2013年01月
2013年01月28日
2013年01月22日
次男、初めての海外旅行
何とか、悪友のトラブルを解消し、羽田空港で搭乗手続きを済ませた。羽田からの出発は、2010年の暮れにキャセイパシフック便、香港乗り換えドラゴン便以来2度目である。
次男にとっては、初めての海外旅行がバングラデシュである。長男も長女も、みんな、初めての海外旅行がバングラデシュであった。
タイ航空は、2000年1月のアロアシャ学園新校舎オープニングセレモニー参加以来、12年ぶりの利用である。意外にタイ航空の利用が少なかったのは、バンコクに夜着いて、翌日の昼にダッカに向かうため、バンコクのホテルでトランジットしなければならないという不便さがあった。
今回、羽田発0時20分で、早朝、バンコクに着き、空港で5時間の待ち時間はあるものの、ダッカには昼12時30分には着けるという便利さがあった。
バンコク到着2時間前に出た朝食。ツナマヨのおにぎりは、羽田を飛び立って、直ぐの夜食。日本で積み込んだ朝食だけに、味には違和感なく、次男もあっさり、初の国際線の食事を平らげた。
特徴的なのは、スプーンやナイフが金属であること。以前は、どの航空会社も自社のロゴ入りの金属であった。しばらく、キャセイやドラゴンのプラスチック製に慣れていたために、金属製は新鮮であった。
タイ航空のバンコク便は、定刻の午前5時20分に、新しいバンコク空港に到着した。
次男にとっては、初めての海外旅行がバングラデシュである。長男も長女も、みんな、初めての海外旅行がバングラデシュであった。
タイ航空は、2000年1月のアロアシャ学園新校舎オープニングセレモニー参加以来、12年ぶりの利用である。意外にタイ航空の利用が少なかったのは、バンコクに夜着いて、翌日の昼にダッカに向かうため、バンコクのホテルでトランジットしなければならないという不便さがあった。
今回、羽田発0時20分で、早朝、バンコクに着き、空港で5時間の待ち時間はあるものの、ダッカには昼12時30分には着けるという便利さがあった。
バンコク到着2時間前に出た朝食。ツナマヨのおにぎりは、羽田を飛び立って、直ぐの夜食。日本で積み込んだ朝食だけに、味には違和感なく、次男もあっさり、初の国際線の食事を平らげた。
特徴的なのは、スプーンやナイフが金属であること。以前は、どの航空会社も自社のロゴ入りの金属であった。しばらく、キャセイやドラゴンのプラスチック製に慣れていたために、金属製は新鮮であった。
タイ航空のバンコク便は、定刻の午前5時20分に、新しいバンコク空港に到着した。
2013年01月21日
最初が肝心、初っ端からトラブル
羅名さんの店「牛将」での忘年会を中座させてもらい、「牛将」の真ん前の「堀切菖蒲園駅」から京成本線に乗り込んだ。成田側に2駅目の「青砥駅」で京急に乗り換え、羽田空港への直通急行に乗った。
羅名さんの住む葛飾・堀切は便利な所にある。成田空港にまっすぐ行けるし、羽田空港へも1回の乗り換えで済む。
ここまでは、順調であった。
トラブルが起きたのは、羽田空港国際線のチェックインカウンターであった。
2013/01/03の日記「トラブルメーカー」でも書いたように、悪友がタイ航空から電子メールで送られてきた説明書をよく読まずに、Eチケットも電子決済で使ったクレジットカードも忘れて来たのだ。忘れたと言うより、全く、説明書を見ていないので、持ってくる意志がなかったというのが正確だ。
よりによって、クレジットカードは、全く別のものを持ってきた。
クレジットカードは、4桁の番号が4つのグループに分かれている。航空会社は、3つ目のグループの番号を確認しないと搭乗券を渡してくれない。カードの番号を確認するため、FAXを空港に直接送れないかとカウンターの係員が親切に教えてくれた。
悪友の奥方が、何とか送ってみたものの、なかなか、カードが光ってハレーションを起こし、文字がよく見えない。夜、10時近い。奥方が頑張っている様子が、ひしひしと感じ取れる。もしも、読み取ることが不可能であれば、悪友は、バングラには行けない。時間だけが、刻々と迫ってくる。
悪友には、我々と同じグループ扱いで搭乗しなければならないワケがあった。預け荷物が20Kgを遙かに超えて、超過料金を取られる。我々は2人で36kgで4kgの余裕があった。それを悪友は利用したかった。
何とか、悪友の奥方の努力が実り、数字を読み取ることができた。
結局、預け荷物は3人で61kgであった。1kgは目をつぶってもらった。悪友は5kgオーバーの追加料金を取られずに済んだ。
もしも、悪友の奥方が留守だったら、悪友は自宅に帰らなければならなかった。
この日は、相当、奥方の機嫌を損ねたに違いない。電話でのやり取りでよくわかる。帰国後、奥方は機嫌が悪かったという。当たり前である。パスポートだけで乗れていた航空会社に慣れすぎたことによるトラブルである。
慣れは、人間をダメにすることもある。
今回の渡航でのトラブルの序章であった。
2013年01月20日
焼き肉「牛将」で大忘年会!
マンゴー社長との会談が終わり、引き続き、羅名さんの学校建設のため、組織をどうするかの話し合いがなされた。
羅名さんたちの事務局長の平井さんも話し合いに参加して、「真面目な」話し合いがなされた。
マンゴー社長との話が「不真面目」だったわけではないが、雲をつかむような話とはちょっと違う。
1時間ちょっとの会合の後、羅名さんの店「牛将」に移動し、今年最後、日本で最後の忘年会を盛大におこなった。
羅名さんは、炭火焼き肉「牛将」の主人の風貌と顔つきをしている。これが、バングラデシュに行くと、丸っきり変わる。この話は、後日、紹介する。
次男は、内臓系が大好きで、「牛将」の焼き肉がたまらなく美味しかったようだ。
2012/12/11の日記「羅名さんの店が人気番組に出た!」の番組を見ていたら、「豚足焼き」の張り紙を見つけたので、豚足焼きをいただいた。食べやすく切られていて、単純に茹でた豚足を食べるイメージが丸っきり吹っ飛んだ。
テレビ朝日お願い!ランング「芸能人行きつけ店人気メニューBEST3 全て当てるまで帰れま3」の収録が終わり、もしかしたら、放映されないとテレビ局から言われたという裏話も、羅名さんからお聞きして、楽しい時間を過ごした。
「羅名さん、男前だね!」と言うと、サービスで出てくる「堀切ハイボール」。最初の乾杯の一杯は、ビールであったが、後からは、「堀切ハイボール」ばかり、飲んでいた。
忘年会には、羅名さんの所属している一般社団法人「日本バングラデシュ協会」の理事さんたちも参加した。悪友は、社会貢献の意味もよく知らない理事たちの話し相手になってもらい、私は、事務局長の平井さんや羅名さん、次男と話をしていた。
今日は、クリスマスイブなのに、皆、家庭サービスをほったらかしにして、堀切菖蒲園駅前・炭火焼き肉「牛将」に集まった。
一般社団法人「日本バングラデシュ協会」は、もう一つ、同じ名前の法人があることは、以前から知っていたが、詳しい話をこの日知った。その法人から解散のプレッシャーを受けたこと、さらに、その法人の理事でベンガル人がいることを知ることになった。羅名さんも会ったことのないベンガル人理事であった。
そして、そのベンガル人理事に今回の渡航で、バングラで会うことになるとは、このときは、夢にも思わなかった。
羅名さんたちの事務局長の平井さんも話し合いに参加して、「真面目な」話し合いがなされた。
マンゴー社長との話が「不真面目」だったわけではないが、雲をつかむような話とはちょっと違う。
1時間ちょっとの会合の後、羅名さんの店「牛将」に移動し、今年最後、日本で最後の忘年会を盛大におこなった。
羅名さんは、炭火焼き肉「牛将」の主人の風貌と顔つきをしている。これが、バングラデシュに行くと、丸っきり変わる。この話は、後日、紹介する。
次男は、内臓系が大好きで、「牛将」の焼き肉がたまらなく美味しかったようだ。
2012/12/11の日記「羅名さんの店が人気番組に出た!」の番組を見ていたら、「豚足焼き」の張り紙を見つけたので、豚足焼きをいただいた。食べやすく切られていて、単純に茹でた豚足を食べるイメージが丸っきり吹っ飛んだ。
テレビ朝日お願い!ランング「芸能人行きつけ店人気メニューBEST3 全て当てるまで帰れま3」の収録が終わり、もしかしたら、放映されないとテレビ局から言われたという裏話も、羅名さんからお聞きして、楽しい時間を過ごした。
「羅名さん、男前だね!」と言うと、サービスで出てくる「堀切ハイボール」。最初の乾杯の一杯は、ビールであったが、後からは、「堀切ハイボール」ばかり、飲んでいた。
忘年会には、羅名さんの所属している一般社団法人「日本バングラデシュ協会」の理事さんたちも参加した。悪友は、社会貢献の意味もよく知らない理事たちの話し相手になってもらい、私は、事務局長の平井さんや羅名さん、次男と話をしていた。
今日は、クリスマスイブなのに、皆、家庭サービスをほったらかしにして、堀切菖蒲園駅前・炭火焼き肉「牛将」に集まった。
一般社団法人「日本バングラデシュ協会」は、もう一つ、同じ名前の法人があることは、以前から知っていたが、詳しい話をこの日知った。その法人から解散のプレッシャーを受けたこと、さらに、その法人の理事でベンガル人がいることを知ることになった。羅名さんも会ったことのないベンガル人理事であった。
そして、そのベンガル人理事に今回の渡航で、バングラで会うことになるとは、このときは、夢にも思わなかった。