2014年06月
2014年06月29日
新しいメインマシンへの切り替え
昨日の日記でも紹介したように、今までメインマシンとしてブログの更新に使っていたノートPCがロートル化してきたので、新しいデスクトップパソコンを組み立て、データーの移行を進めてきた。
上のノートパソコン、2台とも悪友から貰ったものである。
左側は、ゲートウェイ製。もともと、セルロンCPU(セントラル・プロセッシング・ユニット。コンピュータの心臓部)だったものを近所の知り合いから壊れたノートパソコンを部品取りとして貰い受け、そのPCからコア2ディオCPUを外して載せ替えて処理スピードを早くした。
右側は、悪友がバングラで盗まれたPCと同じパナソニックのレッツノート(軽くて丈夫なので、新聞記者に愛好者が多い)。ハードディスクを今流行のSSD(ソリッド・ステート・ディスク)に取り替えようと分解しているうちに、キーボードの手前のポインティング・マウスのケーブルを引きちぎって、使えなくしてしまい、ケーブルが簡単に手に入らないことを悲観して、部品取りとしてタヌキオヤジのもとに送られてきたものである。
実際は、ケーブルはハサミと紙ヤスリがあれば、簡単に直せることを悪友は知らなかった。ただ、タヌキオヤジの部品コレクションの中に同じケーブルがあったので、すぐに付け替えて普通に使ってきた。このPCには、WindowsならぬLinux(リナックス)OS(オペレーティング・システム、基本ソフト)を入れて使っている。
2台のノートパソコンともブログの更新に必要な写真修正や縮小のソフトが入っている。しかし、写真を見て、おわかりいただけるかと思うが、特に右側のマシンはポインティング・マウスの左ボタンの塗装が剥げているように、ほとんど、使えなくなった。左側もポインティング・マウスの左ボタンが利かなくなり始めた。また、左側のマシンは、性能以上に負荷を掛け続けてきたので、Windowsのシステムに異常が出始めてきた。
そこで、高負荷に耐える新しいメインマシンを1年以上かけて部品を集めて、組み立てることになった。
CPUはインテルのi5で今一番速い4690、上位のi7は、ちょいと高いので、安くなったら(円安なので、簡単に安くならない)載せ替える予定。
ディスプレーは、昨年のうちにDELLのモニターを買っておいた。このモニターの優れたところは、モニターを90度回転させて縦にして使えること。長い文章を書くときには、大変便利である。
そして、何といっても最大の特徴はCPUを冷やすためのクーラーが今までのファン型ではなく、水冷型になり、車と同じようにラジエターで冷やす方式となった。このため、パソコン全体の温度の上昇を防ぐことができ、夏の暑い時期でもパソコンに負荷が掛からなくなった。
このパソコン組み立てとデータの移行に、何週間も、掛かっていた。
上のノートパソコン、2台とも悪友から貰ったものである。
左側は、ゲートウェイ製。もともと、セルロンCPU(セントラル・プロセッシング・ユニット。コンピュータの心臓部)だったものを近所の知り合いから壊れたノートパソコンを部品取りとして貰い受け、そのPCからコア2ディオCPUを外して載せ替えて処理スピードを早くした。
右側は、悪友がバングラで盗まれたPCと同じパナソニックのレッツノート(軽くて丈夫なので、新聞記者に愛好者が多い)。ハードディスクを今流行のSSD(ソリッド・ステート・ディスク)に取り替えようと分解しているうちに、キーボードの手前のポインティング・マウスのケーブルを引きちぎって、使えなくしてしまい、ケーブルが簡単に手に入らないことを悲観して、部品取りとしてタヌキオヤジのもとに送られてきたものである。
実際は、ケーブルはハサミと紙ヤスリがあれば、簡単に直せることを悪友は知らなかった。ただ、タヌキオヤジの部品コレクションの中に同じケーブルがあったので、すぐに付け替えて普通に使ってきた。このPCには、WindowsならぬLinux(リナックス)OS(オペレーティング・システム、基本ソフト)を入れて使っている。
2台のノートパソコンともブログの更新に必要な写真修正や縮小のソフトが入っている。しかし、写真を見て、おわかりいただけるかと思うが、特に右側のマシンはポインティング・マウスの左ボタンの塗装が剥げているように、ほとんど、使えなくなった。左側もポインティング・マウスの左ボタンが利かなくなり始めた。また、左側のマシンは、性能以上に負荷を掛け続けてきたので、Windowsのシステムに異常が出始めてきた。
そこで、高負荷に耐える新しいメインマシンを1年以上かけて部品を集めて、組み立てることになった。
CPUはインテルのi5で今一番速い4690、上位のi7は、ちょいと高いので、安くなったら(円安なので、簡単に安くならない)載せ替える予定。
ディスプレーは、昨年のうちにDELLのモニターを買っておいた。このモニターの優れたところは、モニターを90度回転させて縦にして使えること。長い文章を書くときには、大変便利である。
そして、何といっても最大の特徴はCPUを冷やすためのクーラーが今までのファン型ではなく、水冷型になり、車と同じようにラジエターで冷やす方式となった。このため、パソコン全体の温度の上昇を防ぐことができ、夏の暑い時期でもパソコンに負荷が掛からなくなった。
このパソコン組み立てとデータの移行に、何週間も、掛かっていた。
2014年06月28日
出版祝賀会の案内をもらった!
今日、午後、友人S氏から電話をもらった。
「今、元東根工業高校から、郵便物とどいで、案内もらったんだげど.........。」
S氏が山形県立東根工業高校改め山形県立村山産業高校から「世界を照らす僕たちの手作り太陽電池パネル」出版披露祝賀会の案内をもらったのと同じ時間にタヌキオヤジも同じ郵便を受け取って、中身を見ていたときにS氏から電話が来た。
S氏は都合により欠席するので、お祝いを持って行ってもらえないかという話であった。
本の出版については2014/05/25「東根工業高校の太陽光発電が本になった!」と2014/06/03「高校生 頑張ってるね!」で紹介してきた。
S氏から、お祝いを預かって、祝賀会に出席することにした。
最近、ブログの更新が疎かになってきたが、メインPCがロートル化してきたので、メインマシンの切り替えに時間がかかっていた。その内容は、明日、紹介する。
2014年06月18日
本日、免許皆伝
2014/05/31「就活のための「習い事」開始」が無事終了し、本日、上の写真のように免許皆伝を賜った。今回の「習い事」は、写真の赤枠の部分。
大型特殊車両運転免許、略して「大特(だいとく)」。
自宅の近所にある道場に通うこと5日。最後の日は、「卒業検定」なる師匠の厳しい査定を受け、見事に合格した。
道場の並み居る師匠の方々から、皆、口をそろえて、「除雪ですか?」と詰問された。
そう、除雪をしていた中小の零細建設会社は、軒並み倒産し、生き残った会社は、皆、東日本大震災の仕事に人手を取られ、除雪をするオペレーターはいなくなった。
困ったのは、他でもない道路を除雪をしてもらえない市民。もちろん、今まで高圧的だった役場の木っ端役人たちも、公共事業に見向きもしなくなった建設会社には、お手上げの状態である。
タヌキオヤジは、声を大にして「除雪のため『大特』を取ったのではない。」と言いたかった。本当は、「バングラで大型トラクターやパワーショベルを使うためだ。」と言いたかったが、説明がめんどうなので止めた。
日本国内で、この「大特」を取っても、公道で運転することは出来るが、実際の作業は機種毎に高い講習料を払って、「技能講習」と呼ばれる講習を受けないといけない。この講習は、警視庁所管の公安委員会ではなく、厚生労働省で定められた研修所でないと受講することはできない。日本流、縦割り行政の最たるものである。
この講習はインターナショナルな資格ではない。公安委員会の発行する国際免許こそがインターナショナルの資格である。このため、最初に「大特」を取った。実際の大型特殊車両の操作方法は講習を受けないと覚えられない。
だから、本日の免許皆伝は、日本の公道での免許皆伝。作業は、別の道場に行って習うことにする。
今回、5年毎の免許更新と「大特」の取得を重ねた。重ねることにより、更新ではなく、追加取得という扱いとなり、更新時の講習を受ける必要がなく、更新に必要な手数料は不要となった。更新時期を5年延長するということになった。
5年後、また、新しい免許を重ねると更新が伸びることになるのである。
2014年06月15日
先生たちと「ワークショップ」もどきをした。
ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの放課後、先生たちと「ワークショップ」もどきをした。
いきなりワークショップとなると、説明の時間やとりまとめの時間に相当時間を割かなければならないと考えた末、簡易型のアロアシャ学園でも行った方法を取った。
テーマは、「この学校でしたいこと」 どうすれば、「この学校が良くなるか」の2点。
テーマについて、各先生たちに日本から持って行った四角い付箋紙の下半分の部分にベンガル語で書いてもらった。1枚の付箋紙にワンセンテンスだけ書くことをルールとした。
先生との通訳は、ラーマンさん。先生たちから書いてもらった付箋紙のベンガル語を訳してもらい、タヌキオヤジが付箋紙の上半分に日本語を記入した。
日本語によって、同じ内容のものを集めてグループ化し、共通のタイトルを付ける。これはKJ法といい、川喜田 二郎(かわきた じろう)という日本の学者が編み出した整理法で、名前の頭文字を取ってKJ法(別名 発想法)と名付けた。
このKJ法を使って、参加者たちが自ら課題と解決法を見いだす作業を「ワークショップ」と言い、そのコーディネーター役を「ファシリテーター」と呼ぶ。タヌキオヤジも何度かKJ法や「ジョハリの窓」などを使って「ファシリテータ」役を仰せつかったことがある。
付箋紙をホワイトボードにグループ毎に貼り付けて円で囲み、タイトルを書く。本来のワークショップなら、ここまでの工程はワークショップの参加者が自分たちで行い、課題や解決法を自分たちで、あぶり出し、みんなで全ての情報を共有化するのであるが、最初に書いたように時間短縮のためタヌキオヤジがおこなった。
グループ化したホワイトボードを先生たちに見てもらった。みんな、自分たちが書いたものが同一平面上で分類され、タイトルまで付けられたことに興味津々であった。
分類化された内容は次の7点に集約された。
①待遇を良くして欲しい。
②研修をして欲しい。
③この学校が良くなるためにがんばりたい。
④教室などの設備を良くして欲しい。
⑤送迎用のバスを良くして欲しい。
⑥日本の協力が欲しい。
⑦他の先生たちもがんばって欲しい。
「ワークショップ」もどきに参加した感想を先生方から聞いてみた。
①今まで経験したことのない方法である。
②非常に分かり易い方法である。
③被雇用者が雇用者の前で、自分の意見を言う機会はバングラにはほとんど無い。
④ラーマンさんの翻訳力に改めて驚かされた。
⑤自分たちも、この方法を使ってみたい。
ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの先生たちは全員大学卒であるが、学校では学んだことのない、今まで見たことも聞いたこともない方法であった。
ラーマンさんにも、今後のジャパン・フレンドシップ・アカデミーの運営には参考になるであろう。
いきなりワークショップとなると、説明の時間やとりまとめの時間に相当時間を割かなければならないと考えた末、簡易型のアロアシャ学園でも行った方法を取った。
テーマは、「この学校でしたいこと」 どうすれば、「この学校が良くなるか」の2点。
テーマについて、各先生たちに日本から持って行った四角い付箋紙の下半分の部分にベンガル語で書いてもらった。1枚の付箋紙にワンセンテンスだけ書くことをルールとした。
先生との通訳は、ラーマンさん。先生たちから書いてもらった付箋紙のベンガル語を訳してもらい、タヌキオヤジが付箋紙の上半分に日本語を記入した。
日本語によって、同じ内容のものを集めてグループ化し、共通のタイトルを付ける。これはKJ法といい、川喜田 二郎(かわきた じろう)という日本の学者が編み出した整理法で、名前の頭文字を取ってKJ法(別名 発想法)と名付けた。
このKJ法を使って、参加者たちが自ら課題と解決法を見いだす作業を「ワークショップ」と言い、そのコーディネーター役を「ファシリテーター」と呼ぶ。タヌキオヤジも何度かKJ法や「ジョハリの窓」などを使って「ファシリテータ」役を仰せつかったことがある。
付箋紙をホワイトボードにグループ毎に貼り付けて円で囲み、タイトルを書く。本来のワークショップなら、ここまでの工程はワークショップの参加者が自分たちで行い、課題や解決法を自分たちで、あぶり出し、みんなで全ての情報を共有化するのであるが、最初に書いたように時間短縮のためタヌキオヤジがおこなった。
グループ化したホワイトボードを先生たちに見てもらった。みんな、自分たちが書いたものが同一平面上で分類され、タイトルまで付けられたことに興味津々であった。
分類化された内容は次の7点に集約された。
①待遇を良くして欲しい。
②研修をして欲しい。
③この学校が良くなるためにがんばりたい。
④教室などの設備を良くして欲しい。
⑤送迎用のバスを良くして欲しい。
⑥日本の協力が欲しい。
⑦他の先生たちもがんばって欲しい。
「ワークショップ」もどきに参加した感想を先生方から聞いてみた。
①今まで経験したことのない方法である。
②非常に分かり易い方法である。
③被雇用者が雇用者の前で、自分の意見を言う機会はバングラにはほとんど無い。
④ラーマンさんの翻訳力に改めて驚かされた。
⑤自分たちも、この方法を使ってみたい。
ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの先生たちは全員大学卒であるが、学校では学んだことのない、今まで見たことも聞いたこともない方法であった。
ラーマンさんにも、今後のジャパン・フレンドシップ・アカデミーの運営には参考になるであろう。
2014年06月14日
モンジュールさん、辻さんに電話した。
LINE電話を使って、元JICA協力隊員の辻さんに連絡を取りたいためにモンジュールさんに電話をした。
モンジュールさんとは、日本人がアロアシャ学園に訪れいるとき掛けた電話では短い通話だったので、つい、長話をしてしまった。1時間以上話してしまった。1時間話しても240円は格安である。ラッシャヒ市街地にあるモンジュールさんの家辺りは、携帯電話の通信状態が良く、非常にクリアな音質であった。
モンジュールさんから聞いたバングラの近況の一部は次のとおり。
・今年行われた総選挙には、国民の8割の人々は投票に行かなかった。
・ホッタル(ストライキ)が常に行われているので、交通機能が麻痺し、アロアシャで生産した苗や種子のバングラ国内への運搬が難しく、アロアシャ学園の経営に深刻な影響を与えている。
・ダッカ~ラッシャヒ間の国道のうち、中国の企業が作った部分の痛みが激しく、日本の大林組が作った部分は、まだ、壊れていない。このため、日本から道路整備をしてもらいたいというバングラ国民の声が大きくなっている。
・ダッカ~チッタゴン間の鉄道に中国製の新しい車両が入ったが、その車両に乗ると病気になるというので、利用者が減っている。
・来日したシェイク・ハシナ首相は、日本から、たくさんのお土産をもらって帰国したとの報道もあるが、逆に何ももらってこなかったという報道もある。
これらの話は、通話の中でのごく一部の話であるが、総じて、現在の首相であるハシナばあちゃんと最大野党の党首ゼアばあちゃんの醜い政争がバングラ国民の日常生活に暗い影を落としていることと、安くて劣悪な品質の中国製品に対するバングラ国民の怒りが少しづつ拡大してきていることが話の根幹にあった。
モンジュールさんから辻さんの電話番号を聞き出し、辻さんの携帯電話にもかけてみた。
辻さんは、アロシャ学園に併設されている研究棟のドミトリーに寝泊まりしているが、アロアシャ学園の辺りは通信状態が悪く、ノイズが酷かった。前回、日本人がアロアシャ学園を訪れていた時のうるさいバングラミュージックには、ノイズも含まれていたことに、今更ながら気がついた。感度不良である。
辻さんによれば、日本人たちがアロアシャ学園に来ていたのは、辻さんがバングラの日本人会に働きかけて実現したことであった。
悪友がゴールデンウィークにアロアシャ学園を訪れる前に、辻さんからアロアシャ学園や研究所の様子を聞いてきてくれと頼んでおいたが、帰国後、悪友から何ら報告が無かった。このため、辻さんから直接聞いた方が早いと思い、辻さんに電話してみた。
案の定、悪友は複数の人たちと渡航したため、辻さんとゆっくり話をする時間も取れず帰国したのであった。タヌキオヤジとしては、辻さんから客観的に今のアロアシャの現状を悪友に話してもらうことを一番期待していた。
辻さんからは、今年の2月の渡航時に、アロアシャの現状を聞いていたので、悪友にも本当の実態を知って欲しかった。
兎にも角にも、何も聞かずに帰国してしまった以上は仕方がないので、定期的に辻さんと連絡を取ることにした。
こんなことが出来るようになったのも、時代の変化というか、文明の変化であり、ますます、グローバル化に拍車をかけているが、日本人は、まだまだ、グローバル化の波に乗れず、ガラパゴス化しようとしているようで気になって仕方がないのは、タヌキオヤジだけではないだろう。
モンジュールさんとは、日本人がアロアシャ学園に訪れいるとき掛けた電話では短い通話だったので、つい、長話をしてしまった。1時間以上話してしまった。1時間話しても240円は格安である。ラッシャヒ市街地にあるモンジュールさんの家辺りは、携帯電話の通信状態が良く、非常にクリアな音質であった。
モンジュールさんから聞いたバングラの近況の一部は次のとおり。
・今年行われた総選挙には、国民の8割の人々は投票に行かなかった。
・ホッタル(ストライキ)が常に行われているので、交通機能が麻痺し、アロアシャで生産した苗や種子のバングラ国内への運搬が難しく、アロアシャ学園の経営に深刻な影響を与えている。
・ダッカ~ラッシャヒ間の国道のうち、中国の企業が作った部分の痛みが激しく、日本の大林組が作った部分は、まだ、壊れていない。このため、日本から道路整備をしてもらいたいというバングラ国民の声が大きくなっている。
・ダッカ~チッタゴン間の鉄道に中国製の新しい車両が入ったが、その車両に乗ると病気になるというので、利用者が減っている。
・来日したシェイク・ハシナ首相は、日本から、たくさんのお土産をもらって帰国したとの報道もあるが、逆に何ももらってこなかったという報道もある。
これらの話は、通話の中でのごく一部の話であるが、総じて、現在の首相であるハシナばあちゃんと最大野党の党首ゼアばあちゃんの醜い政争がバングラ国民の日常生活に暗い影を落としていることと、安くて劣悪な品質の中国製品に対するバングラ国民の怒りが少しづつ拡大してきていることが話の根幹にあった。
モンジュールさんから辻さんの電話番号を聞き出し、辻さんの携帯電話にもかけてみた。
辻さんは、アロシャ学園に併設されている研究棟のドミトリーに寝泊まりしているが、アロアシャ学園の辺りは通信状態が悪く、ノイズが酷かった。前回、日本人がアロアシャ学園を訪れていた時のうるさいバングラミュージックには、ノイズも含まれていたことに、今更ながら気がついた。感度不良である。
辻さんによれば、日本人たちがアロアシャ学園に来ていたのは、辻さんがバングラの日本人会に働きかけて実現したことであった。
悪友がゴールデンウィークにアロアシャ学園を訪れる前に、辻さんからアロアシャ学園や研究所の様子を聞いてきてくれと頼んでおいたが、帰国後、悪友から何ら報告が無かった。このため、辻さんから直接聞いた方が早いと思い、辻さんに電話してみた。
案の定、悪友は複数の人たちと渡航したため、辻さんとゆっくり話をする時間も取れず帰国したのであった。タヌキオヤジとしては、辻さんから客観的に今のアロアシャの現状を悪友に話してもらうことを一番期待していた。
辻さんからは、今年の2月の渡航時に、アロアシャの現状を聞いていたので、悪友にも本当の実態を知って欲しかった。
兎にも角にも、何も聞かずに帰国してしまった以上は仕方がないので、定期的に辻さんと連絡を取ることにした。
こんなことが出来るようになったのも、時代の変化というか、文明の変化であり、ますます、グローバル化に拍車をかけているが、日本人は、まだまだ、グローバル化の波に乗れず、ガラパゴス化しようとしているようで気になって仕方がないのは、タヌキオヤジだけではないだろう。