2016年09月

2016年09月19日

モンジュールさんとの話 その1

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モンジュールさんの来日中に、電話で話し合った内容について、少し触れてみる。

一つは、次回、ラッシャヒに渡航したときに悪友とする土木作業についてである。

バングラデシュの土壌については、今まで様々な場面で紹介してきた。その土質については、日本の土とは全く異なる。

黄金のベンガルと言われた頃は、バングラ全土が豊かな木々に覆われ、その落葉と毎年上流から運ばれてくるミネラルとで豊かな国土を作っていたに違いない。しかし、今のバングラの土は有機質のきわめて少ない、化学肥料だけを使った、いわゆる、痩せた土が多いのである。これを何とかしようと何年も前から考えてきた。

悪友は、最近、目先に囚われ、今すぐに金になることばかり考えるあまり、有機質のない現在のバングラの土壌に今流行のバクテリアによる土壌改良細菌を蒔くことばかり考えている。いくら、アロアシャ学園の経費を生み出すとは言え、餌になる有機質が無いのに、どうやって細菌を繁殖させるのか、素人でもわかることだと思うのだが、話が噛み合わないので現地の農場に比較試験区を作ることになった。

この話をモンジュールさんにしておいてくれと悪友に頼んでおいたが、モンジュールさんが日本に来るまで、全く、話をしていなかったようである。

モンジュールさんに、試験区を作るために、農地とパワーショベルとトラクターを準備してくれとタヌキおやじが話したときが最初のようであった。

タヌキおやじは、毎年夏の終わりに土の下50cmに剪定枝や除草して乾いた草、自宅の乾燥生ゴミを入れ込んで野菜を作る実験を10年以上続けてきた。さらに、春は、不耕起で野菜苗を植えてきた。無肥料、無農薬の実績を積み重ねてきた。これに対し、悪友は他人が使った細菌で成功した例しか見ていない。

悪友がタヌキおやじに、その菌に対しする偏見ではないかと宣わくので、バングラに比較のための試験を作ることになったのである。

農地は、モンジュールさんがラッシャヒ大学の農場管理者になっているので、いつでも準備できるとのこと。農地に生ゴミや細菌を蒔くので、パワーショベルとトラクターを準備して欲しいと頼むと、いつでも準備するという。

今まで、ベンガル人に全て作業を任せきりにしてきたので、我々の渡航期間中に作業の終了を見届けることが出来ずに帰ることが殆どだったので、今回は、悪友と共に、自分たちで作業を終えることにした。

このため、現地で測量をし、位置決めと作業深さを決める。測量は悪友もタヌキおやじも農業土木の仕事で経験済みなので、お手の物である。パワーショベルはタヌキおやじが、トラクターは悪友が運転する。

モンジュールさんに、この話をしたら、みんな(大学の先生や学生)ビックリするでしょうと言う。今まで、農業やITの技術者としてバングラで机の上で話をしてきたタヌキおやじと悪友が、いきなり、現地で機械を動かして作業するとなれば、そりゃビックリするだろう。重機のライセンス持っているよとモンジュールさんに言ったら驚いていた。日本では重機はボランティアでする分には、ライセンスは要らない。ただし、公道を大型重機で走らせる場合は、ライセンスが必要になる。

ベンガル人に任せておいたら、いつになったら終わるのかわからないという反省から出た現地作業である。

himajintaro at 09:12|PermalinkComments(0)モンジュールさん | 悪友

2016年09月12日

明日から犠牲祭

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明日から犠牲祭が始まり、6日間の休暇で、いつものように帰省ラッシュに沸いている。

現地ディリースター紙の記事の写真を借用し、相変わらずの混沌ぶりがうかがえる。

こんな、帰省ラッシュの時に、モンジュールさんたちは日本からバングラデシュに帰っていった。ラッシャヒには無事に戻れるのであろうか。

一方では、包装材の工場で火災が起き、29人が死亡したとディリースター紙の記事もあった。テロで亡くなるよりも、工場の安全性の問題で犠牲になる労働者の数の方が多いというのは、犠牲祭が始まる、この時期としては、有り難くない話である。

様々な工場での労働安全衛生や建物の建築基準や安全基準の劣化は、毎年のように起こる事故の度に取りざたされているが一向に改善の兆しが見えない。

せっかくの犠牲祭での長期休暇が悲しい休暇にならないように、バングラ国民全体の安全をアラーの神に祈るばかりである。

himajintaro at 21:33|PermalinkComments(0)交通 | 宗教

2016年09月10日

モンジュールさん、今日帰国

先月から来日していたモンジュールさんと教え子のビューティさんが今日帰国する。

この間、ビューティさんの留学試験、ラッシャヒ大学と県立広島大学との共同研究の提案、長野県上田市の信州大学で行われた日本植物細胞分子生物学会(上田)大会参加、東京でのNHKワールドへの出演などタイトなスケジュールをこなしてきた。

一番苦労したのが、携帯電話の使いにくさとインターネット回線利用の不便さだったようである。

21,800円で広島大学の先生の斡旋で買ったauの古いガラケイとsimは、受信は出来ても、殆ど、発信できなかったという。このガラケイは、バングラに持って行っても使えないので、大学の先生に置いていくと言っていた。前もって言ってもらえれば、タヌキおやじや悪友がsimフリーのスマホを準備できたのに、モンジュールさんも後悔先に立たずであった。

インターネット回線も大学の構内にはフリーのwi-fiスポットが無く、かろうじて、大学の先生のパソコンを借りて、メールを読むのが精一杯だったという。

インターネットに関しては、日本に期待を持って渡航してきたようであるが、期待はずれに終わり、ビックリしていたようである。

夕べ、その他にも、モンジュールさんと様々な話をしたが、後日、その一部を紹介する。

himajintaro at 14:48|PermalinkComments(0)モンジュールさん 

2016年09月08日

ダッカ・モスリン再生プロジェクト

2,3日前、来日中のモンジュールさん宛にバングラ政府からメールが届いた。

以前から、モンジュールさんがバングラ政府にプロジェクト事業として申請していたダッカ・モスリンの再生プロジェクト事業が採択されたという連絡であった。

ダッカ・モスリンは今では伝説の薄布と呼ばれ、ダッカのある特定の地域で栽培されていた綿から糸を紡ぎ、透き通るような布に仕上げるバングラデシュの貴重な高級輸出品であった。

しかし、バングラデシュを植民地化した英国は、自国が進める綿産業の邪魔だとして、ベンガル人技術者の両手、両腕を切り落としたという、おぞましい歴史を残した。

これにより、ダッカ・モスリンの製造者は絶え、原料となった綿さえも栽培されなくなった。

これに目を付けたのがモンジュールさんであった。

タヌキおやじ   
「モンジュールさんのことだから、遺伝子見つけて、コットンを栽培するのでしょう。」
モンジュールさん 
「あなたは、すぐにわかりましたね。あの人たち(政府関係者)に何回説明してもわからなかった。大変でしたよ。」
モンジュールさん 
「木綿ですよ。」

モンジュールさんは、失われたダッカ・モスリンの原料である綿の遺伝子を探し、綿を栽培し、糸を紡ぎ、布を織り上げるというプロジェクトを半年以上前からバングラ政府に企画書を提出し、何度も打ち合わせをして、やっと、再生事業として認められたのである。

モンジュールさんの言葉から「木綿(もめん)」という日本語が出てくるとは思わなかった。

ダッカ・モスリンの現物は国立博物館に展示してあるので、見たことがある。しかし、ボロ布の印象しかない。

タヌキおやじ   
「国立博物館でダッカモスリンを見たことがありますが、ボロボロでしたよ。」
モンジュールさん 
「あの人たち(博物館関係者)は、コットンの保存方法を知らないんです。だから、ボロボロになったんです。保存の仕方で、あの人たちと喧嘩になりました。あのモスリンから遺伝子を見つけなきゃならないでしょう。」

正式に事業として採択されたとなれば、大きなプロジェクトになるという。遺伝子、栽培、糸の生産、織りなど様々な分野ごとにチームを作り事業を進めるのだという。

モンジュールさん 
「この仕事に手伝って下さい。綿を探しにアゼルバイジャンに一緒に行きましょう。」
タヌキおやじ   
「綿の品種はシルクロードと関係するのですか。」
モンジュールさん 
「その通りなんです。」
タヌキおやじ   
「ロマンのある仕事ですね。歴史とロマンですね。」

富山大学にコットンを分析する有名な分析機があるという。

モンジュールさん 「来年は富山に来ます。」

まもなく、60歳になるモンジュールさん。モンジュールさんの情熱に年齢は関係ない。



himajintaro at 21:05|PermalinkComments(0)モンジュールさん 

2016年09月07日

モンジュールさん来日の目的

モンジュールさんと教え子のビューティさんの来日目的については、悪友からは詳しく聞いていなかった。

今晩の電話で、詳しく話を聞くことができた。

ラッシャヒ大学と県立広島大学の共同研究を実現させることが主たる目的ではあるが、それにより、先生や学生の相互交流が生まれる効果にも期待があった。

共同研究により、両方の大学の先生や学生がラッシャヒと広島を行ったり来たりする。

この共同研究の成功のため、モンジュールさんは提案書を作り、昨日行われたセミナーでプレゼンテーションを行ない受け入れられたのである。

また、ビューティさんの留学については、8月30日に博士号コースの試験が行われ、ビューティさんは見事に合格した。ビューティさんの渡航費用は広島大学で負担してくれたという。

彼女は真面目な学生だと言う。モンジュールさんとは現在の専攻は異なる。来春、4月から博士号取得のため留学することになった。

悪友
「ラッシャヒ大学の博士号はあるようですが、日本の大学の博士号で箔をつけたいようです。」

もう一つ、ビッグなプロジェクトの話もあるが、それは、後日。

himajintaro at 21:12|PermalinkComments(0)モンジュールさん