2018年08月

2018年08月31日

夏祭りにベンガル人親子が来ていました。







8月18日に行われた町内会の夏祭りにベンガル人親子が来ていました。

写真は無いのですが奥様がサロワー・カミューズを着ていたので、もしかしたらと思い声がけしてみたところ、案の定、ベンガル人でした。

アッサラームアライクムと挨拶をしたところ、大変、ビックリされていました。

山形大学医学部で免疫学の博士号取得のために留学しているとのことでした。近所にある国の官舎街に住んでいるようでした。実家はダッカよりも南の方だ行っていましたが、私は行ったことがないエリアなのでよく覚えていません。確か来年12月までは日本にいると言っていました。

祭りのイベントでバルンアートをしましたが、子供たちに交じって興味深く遊んでもらいした。子供さんがポン菓子を持っていたので、バングラのムリですよねと話したら喜んでくれました。このイベントの進行役だったので詳しく話をできず、もう少し、彼らと話をすればよかったと後悔しています。また、機会があれば会えると前向きに考えることにしました。

それから、もう一つ、この祭りでバングラデシュに関係する話題がありました。

祭りは夜8時に終わり、簡単な後片付けをした後、祭りのメンバーで反省会をしました。私の隣に座ったのが、山形県立中央病院の医師でした。よくよく聞いたら、山形ダッカ友好病院のラーマン院長の奥様が山形大学医学部に留学していた時の同じ科の先生だということがわかり、私も大変驚きました。

改めて、世の中、案外狭いものだとつくづく感じた一日でした。

himajintaro at 16:38|PermalinkComments(0)生活 

2018年08月18日

久しぶりにビーフ・プリ作りました。

お盆で家族が集まった一昨日、遅いお墓参りを済ませて、久々にビーフ・プリを作りました。

我が家ではバングラ風にカレーを作ると不評です。特に妻はカレーはとろみのあるルーで作る日本食のライスカレーでないと美味くないというマインドコントロールから抜け出せません。

スープカレーが流行であるにもかかわらず、増粘剤という悪魔に心を奪われています。

子供たちはみんなバングラに行ったことがあるので、呪縛に取り憑かれていませんが、妻はバングラに行ったことが無いので理解が進みません。

それななら、連れて行けばいいのだろうということになるのですが、私は連れていきません。連れて行かない理由があるのですが、それは、後日投稿します。

ご飯と一緒の容器に盛り付けて、一緒に食べるという形態を取らなければ、妻も抵抗が少ないのです。

そこで、世界三大炊き込みご飯の一つのビリヤニとビーフ・プリ、タンドリーチキンは作っても抵抗がありません。

今回は、お盆なので、私が炊事軍曹になりました。

秘密のケンミンショーで見た秩父のB級グルメ「味噌ポテト」と外食のものは食べられないと評判の餃子とビーフ・プリを作ってみました。

ビーフ・プリは玉ねぎ、牛ひき肉、ニンニク、鷹の爪、塩、カレー粉を加えて炒めたものを餃子の皮で包み、油で揚げると出来上がりです。餃子とともに酒の肴には最高の一品です。

ビーフ・プリの他、味噌ポテトと餃子の写真もアップしておきます。



















ここからは味噌ポテト。

ジャガイモを茹でて、一口大に切り、てんぷら粉と片栗粉と米粉を水で溶いたものでカリッとなるまで揚げ、味噌、みりん、黒砂糖で作った味噌だれを掛けます。











最後に我が家で定番の餃子。

今回は肉とシイタケを多めにしました。味付けは秘密です。











himajintaro at 06:40|PermalinkComments(0)文化 | 生活

2018年08月15日

終戦記念日とムジブル・ラーマン暗殺記念日



今日は日本にとっては太平洋戦争の終戦記念日でした。バングラデシュでは、独立戦争の英雄シェーク・ムジブル・ラーマンが暗殺された日です。

偶然にも同じ日ですが、どちらも、深く悲しい思いが残る日になってしまいました。

バングラデシュが1971年12月に独立した4年後の1975年8月15日に当時の陸軍によって、現首相で当時イギリスに留学中の娘のシェーク・ハシナ以外の家族全員が暗殺されてしまった事実はあまりにも有名ですし、実質的にハシナ首相の指示によって暗殺の首謀者12人が最高裁による極刑の判決が言い渡されたこともバングラデシュでは当たり前のことになってしまいました。

あるベンガル人の方から聞いたことがります。

印パ戦争当時の東パキスタン軍(現在のバングラデシュ)は戦闘能力が低く、隣国インド軍のベンガル人精鋭部隊の活躍が目覚ましかったために西パキスタン軍(現在のパキスタン)は降伏せざるを得なかった。パキスタン人にとっては、ベンガル人としては同じ民族なのでインド軍部隊なのか東パキスタン軍部隊なのかわからなかった。

ムジブル・ラーマンはバングラデシュの人々にとっては独立戦争の父ではあるものの、当時のパキスタンにとってはベンガル人部隊(インド軍、東パキスタン軍両方)の最高指導者ではないのです。

詳しい話は、2015年10月14日の投稿「印パ戦争の一説」に書いてあります。

歴史に関しては様々な見方があります。

太平洋戦争の一つの例として、姉妹ブログ「リトルカブ珍道中記」の2018年7月17日投稿の「四ケ村の棚田 番外 幸生銅山編」を挙げておきます。

また、国際法上、サンフランシスコ講和条約締結までは日本は終戦ではないと言う人もいます。

ともすれば、一方的な、都合の良い情報に惑わされやすい情報化社会に翻弄されることなく、正しい歴史認識は何かと自問自答する8月15日も終わろうとしています。







himajintaro at 23:11|PermalinkComments(0)政治 

2018年08月11日

大きな勘違い

悪友 「なんか私の大きな勘違いで、タイ航空の予約が往復料金ではなく片道料金なんですね。以前は往復表示だったような?往復ではやはり12万円ぐらいです。」

閑  「あっちゃー!」

普通にあることです。年に関係なく。



himajintaro at 07:41|PermalinkComments(0)悪友 

バングラデシュでも言論統制か?

今回の学生デモに対してバングラデシュ政府は情報の拡散を防ぐために学生たちの携帯電話を繋がらないようにしているようです。まるで、中国のような言論統制です。

悪友 「先日のバンコクミーティングで、このバングラデシュの中高校生デモのことが話題になりました。従来のパラダイムが変わることを期待したい。」



himajintaro at 07:32|PermalinkComments(0)悪友 | 政治