2013年09月

2013年09月29日

ニンジンの出荷

SAKURA学校のオープニングイベントの翌朝、すぐに、学校を後にしなければならなくなった。モンジュールさんの日程に合わせて、パブナのどこかで会合があるので、そこに参加するというのである。
ルンジュさんは、我々、日本人にパブナでゆっくりしてもらうようにスケジュールを組んでくれていたのだが、モンジュールさんの言わばワガママに付き合わされるはめになった。モンジュールさんだけなら、付き合うのは苦痛ではないが、他人に迷惑をかけてまでと思うのが普通である。
SAKURA学校のセレモニーに遅れて、自分の参加する会合の時間には間に合わせるというのは、理不尽と思いながら、会合の場所にルンジュさんの用意してくれたワゴン車で向かった。
会合が始まるまで、時間があったので、ニンジンの出荷作業を見て暇つぶしをした。
麻袋では小さいのか、袋の入り口を別の布をつなぎ、大きい袋にしてニンジンを詰めて、トラックに積んでいった。
見ていたら、二枚目の写真の真ん中のオッさんがニンジンをくれたので食べてみたら、甘くて美味しいニンジンであった。このあたりは、ニンジンの一大産地だという。
この後、いつもの事ながら、市中引き回しが始まった。SAKURA学校のオープニングセレモニーの開催日の翌日に合わせて、モンジュールさんたちの会合の日程が決められた感がしてならなかった。
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himajintaro at 10:11|PermalinkComments(0)農業 

2013年09月22日

SAKURA学校のゲストルーム

SAKURA学校のオープニングセレモニーの夜、日本人は、学校のゲストルームに泊めてもらった。
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上の写真は、セレモニーの翌朝の写真。相変わらず、悪友が寝ている。
ここから、下の写真は、ゲストルームのサニタリー部分の写真。創設者のMahbubar Rahmanさんのこだわりが設備に反映されている。日本人が泊まるという前提で、快適な環境を作り出している。
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今は、居住空間として普通に使っているが、いずれ、ゲストルーム専用にしたいとのこと。一般家庭でバスタブがあるのは、バングラデシュでは贅沢である。


himajintaro at 19:52|PermalinkComments(0)ルンジュさん 

2013年09月19日

ネパールからのお土産

今日、この夏、太陽光発電パネルの設置のため、高校生とともにネパールに渡航した山形県立東根工業高校の庄司先生が、お土産を持ってタヌキオヤジの職場を訪ねてくれた。
特に餞別をしたわけでもなかったが、わざわざ、お土産まで買ってきて下さった。恐縮である。
写真左が、インド製のチャナツール。右はネパール製のレギュラーコーヒー。帰宅して、早速、レギュラーコーヒーをいただいた。深煎りで苦味があるが、いつまでも苦味が残らない。コーヒーは暑いところでは育たない。我が家にもコーヒーの木があるが、真夏には決して外には置いておけない。葉が焼けて、木が弱ってしまう。ネパールにコーヒーの木があっても不思議ではない。
チャナツールは、明日、食べてみようと思う。バングラ産のチャナツールが自宅にあるので食べ比べてみることにする。
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山形県立東根工業高校の太陽光発電パネルでの国際支援は、モンゴルに始まり、続いてバングラデシュ、そしてネパールで終了した。
東根工業高校は、昭和23年、県立東根高校として創立し、昭和37年に東根工業高校として現在に至るが、来春、山形県立村山農業高校と統合合併し、村山産業高校となり、66年の歴史を終えようとしている。
東根工業高校の活動は、高校の英語の教科書にも取り上げられた。新聞記事のとおり、ネパールでの活動は優秀の美を飾った。
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himajintaro at 20:53|PermalinkComments(0)東根工業高校 

2013年09月18日

ルンジュさんの奥様から写真の説明をいただいた

ルンジュさんの奥様からいただいた写真の説明を送っていただいた。
『その1の写真、日本人3人がかしこまって
写真に収まった1枚の右端の女性』
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『その2の双子と一緒の女性』
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『その3の緑のサリーの女性、青のサリーの女性
全て同一女性です(笑)』
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『そして、この女性は、ラーマンさんの奥さんと子供達です。
あとは、子供達の友達とその家族と思われます。』

『ラーマンさん』とは「Japan Friendship Academy」の創設者 Mahbubar Rahmanさんのことである。
写真とは、真実を写すと書くが真心を写すとも書く。また、写真は一瞬芸でもある。
同じ女性が、毎回、違う雰囲気に撮れている。多分、同じ女性であろうと内心感じていたが、間違うと失礼なので、ルンジュさんの奥様に説明していただいた。
しかし、女性の「写真」はある意味恐ろしい。
経験上、見合い写真にどれだけ騙されたことか。


himajintaro at 12:00|PermalinkComments(0)ルンジュさん 

2013年09月17日

みんな留学して大丈夫?

モンジュールさんの教え子で、3年前、ラッシャヒ大学の教員になったカリムさんが、博士号取得のためにマレーシアに留学した。彼は、アロアシャ学園の研究所のメンバーでもある。
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それからもう一人、同じモンジュールさんの教え子で、ラッシャヒ大学の教員を目指していたブルブルさんも博士号取得のためカナダに留学した。彼もアロアシャ学園の研究所のメンバーである。
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二人とも、アロアシャ学園の校長だったモーシン・アリさんが学校を辞めてから、アロアシャ学園や研究所の中心的な役割を担ってきた。
ブルブルさんには、いつもダッカに迎えに来てもらっていた。
その二人が、この数週間のうちに相次いで、バングラ国外に出てしまった。二人とも、Facebookの友達なので、いつでも連絡がとれるが、留学を知ったのもFacebookであった。
ただ、一抹の不安がよぎる。
今まで、アロアシャ学園設立後、国外に留学したアロアシャ学園の関係者でアロアシャ学園に残っている人間はいない。
モンジュールさんの弟、カマルさん。東北大学インド哲学で博士号取得後、金の魔力に取り憑かれ、アロアシャ学園に魅力を感じず、カナダに移住。
ラシャヒ大学教員で学園の理事だったシャポンさん。徳島大学土壌物理学で博士号取得後、学園の教師だった妹が学園でトラブルを起こし、離れていった。
ラシャヒ大学教員で学園の理事だったジャマルさん。山形大学農学部で博士号取得後、もともと日本に留学したいがために学園に近づいてきたので目的達成後は、学園には一度も足を運ばなかった。
学園校長だったアリさんの弟、ショフィーさん。佐賀大学ハイポリマーで博士号取得後、バングラデシュを離れカナダに移住。
みんな、日本で博士号を取得した人間ばかり。4人とも、日本にいる間、多少の差はあるけれど、皆、金の魔力に取り憑かれ、ボランティアやバングラデシュの建国なんて馬鹿馬鹿しく感じてしまったのかもしれない。
日本に国費留学(日本の文科省の費用)した留学生は、日本で留学手当をたんまり貯めこんで、大金を母国に持ち帰るパターンが多い。
日本は、海外留学生の魂を抜いてしまうほど、なんて恐ろしい国なのか。
カリムさんとブルブルさんには、魂を抜かれずに、バングラデシュに戻ってきて欲しい。


himajintaro at 12:00|PermalinkComments(0)アロアシャ学園