2015年07月

2015年07月25日

モンジュールさんがもらったアワード

今まで、モンジュールさんが受賞した賞については、現地からの情報で、このブログで紹介してきた。実際、受賞した賞(アワード)の実物を見せてもらったのは、受賞してから2年後であった。
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これは、ガンジー平和賞。2011/10/07「モンジュールさんがガンジー平和賞を受賞した!」で紹介した。
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これは、アテーシャ賞。2011/07/02 「二日目の朝食と朗報」と2011/07/21「モンジュールさんがヘレンケラー賞を受賞した。」で紹介した。
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これは、ヘレンケラー賞。2011/07/21「モンジュールさんがヘレンケラー賞を受賞した。」で紹介した。
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これは、何の賞かわからなくなってしまった。多分、ヘレンケラー賞のメダルの裏側だったと思う。
バングラ初のイチゴの栽培普及とその利益によるアロアシャ学園の運営に対する評価として、今回の3つの賞を受賞した。その後も、マスコミからの取材を受けて露出度が上がり、バングラ全土からアロアシャ学園やバイテク研究所への視察が後を絶たない。
最近は、アロアシャ学園のあるラッシャヒまで足を伸ばさなくなったので、細かい話が聞こえてこないが、時期を見て、ラッシャヒまで足を伸ばそうと考えている。


himajintaro at 16:36|PermalinkComments(0)アロアシャ学園 

2015年07月20日

相変わらずの帰省ラッシュ

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相変わらずの帰省ラッシュのようである。バングラ紙は各紙とも、いつもの、誰が見ても尋常ならぬ帰省ラッシュを取り上げている。
これ、ほとんど、無賃乗車。いわば、キセル。
何時間も列車にしがみついていられるベンガル人のタフさ。このタフさをもっと国づくりに生かしてもらえれば良いのにと思わざるを得ない。
混沌としている。


himajintaro at 07:34|PermalinkComments(0)生活 

2015年07月19日

Eid Mubarak!

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断食が明け、帰省ラッシュの後は、ダッカの街中は閑散としているはず。
上の写真は、2013年1月6日の写真であるが、断食明けではなく、金曜日の写真。イスラム圏の日曜日と言えば金曜日になる。
Facebookのバングラの友人たちからは、断食明けのお祭りの様子がうかがえる。イスラムの教えに従えば、本来なら、富める者が貧しき人々に分け与える事になっているのだが、イード祭(犠牲祭)と異なり、どちらかというと日本の盆と正月を合わせたようなもの。
都会や外国で働いている人々が一斉に田舎に帰省し、身内同士が美味しいものを食べて、断食明けの喜びを分かち合う。
暑いときの断食も大変だったのだろう。熱中症の犠牲者もたくさん出た今年の断食。せめて、帰省したときぐらい、ゆっくり、したいのが人情であろう。
それにしても、日本も暑い。


himajintaro at 07:08|PermalinkComments(0)生活 

2015年07月18日

バングラでイタリアンパスタに挑戦

タヌキオヤジと同行した次男が、バングラに密かに持ち込んだものは、よく切れる包丁とオリーブオイルとパスタ。
バングラの食材を使って、次男の得意とするイタリアンパスタをアロアシャのスタッフに振る舞った。
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まずは、タマネギ、ニンニクのみじん切り。次男の包丁さばきを見ていた、あるご婦人が自分でタマネギのみじん切りをしたくなった。そこで、早速、やっていただいたのだが、バングラの料理文化にみじん切りがないのか、かなり、四苦八苦なされていた。
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トマトソースを煮込みながら、日本から持ち込んだパスタを茹でる。モンジュールさんから、ラッシャヒにもパスタは売っているよ、娘たちとよく食べるよと言っていたので何度もマーケットに足を運んだが一度も見つけることはできなかった。
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魚市場で買ったプリプリの川エビを入れて、見ているだけでもヨダレが出そうなソース。
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茹で上がったパスタをソースにからめ、オリーブオイルを香り付けに入れて完成。余談だが、バングラにはオリーブの木もたくさん見かけたことはあるが、肝心のオリーブオイルは見たことがない。
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写真に写っているトングも次男が日本から持ち込んだもの。料理は道具が大事であることがよくわかる。
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最初の盛りつけは、日本人。海外青年協力隊員のお二方。バングラで本格的なイタリアンパスタが食べられるとは夢にも思わなかったそうで、感激されていた。
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次々、アロアシャのスタッフが取り分けていった。おそらく、ほとんど人々が生まれて初めてイタリアンパスタに出会ったと思われる。何の料理もカレー味。カレー味でないと料理が美味しいと思えない舌になっているベンガル人にとっては、この時ばかりは、進撃ならぬ衝撃のベンガル人になっていたようである。
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いつも出てくる、バングラ有名放送局チャンネル・アイのファツタさんの舌は、さすがマスコミ人だけあって、味の良さをわかっていただけたようでる。
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次男としては、本当は、もっとたくさんの料理がしたかったのだろうが、風邪で寝込んでいることが多く、気の毒な思いをさせてしまったと後悔している。


himajintaro at 06:06|PermalinkComments(0)生活 

2015年07月11日

バングラデシュにも紅花はあった!

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ジャパン・フレンドシップ・アカデミーのラーマンさんたち家族とカシナプール付近を観光していたとき、ふと、目に飛び込んできたのは紅花畑であった。
紅花といえば、日本では、山形県内で「もがみべにばな」というトゲのある品種が植えられている。江戸の昔から、花びらを発酵乾燥させて紅餅という紅の染料を作っていた。これが、当時、重量換算で金1gと同じ価格であったと言われている。
紅餅は、山形県内の内陸部で生産され、最上川を船で下り、酒田の港から北前船に積まれて京都まで出荷されていた。口紅や着物の染料として、長く使われてきたものである。
金1gと同じ価格だったことをラーマンさんや彼の友人に話したところ、目の色を変えて、日本の技術者をバングラに呼んで、ベンガル人に教えて欲しいと言われた。タヌキオヤジは、まともな紅餅を作れるようになるまで10年かかることと、日本の技術者が高齢で、10年はもたないと話をすると、一同がっかりしていた。
タヌキオヤジは、以前からモンジュールさんにガンジス川の中州で紅花の生産を持ちかけていた。紅花から油を取るためである。現に、この写真の畑の近くにいた爺さんに紅花栽培の目的を聞いたら油を取るためだと言っていた。先を越されたと、そのときは思ったが、ガンジスの中州から比べると、栽培面積は問題にならない。
なぜ、ガンジスの中州かという理由をモンジュールさんに話していた。紅花は、元々、エジプト・ナイル川流域が原産地である。紅花は、原産地の地勢によく適応していて、根が直根で移植ができない、同じ土地に毎年植えられないという特異性を持つ。
ナイル川流域は砂地で、当然、毎年のように洪水や水位の上昇が起こる。そうすると、紅花栽培後の栽培地は古い土壌が流され、新しい土壌や栄養分が上流から供給される。同じ理由で、ガンジス川中州も、紅花の栽培適地なのである。
バングラは、長らくパーム油を食用にしていたが、それが、発がん性や脳卒中などの疾病の原因と言われ出した。アメリカでは食用としては禁止されている。
パーム油に代わる健康に良い紅花油を作ろうという発想がガンジス川中州にあったのである。


himajintaro at 07:21|PermalinkComments(0)農業