールさんとの電話の続きから、
「ホク先生が裁判していると聞きましたが、ホク先生は元気ですか?」
「ホク先生は学部長になりました。」
ホク先生(写真左)は、モンジュールさんと同じラッシャヒ大学の教授であり、アロアシャ学園の理事をしている。
悪友によると、ホク先生は、ラッシャヒ大学の学長になる予定であったという。しかし、政権がBNP(Bangladesh Nationalist Party)から現政権のアワミ・リーグに変わった時に、約束は反故になった。このため、ホク先生は、大学を相手にしたのか、今の学長を相手にしたのか、裁判をしているという。
ホク先生は、モンジュールさんより若く、とても、学長になれるとは想像できなかった。これには、カラクリがあり、次の話から理解することができる。
「モンジュールさんなら、直ぐに学部長になれるでしょう。」
「ホク先生は、Politicsをしているから、学部長になりました。」
「私は、学部長にはなりません。学部長になると忙しくなり、仕事ができなくなります。研究もできなくなります。」
「私は、Politicsはしません。Bangladesh Strawberry Association(バングラデシュ・イチゴ協会)はしますよ。」

ホク先生は、現野党BNPの政党員で政治活動をしていたので、学長まで上り詰めようとしていた。しかし、3年前の総選挙で現与党のアワミリーグが政権を取ったために、学長の話が無くなったのである。
バングラは、大学の中で先生も学生もPolitics(政治)の活動は盛んである。熱心に政治活動をしないと出世の階段を登ることができない。しかし、政党間の抗争事件が後をたたず、残虐な殺人事件や長期にわたる大学閉鎖が度々起こっている。
ラッシャヒ大学は、日本で言う京都大学に相当し、大学生も先生も多く、以前から、単なる政治闘争だけではなく、イスラム原理主義者による殺人事件も起こっている。大学が警察により長期閉鎖されると植物を扱うモンジュールさんたちには、大きな迷惑なのである。
これに対して、モンジュールさんは政治活動など全くやる気がない。
モンジュールさんは1ヶ月半に1本の割合で論文を書き、毎年、彼の研究室を希望する学生が殺到し、ガンジー賞、ヘレンケラー賞など数々の賞を総ナメにしている。日本だったら、学部長は当たり前のこと、学長になってもおかしくない。
昔、モンジュールさんの奥さん・ボナニーさんが「自分の出世よりも、いつもバングラデシュの農民や貧しい子供たちのことしか考えていないんです。」と言っていたことを思い出す。イスラム教の五行六信の一つ「ザカート(喜捨)」を忠実に行っている。
私の職場を考えみると、政治とは無関係でないUnionの役員をすることが出世の登竜門になっている。労使交渉の相手である人事担当の部長や課長は、Unionの委員長や役員出身者である。この仕組みには以前から疑問を持っていた。以前は、組合員でないと出世は絶望的であった。今は、どうか知らないが、私は5年前、組合員を辞めた。もちろん、バングラデシュの貧しき人々に対するモンジュールさんの慈愛に満ちたザカートの影響を大きく受けていることは否定しない。


himajintaro at 19:04|PermalinkComments(2)政治 

2012年09月15日

バングラのイチゴ苗全滅!

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夕べ、モンジュールさんと話をした。
「Yamagataは、まだ、33度もあります。今年は異常です。」
「Rajshahiは30度になりました。Yamagataより涼しいですね。」
「今年は、は雨がいつもより少なかった。」
「今年は、とても暑い日が続きました。42度が毎日でした。だから、イチゴの苗が全部だめになりました。」

「イチゴをもっと涼しいところで育てた方が良いですね。お茶の試験場があるスリモンゴルが良いと思います。あそこは、涼しく、Camellia japonica(ツバキ)も育つので、pHが低いでしょう。イチゴも育つでしょう。」
「私たちも、涼しい所に植えることを考えているんです。毎年、暑くなっているから北の場所を探しています。」
モンジュールさんの住むラッシャヒは、ガンジス川の辺にあり、pH(土壌酸度)が高く、アルカリ性である。このため、イチゴの生育には適さない。
アロアシャ学園のイチゴ苗農場は、ラッシャヒの中心部から少し北よりに10エーカー(4ヘクタール)の農地を借りている。ここは、ラッシャヒよりpHが少し低い。
スリモンゴルは、国の紅茶試験場があり、ツバキ科の茶が育つのでpHも低いはずである。丘陵があり、モンゴリアンの少数民族が、山間でパイナップルや茶を育てて暮らしを維持している。
次はメロンの話。
「Melonは、1つのPlant(株)に1つのfruit(実)か、2つのfruitにしてください。大きく育てたいときは、1つだけにしてください。」
「それから、花が咲いてfruitを選ぶ前に、小さなfruitを取りますね。このとき、小さなfruitは捨てないで、Baby Melon(メロン子)という名前にして、野菜として売ってください。山形では、Pickles(漬け物)にして食べます。美味しいですよ。野菜にすれば、儲かります。」
「おもしろいですね。そういうことは、ベンガル人は全然知りませんでした。メロンはいろいろな問題がありましたが、ほとんど、教えてもらって、わかりました。」
山形県の日本海側を「庄内・しょうない」と呼び、砂丘メロンの一大産地になっている。メロンは、一つの株に1~2個を付けさせる。それ以外の実は摘果(てきか・摘み取る)する。
山形では、その実を「メロン子」という名前で売っている。写真のような漬け物にするのが一般的である。
他県にもあるのか、すでに秘密の県民ショーに出たかどうかわからないが、それなりの価値はある。この「メロン子」をバングラでも売ろうと提案したのである。
メロンは、ウリミバエという、とんでも無いハエが実に入って9割以上がダメになっていた。それを「おびき出し」と「ネット」により9割以上を製品化することに成功した。
成功した以上は、できるだけ大きく、甘くて美味しいメロンを作ることに技術を向上させなければならない。そして、利益を上げるためには、捨てるような小さなメロンも野菜として売ることをビジネスチャンスとしなければならない。
イチゴは、土の上では全滅したが、試験管の中に、たくさん眠っている。バイオテクノロジーの研究所を持っている。単なる苗作りの農家ではない。これが、アロアシャ学園の最大の強みである。
イチゴの次はメロンである。


himajintaro at 21:02|PermalinkComments(0)農業