2019年09月

2019年09月28日

今朝から朝食をいただきました。

私が朝食抜きであることは、以前、紹介しました。ボナニーさんに敬意を表して毎日いただくことになった最初の朝食がこれです。

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全粒粉で作ったチャパティ。

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カレー味の野菜炒め。

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甘い牛乳か何かのスープ。

何れも、バングラ定番の朝食。

以前は、アタ(白い小麦粉)で作ったチャパティでしたが、ボナニーさんも健康を考えてか、全粒粉を使うようになりました。

チャパティは、モンジュールさんの甥子で前アロアシャ学園の校長だったアリさんから作り方を教えてもらったので、年に何度か自分で作って食べます。米や麺類などの買い置きが無い時には、重宝します。

カレー味の野菜炒めも、時々作って食べることがあります。

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悪友は今回の渡航では、レストランで外食しない限り、毎回、右手で食べていました。彼は、元々、サウスポーで左利きでした。不浄の手である左を使えなかったので、スプーンで食べていたのかもしれません。


himajintaro at 07:20|PermalinkComments(0)食べ物 

2019年09月22日

思い出のスターフルーツ

スターフルーツを見ると思い出すのは、モンジュールさんたち家族が奥様のボナニーさんの実家に住んでいた頃の話。

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ラッシャヒ駐在のJICAの青年海外協力隊員を招待して、モンジュールさんの中庭で焼鳥パーティーをしました。

協力隊員の皆さんはダッカにある免税店からバドワイザーのビールをたくさん買ってきてくれました。

アロアシャ学園の関係者も集まり、大勢の人たちが焼鳥を片手にビールや日本酒で一杯やるという日本的なパーティーで大盛り上がりでした。

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その中には、近所の小学生低学年から中学年ぐらいの子供たち数名も、焼鳥を食べていました。

ところが、よく見るとチャッカリ、ビールまで飲んでいました。仕舞には、冷蔵庫から勝手にビールを持ち出して、飲んでいたのです。

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これに激怒した日本側法人のS理事が子供たちを日本語で怒鳴りつけ、罰として庭にあったスターフルーツの木から実を採ってくるように指示しました。

不思議なことに日本語が通じたのか、ある子供が木によじ登って、何個かのスターフルーツを採って降りてきました。

それを受け取ったS氏が口に入れると、あまりの酸っぱさに目を細めました。

私も一つもらいました。私は酸っぱいのが好きなので、平気で食べました。

黄色く熟しても酸っぱいのがスターフルーツですが、最近は、熟すと甘味が出る品種が出回っています。

もう、あの酸っぱいスターフルーツがあるボナニーさんの実家で焼鳥パーティをすることができなくなってしまいました。

himajintaro at 05:50|PermalinkComments(0)食べ物 | 生活

2019年09月21日

天下御免のバングラデシュ

アロアシャ学園のナサリー(農場)にモンジュールさんと悪友と出かけた時のことです。ナサリーはモンジュールさんのアパートから歩いてでも行ける 距離になりました。

モンジュールさんの上司のイスラム先生とアロアシャ学園の理事長のアノア先生も合流しました。

先に来たイスラム先生からチャナチュールの大袋をいただきました。私が大のチャナチュール好きであることを先生は知っていて、いつも、お土産にチャナチュールをいただいていました。

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遅れて、アノア先生も来ました。

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モンジュールさんがアメリカのカルフォルニア大学の先生からもらった土壌水分計を盗まれないようにするにはどうしたらいいのかという話題で沸騰していました。

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そうして、農場を歩き回っているうちに、私がもらったチャナチュールがアノア先生の手によって、開けられてしまいました。

アノア先生は後から来たので私がイスラム先生からもらったことは知りませんでした。

ベンガル人はみんなチャナチュールが好きです。私も大好きです。

しかし、所有権を表示していなかったために、公共の物にされてしまいました。

同じようなことが、過去にも度々ありました。

アロアシャ学園で焼鳥パーティをした時に、こっそり飲むために持っていった日本酒を無断でバーベキューソースにジャンジャン使われてしまいました。

それ以来、日本酒の管理は厳重にするようになりました。

天下御免のバングラデシュです。

イスラム先生からもらったチャナチュールはバーベキュー味の辛くて美味しいものでした。持って帰れませんでしたが、最近、日本でも同じものが手に入るようになりました。

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私のまわりにチャナチュール好きがたくさんいます。大量に買って、みんなに分けています。


himajintaro at 08:51|PermalinkComments(0)文化 | 農業

2019年09月19日

乾燥マンゴー工場の新たなる飛躍

アロアシャ学園の研究棟の1階に乾燥マンゴーの工場があることは以前から何度も紹介してきました。工場内部については企業秘密の部分も多く、公開できませんが、乾燥機に関しては日本の第一人者が関わっていただいているので質的には申し分のないものが出来上がっています。

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ここで作ったものは全部バングラ国内で消費されていますが、イタリアから商談がきているそうです。事実、イタリア人がアロアシャ学園に訪れて買い入れを申し込んだようです。

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彼らはイタリア産の乾燥フルーツを持ってきました。見るからに砂糖をまぶした甘さの強い、日本でも普通に売っていそうなものです。

アロアシャ学園のものは、傷んだマンゴーと砂糖は使わず、マンゴーの芯に近い良いところだけを乾燥し、マンゴー本来の風味と甘みを凝縮したものになっています。

最近、中国資本による乾燥マンゴー工場がダッカにできたそうです。安物のくずマンゴーに砂糖と黄色い色素をミキサーで混ぜて、形成する段階で違う種類の繊維を入れて乾燥させるのだそうです。

そういえば、香港空港の「優の良品」で見つけた、きれいで大きくて黄色くて甘い乾燥マンゴーは人工形成の乾燥マンゴーだったかもしれません。このマンゴーをバングラにお土産として持って行き、モンジュールさんに乾燥マンゴーの話を持ち掛けました。

上野アメ横の御徒町駅近くにある乾物屋さんにも乾燥マンゴーが置いてあり、「優の良品」で売っているもの近いものです。アロアシャ学園のものと比べると繊維が多いような気がします。マンゴー本来はそんなに繊維が多かったのか、不自然に長く大きいと、今になって疑問に思います。

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多分、人工形成のものは保存料もたっぷり入っているのでしょう。

アロアシャ学園の乾燥マンゴーは砂糖や保存料を使わない混じりっけなし、イタリアから商談がきてもおかしくはありません。

ただ、現在の工場の生産の能力からすれば、バングラ国内の消費で手一杯。それでも、大きな黒字にはならず、ドル箱のイチゴ苗に代われるほどの規模ではありません。

そこで、元々のスポンサーである日本の会社の元社長さんから工場の規模拡大のために増額投資をしてもらうべく、悪友やモンジュールさんが日々奔走して、増額投資が決まったのか、話は聞こえてきません。

おそらく、増額投資は決まったのでしょう。そうすれば、別の場所に土地を求め、新しい工場の建設が始まるでしょう。

今回の渡航で、アロアシャ学園から乾燥マンゴーを買ってくることができませんでした。袋詰の製品は無くなっていました。しかし、結果的にアロアシャ学園の乾燥マンゴーは買ってくることができました。その理由は、後日、紹介することとします。また、アロアシャ学園の乾燥マンゴー工場の発足についても、後日、改めて紹介いたします。


himajintaro at 07:41|PermalinkComments(0)アロアシャ学園 | BOP

2019年09月18日

バイテク研究所も様変わり

しばらくぶりの渡航で、現地の様子もだいぶ変わっていました。

アロアシャ学園の屋台骨を支えている種苗販売の根幹となるのがバイテク研究所です。

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校舎の隣にある研究棟の3階にあるのが、農産物の品種改良と苗を増やすバイオテクノロジー研究所です。

モンジュールさんの大学の専門的知識を生かして、バングラデシュにはない国産ジャガイモの種イモの品種改良をバイテク研究で始め、育てた苗を農場に植えて生産したのです。

当時は、ほとんどがネーデルランド(オランダ)からの輸入種イモで、直ぐに農家に売らずに、種イモとして何年も増やして農家に売ったために、病気だらけのジャガイモがバングラで流通していました。

これに目を付けたのがモンジュールさんです。無菌でバングラオリジナルの種イモを生産し、利益でアロアシャ学園を回してきました。

しかし、いつまでもモンジュールさんの独占が続くわけもなく、この技術は一般的なものとなり、天候に左右されたり、夏場の冷蔵保存にコストがかかり過ぎたりで、ついにはジャガイモの生産は止めてしまったようです。

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スタッフもほとんどが入れ代わっていました。モンジュールさんの教え子が中心となって平均年齢も若かったはずですが、今では平均年齢がぐっと上がったような気がします。

上の写真の左から2番目の女性が一番若い研究員で、アロアシャ学園の卒業生です。

学園の教師も含め、農場や他のスタッフが変わるというのは、他の事業所からの引き抜きでない限り、その職員の素行が原因とすることが多いのです。

モンジュールさんは人が良いので、人を見抜けないと言われてきましたが、品行が悪い職員はトラブルを起こして出ていき、結果、顔ぶれが変わってしまいます。

モンジュールさんは、私に電話をかけてくることは、ほとんどないので、バイテク研究所で何があったのか、知りません。しかし、大きく顔ぶれがかわったということは、それだけ、たくさんのトラブルがあったということになります。

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上の写真の一番右の女性ラブリーさん。交通事故で大けがをし、手術で治療費がかさみました。モンジュールさんも労災扱いとして、自分のポケットマネーから治療費を出しています。

また、モンジュールさんの日本留学時代の旧友で山形大学農学部の元助教授がラブリーさんへ支援したいと悪友に現金を渡していました。

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蛍光灯はLEDに変わっていました。以前は、バングラ名物の停電で研究所の中の苗が全部お釈迦になるというのがザラでした。今は太陽光発電パネルとバッテリー、それに大型のディーゼル発電機があるので、そんな心配はなくなりました。

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相変わらず、いろんなものを作っています。イチゴは、まだまだ寡占状態でドル箱商品です。

学者であるモンジュールさんにビジネスをやらせるのは所詮無理な話でした。

今まで、バイテク研究所と農場が大きくなれなかったのは、単なる研究員だけの集合体で、品行方正なマネージャーや営業マンがいなかったのが最大の原因です。

以前から比べると、バイテク研究所に活気がなかったと見てきました。


himajintaro at 07:50|PermalinkComments(0)農業 | モンジュールさん