2017年12月

2017年12月31日

ああ、行きたい。

悪友の投稿から









悪友
盟友閑甚太朗さんの投稿にもありましたが、バングラデシュ支援アロアシャプロジェクトで年末年始はバングラデシュで過ごすことが幾度かありました。写真は9年前の大晦日のラッシャヒの生鮮品市場の様子。今でも変わらないだろなあ。ああ、行きたい。

Monzur Hossain
We are missing you and Masami very much. Please come again to Bangladesh.
We miss you and Akuyu San on new year day. We are making yaki tori with Kenji San . Wish you very happy new year 2018.

M Mohsin Ali
ハッピーニューイヤー。バングラデシュを訪れることを歓迎します。私たちはこの新年のお祝いを本当にとても恋しく思っています。

himajintaro at 23:00|PermalinkComments(0)モンジュールさん | 宗教

2017年12月30日

鈴木先生から寄付の申し込みがありました。

12月8日の記事「今年も蔵王キリスト教会からご寄付をいただきました。」を見た鶴岡市在住の鈴木洋さんから、ご寄付の申し込みがありました。以下、鈴木さんのコメントです。

『嬉しいことですね。私も神様やキリスト教のことよくわからないけれど、1月の6.7.8の3日間横浜まででかけて無教会の集会に参加して学んでこようと考えています。私もこの蔵王の教会かあなた宛に少しばかりですが寄付をしたいのですが送り先住所など教えて下さい。』

鈴木さんは山形大学農学部の助教授として定年退官された方です。モンジュールさんが山形大学農学部に留学していたときに同じ学部で研究されていました。モンジュールさんが帰国後、アロアシャ学園を創設したので、日本の支援団体「アロアシャの会」が設立され、その「アロアシャの会」の事務局長を長年務められていました。

常日頃、私たちは鈴木先生と呼んでお付き合いさせていただいています。先生の奥様(故人)はキリスト教徒で、教会という建物を持たない「無教会派」という宗派に属していました。先生自身はキリスト教信者ではありませんが、「無教会派」で有名な内村鑑三の思想を愛しています。

先生は常に「世の中は混沌である」と言うので、「混沌教」教祖として崇め祭っています。

himajintaro at 08:56|PermalinkComments(0)モンジュールさん 

2017年12月29日

羅名さんから牛肉のカレーもらいました。















東京葛飾堀切菖蒲園・下町のベンガル人 橋本羅名さんから牛肉のカレーをいただきました。
羅名さんから仕上げを教えてもらい、今日の夕食のメインデッシュになりました。
トマト、ピーマン、玉ねぎ、椎茸(本当はえのき茸、買い忘れました)、鷹の爪、塩、胡椒
玉ねぎを色がつくまで炒め、トマト、ピーマン、椎茸も加えて炒め、羅名さんからもらったカレーを加えて火を通します。鷹の爪、塩、胡椒で味を調えて出来上がりです。
牛肉がゴロゴロ入っていて、柔らかく煮込んであり、トマトの酸味が効き、スパイシーでとっても美味しいです。
今日は日本のお米ですが、長粒種のご飯に良く合うのです。
本当は、手で食べたいところです。
まさにバングラデシュのカレーです。
羅名さん、ごちそうさまです。

himajintaro at 19:58|PermalinkComments(0)ラナさん | 生活

2017年12月14日

マダム・ナスコ逝く

アロアシャ学園を支援するために設立され、山形県鶴岡市に本部を置いていた「アロアシャの会」の元代表であるマダム・ナスコが73歳の若さで12日にお亡くなりになりました。

マダム・ナスコの業績は華々しく、国際協力では山形県鶴岡市を一躍有名にした人物です。夫君であり文化人類学者(アマゾン民族研究)の山口吉彦先生とともに、「庄内国際交流協会」を立ち上げられました。全国の留学生を鶴岡市を中心とした庄内地方に招いて地元の若者とともに国際交流を行った「庄内国際青年祭」は、全国でも初めての事例であり、箱根で行われた箱根国際会議では「庄内方式」と言わしめるほど、先駆的な取り組みをなされてきました。

また、庄内の中高生をタイの自由学校である施設「子供の村学園」に毎年派遣し、庄内地方の国際交流の後継者たちを育ててきました。さらに、自ら青年海外協力隊のシニアとしてドミニカで活躍され、協力隊員の親睦団体「やまがた地球家族の会」を立ち上げられました。夫君の吉彦先生のアマゾン研究と膨大な資料の展示をするアマゾン資料館やアマゾン博物館の経営にもご尽力されてきました。

これらの素晴らしいご活躍が認められ、ご夫婦でサントリー地域文化賞を受賞されました。

ところが、マダム・ナスコの体には乳がんが忍び寄り、一時は「笑いでガンを笑い飛ばそう!」をテーマにラフターヨガに取り組まれましたが、発病から10年近くたった先日、帰らぬ人とのなったのです。

残念ながら華々しい光には濃い影ができるものです。

アロアシャ学園の支援について、黒い噂が立ち、その事実を確かめるため、マダム・ナスコがドミニカに行っている間に私は調査を依頼されてバングラデシュに行ったのです。

私は悪友にだまされて1997年に初めてバングラデシュに行きました。その時に、モンジュールさんに頼まれて、モンジュールさんの農業技術を手伝うと約束したことがアロアシャ学園との最初のつながりではありますが、私が決定的にアロアシャ学園に関わることになったのは、この黒い噂を調査するためにバングラに行ったことが最大の理由なのです。

調査結果については口外することはできませんが、光あるところに影があるというのは自然の摂理であり、誰も避けて通ることはできません。

マダム・ナスコの生前のご活躍に敬意を表するとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。



2017年12月09日

新パッケージのドライマンゴー届きました。



2017.11.6の記事「ドライマンゴーの新パッケージ」で紹介した新パッケージのドライマンゴーが我が家にも届きました。中身は以前の物と同じなので、後日紹介します。

アロアシャ学園で作っているドライマンゴーは日本の商社の支援を受けています。ただ、原料のマンゴーは購入して製造するするために、どうしても製造コストがかかります。できれば、自分でマンゴーを生産したものを加工したいのです。以前、広大なマンゴー林の耕作放棄地の管理の話がきましたが、話が頓挫してしまったようです。

ラッシャヒはバングラデシュでも有数のマンゴー生産地なので、できれば、自家生産したいところです。

himajintaro at 23:06|PermalinkComments(0)アロアシャ学園 | 農業