2015年03月
2015年03月21日
バングラの夜行バスは怖い!
上の写真は、2012年12月31日の大晦日のアロアシャ学園の焼き鳥パティーに参加したJICA隊員。
左側がラッシャヒ駐在の「のりこさん」で、右側が「のりこさん」の知り合いでモルジブのJICA隊員。
「のりこさん」は、JICAから貸与された赤いスーパーカブを乗り回していた。
この「のりこさん」に後日談があり、紹介する。
彼女は、アロアシャ学園の焼き鳥パーテーの数日後、ダッカに向かい、帰りの夜行バスで強盗に遭った。
ジョムナ川にかかるジョムナ大橋を渡って、しばらくした所で、乗客に紛れ込んでいた複数の強盗が、バスの停車を命じ、外で待っていた仲間の強盗と一緒に乗客の金品を巻き上げた。
「のりこさん」は大声を上げようとしたところ、隣に座っていた客に止められた。その乗客は、「のりこさん」が日本人でJICA隊員であることを強盗たちに説明して、彼女の物を取り上げないように説得してくれた。
しかし、強盗は他の客と差別せず、「のりこさん」のノートパソコンや携帯電話、現金をさらっていった。
以前、列車強盗は外国人を襲わないと聞いたことがあるが、バスの強盗は、外国人といえども、JICA隊員といえども、容赦しないようである。
夜行バスは、安価で便利ではあるが、治安上はよろしくないようである。強盗を実行する場所を決めて、そこに仲間が待っているという計画的犯行である。
夜行バスには乗った経験がないが、着くまでに暗くなってしまうバスには何度も乗ってことがある。そういうのも、ある意味、危ないバスなのかもしれない。
2015年03月20日
いきなり、2012年12月31日に逆戻り
2012年から2013年の渡航の時の話が中途半端に終わっていたので、2012年12月31日の大晦日に話を戻すことにする。
毎年、年末年始に渡航することが恒例となっていたタヌキオヤジであるが、2013年の元日もバングラデシュで迎えた。
もちろん、大晦日の焼き鳥パーティーは当然のごとく、行われた。
日本から持ち込んだ焼き鳥のタレと竹串、切り餅、するめ、柿の種、日本酒は、焼き鳥パーティのためのもの。
焼き鳥は10年以上続けられてきたので、現地の人たちは手慣れてきてはいるが、鶏肉と小さなタマネギを串に刺してネギマにする技は、日本人にから見れば、まだまだである。
日本時間の2013年1月1日午前0時、アロアシャ学園の校庭で酒を酌み交わしていた人々がグラスを高々と上げて、一斉に「乾杯、チェイサー」を合唱した。
日本酒のほかに、バングラ産の美味しいオールドラムが振る舞われた。この酒は。以前から紹介しているが、バングラでは一番美味しいアルコール飲料水である。日本に持ち帰ろうと思い、渡航前から1本オーダーしていたのであるが、オーダーを受けた現地側もオーダーしたタヌキオヤジも、受け取るのを忘れて、日本に持って帰らなかった。
大晦日の焼き鳥パティーには、必ず、ラッシャヒ駐在の日本青年海外協力隊員(JAIC隊員)が招かれ、今回も4人の隊員が参加した。このうち、1人はモルジブの隊員で、たまたま、休暇でラッシャヒを訪れていた。アロアシャ学園とJICA隊員との友好関係は、アロアシャ学園の発展には欠かせない、歴史的に重要な役割を担ってきた。
下の写真は、モンジュールの次女ポロマと我が次男である。次男は、今回の渡航で体調を崩し、寝ていることが多かった。夜になり、体調が良くなり、焼いた餅を食べている。日本の醤油をつけた焼き餅は、祖国を遠く離れ、体を壊し、心細い者にとっては、この上ない、ご馳走である。
毎年、年末年始に渡航することが恒例となっていたタヌキオヤジであるが、2013年の元日もバングラデシュで迎えた。
もちろん、大晦日の焼き鳥パーティーは当然のごとく、行われた。
日本から持ち込んだ焼き鳥のタレと竹串、切り餅、するめ、柿の種、日本酒は、焼き鳥パーティのためのもの。
焼き鳥は10年以上続けられてきたので、現地の人たちは手慣れてきてはいるが、鶏肉と小さなタマネギを串に刺してネギマにする技は、日本人にから見れば、まだまだである。
日本時間の2013年1月1日午前0時、アロアシャ学園の校庭で酒を酌み交わしていた人々がグラスを高々と上げて、一斉に「乾杯、チェイサー」を合唱した。
日本酒のほかに、バングラ産の美味しいオールドラムが振る舞われた。この酒は。以前から紹介しているが、バングラでは一番美味しいアルコール飲料水である。日本に持ち帰ろうと思い、渡航前から1本オーダーしていたのであるが、オーダーを受けた現地側もオーダーしたタヌキオヤジも、受け取るのを忘れて、日本に持って帰らなかった。
大晦日の焼き鳥パティーには、必ず、ラッシャヒ駐在の日本青年海外協力隊員(JAIC隊員)が招かれ、今回も4人の隊員が参加した。このうち、1人はモルジブの隊員で、たまたま、休暇でラッシャヒを訪れていた。アロアシャ学園とJICA隊員との友好関係は、アロアシャ学園の発展には欠かせない、歴史的に重要な役割を担ってきた。
下の写真は、モンジュールの次女ポロマと我が次男である。次男は、今回の渡航で体調を崩し、寝ていることが多かった。夜になり、体調が良くなり、焼いた餅を食べている。日本の醤油をつけた焼き餅は、祖国を遠く離れ、体を壊し、心細い者にとっては、この上ない、ご馳走である。
2015年03月19日
盗電オジサン
今年のバングラ渡航は、バングラ国内の政情不安が原因で延期せざるを得なくなった。今年1月5日から始まった野党BNPの抵抗活動から始まった市民巻き添えの無差別テロは、見せしめとして、ジアBNP党首を含む首謀者たちの贈収賄事件へと、新たな展開を見せ始めた。
今、バングラに渡航すれば邦人の安全は確保できない状況を日本政府もマスコミもひた隠ししている。折しも、チュニジア観光の最中にテロにより日本人が殺害されたことは悲しい出来事である。チュニジアとバングラでは、危なさの状況は全く異なる。
もしも、バングラで日本人が巻き添えをくったら、どう日本政府は発表するのか。平和ぼけの日本がこのままで良いわけがない。
話は、突然変わるが、バングラには公然と電気を盗み自宅で使っている輩が多いが、バンコク・スワンナプーム空港にも電気を盗むオジサンがいたという話題。
上の写真は、バンコク・スワンナプーム国際空港内部の写真であるが、下2枚の写真を見てもらいたい。
空港の設備の床の電源から堂々とスマートフォンらしき機器に充電をしている。自分では隠れてやっているつもりだろうけれど、ちょっと注意して見ていると変なところにオジサンが座っているのが不思議に思えて、よく観察していたら盗電であることがわかった。
本人に気がつかれないように、こちらも盗撮した。
オジサンが背もたれにしているガラスの腰板の下には、食堂があった。
いいわけだった、メインパソコンのメンテナンスも終わり、これから快調に更新を続けるつもりである。
今、バングラに渡航すれば邦人の安全は確保できない状況を日本政府もマスコミもひた隠ししている。折しも、チュニジア観光の最中にテロにより日本人が殺害されたことは悲しい出来事である。チュニジアとバングラでは、危なさの状況は全く異なる。
もしも、バングラで日本人が巻き添えをくったら、どう日本政府は発表するのか。平和ぼけの日本がこのままで良いわけがない。
話は、突然変わるが、バングラには公然と電気を盗み自宅で使っている輩が多いが、バンコク・スワンナプーム空港にも電気を盗むオジサンがいたという話題。
上の写真は、バンコク・スワンナプーム国際空港内部の写真であるが、下2枚の写真を見てもらいたい。
空港の設備の床の電源から堂々とスマートフォンらしき機器に充電をしている。自分では隠れてやっているつもりだろうけれど、ちょっと注意して見ていると変なところにオジサンが座っているのが不思議に思えて、よく観察していたら盗電であることがわかった。
本人に気がつかれないように、こちらも盗撮した。
オジサンが背もたれにしているガラスの腰板の下には、食堂があった。
いいわけだった、メインパソコンのメンテナンスも終わり、これから快調に更新を続けるつもりである。
2015年03月12日
いいわけ
このところ、更新がお留守になっていた。
いいわけがましく、メインマシンのハードディスクを交換して、システムを入れ直してたと言っておこう。悪友からもらって使っていた1TBのハードディスクに寿命がきた。
Windowsのシステムを徹底的にいじるので、普通なら、日曜日1日で終わるものを毎晩毎晩3時間ぐらい使って、微調整を1週間以上かかって行っている。今も更新プログラムのアップデートの更新中の真っ最中である。
悪友からもらった、ノートパソコンにWindowsの代わりにLinuxMint(リナックス・ミント)というフリーのOSを入れて使っているので、そのノートパソコンからいくらでも更新ができるのであるが、そのノートパソコンの画面の発色が気に入らない。難しくは、色再現性が悪く、せっかく、バングラで撮ってきた写真をきれいに表現できない。
自分で撮った写真は、ほとんど、色調整してからブログに使う。
最近のノートパソコンのディスプレーの中には、色再現性の高い、きれいな発色をするものが多くなっている。
メインマシンを発色のいいディスプレーで高速で快適に使いたいという、ただそれだけの理由で、微妙なチューニングに時間をかけているだけなのである。
いいわけがましく、メインマシンのハードディスクを交換して、システムを入れ直してたと言っておこう。悪友からもらって使っていた1TBのハードディスクに寿命がきた。
Windowsのシステムを徹底的にいじるので、普通なら、日曜日1日で終わるものを毎晩毎晩3時間ぐらい使って、微調整を1週間以上かかって行っている。今も更新プログラムのアップデートの更新中の真っ最中である。
悪友からもらった、ノートパソコンにWindowsの代わりにLinuxMint(リナックス・ミント)というフリーのOSを入れて使っているので、そのノートパソコンからいくらでも更新ができるのであるが、そのノートパソコンの画面の発色が気に入らない。難しくは、色再現性が悪く、せっかく、バングラで撮ってきた写真をきれいに表現できない。
自分で撮った写真は、ほとんど、色調整してからブログに使う。
最近のノートパソコンのディスプレーの中には、色再現性の高い、きれいな発色をするものが多くなっている。
メインマシンを発色のいいディスプレーで高速で快適に使いたいという、ただそれだけの理由で、微妙なチューニングに時間をかけているだけなのである。
himajintaro at 21:57|Permalink│Comments(0)
2015年03月02日
乗っ取られた後は?
上の写真は2006/04/17の日記「モンジュールさんのラボ」に載せた写真である。
この日記には
「モンジュールさんがジャガイモの研究をするためのラボラトリー(研究所)。」
「この写真の研究所は、モンジュールさんが他の人たちと共同で運営しているが、後年、以前話をしたラシャヒ大学の先生でアロアシャ学園の理事たちとその関係者に乗っ取られることになる。」
と記してある。
この日記の通り、モンジュールさんがアロアシャ学園の運営費を捻出するために始めた種ジャガイモの品種改良のための研究所と種ジャガイモを生産する農場は、当時のアロアシャ学園の理事だったラッシャヒ大学の先生の兄に乗っ取られてしまった。
乗っ取りに弟の学園理事を始め、多くの人間が関わった。研究所と農場に出資をしたモンジュールさんの知人友人たちは、モンジュールさんに出資金の返還を配当付きで強く求め、モンジュールさんは夜も眠れない日々が続いた。死も覚悟したという。日本人の支援者からもらった日本の車も手放した。
乗っ取った人間は、元々、ビジネスマンであるが、バイオテクノロジーを甘く見て、結果的に研究所も農場も全部無くした。エンジニアでもないビジネスマンが、儲かると思うとすぐに手を出すことがベンガル人の癖であることは、長年の渡航経験でよくわかった。
当時のアロアシャ学園の理事たちは、モンジュールさんと同じ大学の先生が多く、アロアシャ学園は儲かると思い、モンジュールさんに近づいてきた悪党ばかりであった。
モンジュールさんは、人が良いばかりで騙されることが多かった。それを上手にコントロールしていたのが奥様のボナニーさんであった。(過去形いや過去完了形)
そのモンジュールさんでさえも、このタヌキオヤジを騙したと思われることが何度かあった。
一つは、この乗っ取り騒動の後の話である。
この研究所と農場には、悪友とタヌキオヤジも出資した形(あくまでも形)になっていた。その出資分は、当時の日本円で数十万円であった。
タヌキオヤジが一人バングラに渡航したある日、モンジュール邸で出資分を現地通貨タカで返すと現金を渡された。そんなもの渡されても、何ともしょうがないので、その場で、一番安全なモンジュールさんの奥様に預かってもらうことにした。
その数年後、渡航してモンジュール邸にいた悪友から電話が入った。タヌキオヤジがボナニーさんに預けた数十万円分の分厚い札束のタカ紙幣をモンジュールさんもボナニーさんも覚えがないという。
悪友の携帯電話の先で、モンジュールさんから「レセプト(預かり証)持ってますか?」と聞かれたとき、「あっ、しまった!」と心の中でつぶやかざるを得なかった。
悪友は、帰国後、「ボナニーさんも忘れてしまったのだろう。アロアシャ学園のために使ってもらったのならいいだろう。」と言っていた。タヌキオヤジもアロアシャ学園のために使って欲しいので、あれこれ工夫して集めた金であるから、悪友の意見に全く異論はなかった。
が、である。
あんな分厚く、いくつもの札束を預かっていないと言えるか?人間として。いくら、預かり証を出さない口約束だったとしても。
今さらながら、愚痴っぽく思う。歳だなあ。