2019年01月
2019年01月28日
スーツケース新調しました。
スーツケースを新調しました。と言っても、実は渡航直前の12月20日に以前使っていたスーツケースが無いことがわかり、急遽、アマゾンのお急ぎ便で注文したのです。
2012年暮れの渡航でスーツケースを新調したのですが、長男のディズニーランド旅行で貸し出したものの、取っ手が壊れて廃棄したことを忘れていました。
この時に新調したスーツケースについては、2013年1月15日の記事「今回も担ぎ屋、いつ卒業できるのか?」で紹介しています。
バングラ渡航に2回、長男のディズニーランド旅行の1回の計3回で使い物にならなくなりました。安物買いの銭失いになってしまいました。
急いでいたので、イオンのスーツケースを買いに行こうと思っていましたが、ネットでいろいろ調べると、イオンと同じ価格で丈夫なスーツケースが買えることがわかりました。
スーツケースのリース会社で扱っている丈夫な商品を手に入れることができ、渡航の2日前にスーツケースが到着しました。
娘が仙台から買ってきてくれたスヌーピーのシールを張り付けて、目立つようにしました。似たようなスーツケースがたくさんあるので、間違えられないようにするためですが、スーツケースの表面がデコボコなので張り付けるのに苦労しました。
女房からスーツケースが大きすぎるのではないか言われました。買わずにリースすれば良いのではないかとも言われましたが、渡航期間が長いと購入価格よりもリース料の方が高くつきます。
大きなスーツケースも意外に収納量は大きくないのです。最初の渡航から使ってきたカリマー製の登山用の大型リックの容量は中型と大型の中間のスーツケースの容量を持ち、約20年間、登山以外の目的で使われてきました。
今回の渡航で、大学のセミナーで講演があるというので、スーツとYシャツとネクタイと革靴を持って行くことになり、その分、余計な荷物になってしまいました。
2012年に初めて山形新幹線を利用して渡航することになりましたが、今回は3回目。新幹線の一番後ろの席を取れれば、椅子の後ろにスーツケースを置くことができます。今回は、2012年と同じように新幹線のスキー収納スペースに置くことになりました。その時の様子が2013年1月16日「山形新幹線による初めてのバングラ渡航、意外に不便。」で紹介しています。
2019年01月27日
旅のお供にSONY RX100を連れて行きました。
今までの渡航ではCanonの一眼レフを旅のお供に連れて行きました。
今回、バイクのツーリングで使用するためにSONYサイバーショットRX100の中古機を購入しました。ツーリングではHUAWEIの格安スマホを常用していました。「弘法筆を選ばず」とは言いますが、一眼レフでは大きすぎて機動力が必要なツーリングでは限界がありました。
HUAWEI nova liteでも、補正無しで下の写真ぐらいなら撮ることができます。
スマホ撮影の良い点は、露出やピントを合わせたい場所を液晶画面上でワンクリックするだけで合ってしまうことです。上の写真は、空に露出を合わせるため画面上の空の部分をワンクリックして撮影したものです。
これに対して、一眼レフやコンパクトデジタルカメラ、ミラーレスカメラはファインダーや液晶画面ではクリックすることはできず、露出やピントを一々確認しながら決めなければなりません。
スマホと同等に露出やピント合わせができるコンパクトデジタルカメラを散々探したのですが、スマホに代わるものは、まだ、この世にはありませんでした。
以前はiPhoneも所有していました。その場でSNSにアップするためにはスマホは良いのですが、時間帯や場面によっては撮れなくて悔しい思いをしたことが何度もありました。
ちょっと古い機種ながら、明るいレンズを使っているので様々なシーンでおもしろく撮れ、人気のあるSONY RX100を常用カメラとして選びました。
今回の渡航でたくさん写真を撮ってきました。
ただ、ちょっとした不注意でSONY RX100をモンジュールさんのアパートに忘れてしまいました。
今月、モンジュールさんに向かう元日本人スタッフがいたので、彼とモンジュールさんにお願いして、日本に持ち帰ってもらうことにしました。
今のところ、いつ、カメラが届くかわかりませんが、それまでの間は、スマホで撮った写真で、今回の渡航について紹介したいと思います。
2019年01月26日
ボナニーさんのつぶやき
ラッシャヒ空港からホーム先のモンジュールさん宅に到着し、モンジュールさんと同行した悪友が別の部屋で作業している間、ボナニーさんがコーヒーとマンゴーで作るアンビータを出してくれました。
この時、ボナニーさんがつぶやいていました。
長女のミデュラがイギリスのマンチャスター大学に留学しました。二女のポロマ(写真右)が留学先のスウェーデンから帰ってきたものの、4月には岡山大学に留学することになったというのです。
長女も二女も家にいないことは家族としては悲しいことだというのです。
手塩にかけて育てた娘を嫁に出すような気分なのでしょうか。
ボナニーさんは大学の学長として単身赴任していましていましたが、家族と別れて暮らすことはボナニーさんにとって辛かったようです。
早々に、前赴任先のバングラデシュ最古の大学、ラッシャヒ・カレッジに舞い戻ってきました。
いつも、子供たちと一緒に暮らしたい。
長年、モンジュールさん家族はボナニーさんの実家で暮らしていました。ご両親は2階に住み、モンジュールさん家族は広い1階に住んでいました。
ラッシャヒで最初にバス会社を立ち上げた実業家のボナニーさんの父親が亡くなると、今まで住んでいなかったボナニーさんの長兄が相続を主張し、モンジュールさんたち家族は住み慣れたボナニーさんの実家を離れ、アパート住まいを始めました。
そんな矢先、ポロマがスウェーデンに行くことになりました。入れ違いでミデュラも家を離れることになりました。
ボナニーさんのつぶやきは娘と離れることだけではなく、娘として離れて暮らすことになってしまった実家の母親への思いがあることがわかるのは、この翌日でした。
himajintaro at 07:00|Permalink│Comments(0)
2019年01月25日
2019年01月23日
モンジュールさんの母上がお亡くなりになりました。
一昨日の21日の朝、モンジュールさんの母上(写真真ん中)が97歳の生涯を閉じられました。
モンジュールさんは62年前、ナトーの田舎で教師だった父親と聡明だった母親との間に生まれました。故郷を離れ、ラッシャヒ大学で学んだ後、研究者として大学に残り、今では、バングラデシュのイチゴ研究の第一人者として有名人になりました。
2009年9月、モンジュールさんは母親のたっての頼みで母親とともにメッカ巡礼に出かけています。モンジュールさんのたくさんの兄弟の中から、母親はモンジュールさんを選びました。子供たちの中で一番頼みやすかったのがモンジュールさんだったのです。
上の写真は、モンジュールさんの二女ポロマ(写真右)がスウェーデンに留学する直前の2017年8月30日に撮られたものです。
心からご冥福をお祈りいたします。