2019年05月
2019年05月31日
旅のお供にLet's note
いつも、バングラ渡航にはノートPCを持参していますが、今回はLet's noteをお供にしました。
軽くて堅牢なことは言うまでもありませんが、中古で買った製品にもかかわらず、ハードディスクをSSDに載せ替えたため、とても快適に使うことができました。
また、ホームスティ先のモンジュールさんのアパートはWifiが使える環境だったため、メールやfacebook、LINEなどを自由に使えることができ、ネット依存症患者にとっては、とても快適に過ごすことができました。
停電の時もありました。スピードが遅くなる時間帯もありましたが、20年前の、いつ届くかわからない電子メールを我慢して使っていた頃から比べると、隔世の感があります。
シンガポールからVサットという衛星による回線中継で、バングラとネットで繋がっていた頃が懐かしく思います。
シンガポールからバングラまで海底ケーブルが敷設され、ラッシャヒの市街地は光ファイバーで繋がれています。
しかし、パブナ・カシナプールのジャパン・フレンドシップ・アカデミーまでは光ファイバーでは繋がっていないようです。ラーマンさんの話では、学校にはWifiがあると聞いています。
ネット環境は抜群に良くなりましたが、まだまだ、気軽にモンジュールさんやラーマンさんと毎日のように話をする状況にはありません。
ネット環境が悪い頃の方が、PCにカメラを付け、i-Ballやskypeなどで一生懸命話をしていました。
今は心がどこかに飛んで行ったような気がします。
2019年05月20日
2019年05月14日
モンジュールさんのアパート
ボナニーさんのお父さんが亡くなり、モンジュールさんたちが住んでいたボナニーさんの実家から出ていかなければならなくなったことは、以前、紹介したような気がします。
ボナニーさんのお父さんはラッシャヒで初めてバス会社を興した実業家でした。大きな池付きの一戸建ての2階にボナニーさんの両親、1階にモンジュールさん家族が住んでいました。
ラッシャヒ大学の学生でボナニーさんの家庭教師だったモンジュールさんは、この家でボナニーさんに勉強を教えていました。若いモンジュールさんとボナニーさんは結婚し、この家で、ずーと暮らしてきました。
しかし、お父さんが亡くなり、今まで両親と暮らしていなかった長男が、この家の相続を主張し、結果的にモンジュールさん家族は長年住み慣れた両親の家から出ていくことになりました。バングラデシュでは、いくら、一緒に住んでいなくとも、家は男がほとんど無条件で相続することになっているのだそうです。
現在、長男はこの家に住んでいます。今まで一度も長男に会ったことはありませんし、存在さえ知りませんでした。医者になった妹とは会ったことがあり、てっきり、ボナニーさんと妹の二人姉妹だけだと思い込んでいました。
モンジュールさんたち家族は、Bhadra Morというロータリー式交差点の近くの比較的新しい市街地に立ったアパートの2階に住んでいます。
今回、総選挙ということもあり、モンジュールさんのアパートに居候させていただくことになりました。
ボナニーさんの実家には、老いたお母さんが住んでいますが、長男は面倒を見ていないようです。その様子を、後日、紹介します。
2019年05月12日
マンゴーのお菓子アンビータとボナニーさんの嘆き
モンジュールさんと悪友が打ち合わせで部屋を外している間、モンジュールさんの奥様ボナニーさん(1枚目の写真左)が面白い手作りお菓子アンビータ(写真2枚目と3枚目)を出してくれました。
マンゴーとミルクと砂糖を混ぜて大きく丸く伸ばし、太陽の光で何日も乾かして作るのだそうです。程よい甘さでマンゴーの香りのする美味しいお菓子です。バングラデシュで初めて食べたお菓子です。
モンジュールさんたちがいないところで、ボナニーさんは私につぶやきました。
「長女のミディラがイギリスに留学し、二女のポロマ(1枚目の写真右)がノルウェーの留学から帰ってきたと思ったら、来年、日本に留学してしまう。家族は一緒に暮らすことが幸せなのに、みんなバラバラの生活になることは悲しいことです。」
ボナニーさんは動物学者でラッシャヒ市にあるバングラデシュ最古の大学で教鞭をとっています。以前は、他の地域にある大学の学長をしていました。単身赴任をしていましたが、家族と離れてることが辛くて、早々にラッシャヒに戻ってきました。
彼女は夜なべして娘たちの服を縫ったり、お菓子を作ったりしていたのを覚えています。学者である以前に二人の娘たちのマザーです。
バングラデシュの母親は、子供に対する愛情が深いと聞きました。子供に対する愛情に国籍は関係ないと思いますが、バングラの母親の溺愛は新聞によく載ることがあります。
ポロマはノルウェーで差別や人間的な軋轢に遭い、志半ばでバングラに戻ってきました。そして、ボナニーさんの嘆きとは関係なく、この4月に岡山大学に留学しました。
モンジュールさんたちがいないところで、ボナニーさんは私につぶやきました。
「長女のミディラがイギリスに留学し、二女のポロマ(1枚目の写真右)がノルウェーの留学から帰ってきたと思ったら、来年、日本に留学してしまう。家族は一緒に暮らすことが幸せなのに、みんなバラバラの生活になることは悲しいことです。」
ボナニーさんは動物学者でラッシャヒ市にあるバングラデシュ最古の大学で教鞭をとっています。以前は、他の地域にある大学の学長をしていました。単身赴任をしていましたが、家族と離れてることが辛くて、早々にラッシャヒに戻ってきました。
彼女は夜なべして娘たちの服を縫ったり、お菓子を作ったりしていたのを覚えています。学者である以前に二人の娘たちのマザーです。
バングラデシュの母親は、子供に対する愛情が深いと聞きました。子供に対する愛情に国籍は関係ないと思いますが、バングラの母親の溺愛は新聞によく載ることがあります。
ポロマはノルウェーで差別や人間的な軋轢に遭い、志半ばでバングラに戻ってきました。そして、ボナニーさんの嘆きとは関係なく、この4月に岡山大学に留学しました。