2013年08月
2013年08月31日
余興は始まる、モンジュールさんは来ない。
セレモニーで使った雛壇が撤去され、余興が始まった。
歌手が次々と唄い、タヌキオヤジが知っている曲も歌われて、思わず口ずさんでしまった。歌手はプロのようだ。単に歌が上手いのではない。アンプは使っているのだが、歌唱力がある。これは、Mahbubar Rahmanさんは、金を掛けたなと思った。
もう一つ、気がついたのが、楽器である。キーボードと電子ドラムだけの演奏で、いろいろな楽器の音が聞こえる。バングラポップスのCDはたくさん持っているが、楽器は電子機器だけの最小構成でレコーディングしているのかもしれない。
上の写真2枚は、マイケル・ジャクソンの形態模写である。ちょっと、小太りのマイケルである。これは、大受けであった。バングラでは、マイケル・ジャクソンは健在であった。
余興は始まったが、モンジュールさんは来ない。朝、霧が晴れたらラッシャヒを出ると言っていたが、もう、来ても良い時間であるが、まだ、現れない。時間通りに事が運ばないのがバングラデシュ。期待すると裏切られる。
日本に住んでいるベンガル人は、みんな、バングラ時間をよく思っていない。日本に住み、事業家のルンジュさんのモットーは、「時は金なり」である。
歌手が次々と唄い、タヌキオヤジが知っている曲も歌われて、思わず口ずさんでしまった。歌手はプロのようだ。単に歌が上手いのではない。アンプは使っているのだが、歌唱力がある。これは、Mahbubar Rahmanさんは、金を掛けたなと思った。
もう一つ、気がついたのが、楽器である。キーボードと電子ドラムだけの演奏で、いろいろな楽器の音が聞こえる。バングラポップスのCDはたくさん持っているが、楽器は電子機器だけの最小構成でレコーディングしているのかもしれない。
上の写真2枚は、マイケル・ジャクソンの形態模写である。ちょっと、小太りのマイケルである。これは、大受けであった。バングラでは、マイケル・ジャクソンは健在であった。
余興は始まったが、モンジュールさんは来ない。朝、霧が晴れたらラッシャヒを出ると言っていたが、もう、来ても良い時間であるが、まだ、現れない。時間通りに事が運ばないのがバングラデシュ。期待すると裏切られる。
日本に住んでいるベンガル人は、みんな、バングラ時間をよく思っていない。日本に住み、事業家のルンジュさんのモットーは、「時は金なり」である。
2013年08月30日
2013年08月29日
祝辞と頂き物
先生たちの自己紹介や関係者の挨拶の後、お偉方の祝辞が始まった。
覚悟はしていたが、日本人の代表として祝辞の番が回ってきた。当然、ベンガル語はまともには話せないので、通訳をしてもらった。通訳はタヌキオヤジの右側に立っている、ルンジュさんの友人・山口チャンダさん。とても流暢な日本語を話す。
祝辞の概要は次の通りである。
「オープニングセレモニーに3人もお呼びいただきありがとうございます。学校の建物も近代的で、教育方針もしっかりしていて、大変素晴らしい学校だと思います。何より、先生たちがみんな美人でエクセレントであることが、大変羨ましいことです。」
ここで、笑いを取った。
「日本は、第二次大戦後、目覚ましい復興を遂げ、世界に通用する素晴らしい品質の製品を作れる国になりました。皆さんが知っている日本の会社はたくさんあると思います。TOYOTA、HONDA、そして最近のバングラデシュのアパレル産業ではユニクロなど多くの会社が有名になりました。」
ここで、会場から拍手。
「先生たちにお願いしたいことは、どこかの国のようなコピー製品を作ることしかできない人材を育てることではなく、日本のようにオリジナルな物を作れる発想をもつ人材を育てていただきたい。それが、これからのバングラデシュを豊かな国にすることです。」
「本日は、おめでとうございます。」
オープニングセレモニーで、今まで手にしたことのない頂き物をした。中に彫られてある英文を直訳すれば、「ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの代表からの賞賛」となるが、何も褒められることをしていない。
日本的には感謝状になるのであろうか。でも、感謝されることは、まだ、何もしていない。堅いことは言わずに、これから、ルンジュさんに協力していけば良いことなのであろう。ルンジュさんに協力していくつもりで、パブナに来たのだから。
ところで、前述の山口チャンダさんであるが、奥さんもベンガル人で、日本在住であるが、訳あって山口姓になった。チャンダさんとは日本では一度もお会いしたことがないのであるが、存在はわかっていた。ルンジュさんに聞いたわけでもない。まさか、SAKURA学校のオープニングセレモニーでお会いするとは夢にも思わなかった。
覚悟はしていたが、日本人の代表として祝辞の番が回ってきた。当然、ベンガル語はまともには話せないので、通訳をしてもらった。通訳はタヌキオヤジの右側に立っている、ルンジュさんの友人・山口チャンダさん。とても流暢な日本語を話す。
祝辞の概要は次の通りである。
「オープニングセレモニーに3人もお呼びいただきありがとうございます。学校の建物も近代的で、教育方針もしっかりしていて、大変素晴らしい学校だと思います。何より、先生たちがみんな美人でエクセレントであることが、大変羨ましいことです。」
ここで、笑いを取った。
「日本は、第二次大戦後、目覚ましい復興を遂げ、世界に通用する素晴らしい品質の製品を作れる国になりました。皆さんが知っている日本の会社はたくさんあると思います。TOYOTA、HONDA、そして最近のバングラデシュのアパレル産業ではユニクロなど多くの会社が有名になりました。」
ここで、会場から拍手。
「先生たちにお願いしたいことは、どこかの国のようなコピー製品を作ることしかできない人材を育てることではなく、日本のようにオリジナルな物を作れる発想をもつ人材を育てていただきたい。それが、これからのバングラデシュを豊かな国にすることです。」
「本日は、おめでとうございます。」
オープニングセレモニーで、今まで手にしたことのない頂き物をした。中に彫られてある英文を直訳すれば、「ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの代表からの賞賛」となるが、何も褒められることをしていない。
日本的には感謝状になるのであろうか。でも、感謝されることは、まだ、何もしていない。堅いことは言わずに、これから、ルンジュさんに協力していけば良いことなのであろう。ルンジュさんに協力していくつもりで、パブナに来たのだから。
ところで、前述の山口チャンダさんであるが、奥さんもベンガル人で、日本在住であるが、訳あって山口姓になった。チャンダさんとは日本では一度もお会いしたことがないのであるが、存在はわかっていた。ルンジュさんに聞いたわけでもない。まさか、SAKURA学校のオープニングセレモニーでお会いするとは夢にも思わなかった。
2013年08月28日
SAKURA学校開校式の始まり
2012年12月28日、バングラデシュのパブナ・カシナプールにあるジャパン・フレンドシップ・アカデミーのSAKURA学校のオープニングセレモニーが始まった。
会場に造られたステージに、来賓として招かれた地元の首長などのお偉方に混じって、我々日本人3人も雛壇に座った。こういうのは、あまり慣れてはいない。落ち着かない。アロアシャ学園でも、たびたびセレモニーが行われ、ほとんど雛壇に自分の席があるが、最初から席を離れて写真ばかり撮っている。
今回は、自由気ままにできるアロアシャ学園とは違い、おとなしく、ずーと座っていた。だから、雛壇で自分が写っている写真が、今回はあるのである。
会場には、生徒たち、先生、それに生徒の保護者や地元の人や関係者で多くの人たちが集まっていた。アロアシャ学園のオープニングセレモニーの時は、1,000人以上集まった記憶がある。
学校の先生は、女性たちだけであったが、みんな、きれいでエクセレンスな先生ばかりで、ちょいと、羨ましさを感じざるを得なかった。ルンジュさんによると、男性より女性の方がサラリーが安いということも女性の先生だけになっている理由の一つのようであった。
会場に造られたステージに、来賓として招かれた地元の首長などのお偉方に混じって、我々日本人3人も雛壇に座った。こういうのは、あまり慣れてはいない。落ち着かない。アロアシャ学園でも、たびたびセレモニーが行われ、ほとんど雛壇に自分の席があるが、最初から席を離れて写真ばかり撮っている。
今回は、自由気ままにできるアロアシャ学園とは違い、おとなしく、ずーと座っていた。だから、雛壇で自分が写っている写真が、今回はあるのである。
会場には、生徒たち、先生、それに生徒の保護者や地元の人や関係者で多くの人たちが集まっていた。アロアシャ学園のオープニングセレモニーの時は、1,000人以上集まった記憶がある。
学校の先生は、女性たちだけであったが、みんな、きれいでエクセレンスな先生ばかりで、ちょいと、羨ましさを感じざるを得なかった。ルンジュさんによると、男性より女性の方がサラリーが安いということも女性の先生だけになっている理由の一つのようであった。
2013年08月25日
お巡りさんといっしょ
SAKURA学校のオープニングセレモニーが始まる前に、警備で来ていた「お巡りさんといっしょ」に撮った一枚。モンジュールさんは、「パブナは危ないところだから」と言っていたことを思い出すような、警戒態勢か?と一瞬感じた。
バングラデシュに初めて行ったとき、ライフルを持った警官が町の所々に立っていて、ドキッとしたことを思い出す。モンジュールさんに、なぜ、警官が町中にいるのか尋ねたところ、「ヒマだからでしょ。」と返事が返ってきた。今では、警官を見てもドキッとしなくなった。単純にヒマを扱いているから、ただ、町中にいるだけなのだということを理解できるようになったのである。
今回のオープニングセレモニーでは、何かあったときの用心と言うことで、地元警察に顔の利くMahbubar Rahmanさんが手配してくれていたのである。ただ、ルンジュさんの話では、SAKURA学校の設立には、地元の人たちの中には、おもしろくない人たちもいると聞いた記憶がある。ベンガル人にありがちなジェラシーなのだろうと簡単に片付けられようになった。
セレモニーが始まる直前、芳名簿に日本人一人一人が名前と住所を記入した。博物館などに行くと芳名簿が置いてあるところがあり、係員から書いてくれと言われることがある。だいぶ前、長女とダッカのラールバーグ フォートに行ったとき以来である。