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2010年05月16日
ポスター印刷
山形市国際交流協会主催のイベントでチラシとポスターが欲しいというリクエストにお答えして、山形駅西側に隣接してるノッポビル霞城セントラルの22階で印刷をした。
22階、23階は山形市市民活動支援センターでNPOの活動を支援してくれる。ここは団体登録をしておくと紙持ち込みで同時2色刷り輪転機や大判印刷機がタダで使える。大判印刷機は、ポスターには打って付けで、ロール紙をセンターにキープしておく。そのほか、会議室やパソコン、紙折り機が無料で使えて重宝している。
himajintaro at 21:07|Permalink│Comments(0)
2010年05月05日
桃源郷へ
ゴールデンウィーク5連休の最終日、バングラのことは忘れて、ちょっと、桃源郷へおでかけ。例年より2週間近く、遅い春。ゆっくり、野の花でも撮りたい。
himajintaro at 17:10|Permalink│Comments(0)
2010年03月14日
山形ダッカ友好病院のラーマン先生に会った。
ダッカの有名デパート・アロンの近くに山形ダッカ友好病院がある。
院長のラーマン先生は、山形大学医学部に留学したことがある。山形の病院や関係者がラーマン先生を支援している。ラーマン先生は時々、山形においでになっているようである。このため、日本語が堪能である。
以前、ラーマン先生とダッカで会ったことがある。アロアシャ学園の新校舎オープニングセレモニーをした2000年1月、ダッカのシュンドルボン・ホテルで会った。オープニングイベントに参加した先生の支援者の令嬢をホテルに迎えに来てくれたときである。
ダッカから飛び立とうとした日は、運悪く、バングラで日常茶飯事だったホッタル(ゼネスト)と重なった。事前予告制で、野党政党がバングラ全土でおこなうホッタルでは、参加者が投石をするため、商店はシャッターを閉め、バスなどの交通機関はもちろん、マイカーも走らなくなる。国中が非常事態宣言のような状態になっていた(過去完了)。
このため、ラーマン先生のアドバイスで、朝早く、ホッタルが始まる前に、マイクロバスをチャーターして、ホテルからダッカ空港に移動した。
ラーマン先生と会って、これらのことを話したところ、先生も、懐かしく思い出されていた。以前、ダッカで会ったときは、オープニングセレモニーの日本側参加チームの一員として会っただけなので、個人的に先生と話したわけでもなかった。今回、偶然にも、バングラデシュ繋がりで、お上からお声がかかって、ラーマン先生に会うことになった。
先生は、ダッカに来たときには寄ってくださいと言われて名刺を渡してくれた。今後、ダッカで緊急事態の時は、お願いできることになるだろう。
himajintaro at 06:56|Permalink│Comments(0)
2009年09月23日
アロアシャ学園のメンバー無事帰国
今朝早く、悪友がアリさん、モンジュールさん、イスラム先生を成田空港に送り、夜行バスで東京から戻ってきた。ほぼ、定刻だった。
悪友と4人で、辛うじて切符のとれた夜行バスで東京に向かい、東京見物をして、アリさんは20日の夕方、成田空港を発った。イスラム先生は、長旅の疲れが出ていたという。日本の最後に東京見物では、無理があると悪友は言っていた。
アリさんは、昨日、ダッカに着いてから悪友に電話をかけてきたようだ。
22日は、イスラムの断食ラマダンが終わってラマダン祭りがある。日本の盆と正月を一緒にしたような帰省ラッシュがあり、ダッカから故郷に戻るバスや車で大渋滞となるという。ダッカの町から何十キロと渋滞し、ほとんど、車は動かないという。
アリさんは、21日深夜にダッカに戻ったが、多分、ラッシャヒには帰れないだろうとモンジュールさんは言っていた。モンジュールさんは、今日の早朝、ダッカに戻った。23日になると渋滞が緩和されて、列車でラッシャヒに帰ることができると言っていた。
アリさんは、一日早く、日本を発ったが、ダッカで足止めを喰らい、結果的にはモンジュールさんと一緒にラッシャヒに帰ることになりそうだ。
それにしても、ダッカの交通渋滞は、年を追うごとに酷くなっていると感じる。
悪友と4人で、辛うじて切符のとれた夜行バスで東京に向かい、東京見物をして、アリさんは20日の夕方、成田空港を発った。イスラム先生は、長旅の疲れが出ていたという。日本の最後に東京見物では、無理があると悪友は言っていた。
アリさんは、昨日、ダッカに着いてから悪友に電話をかけてきたようだ。
22日は、イスラムの断食ラマダンが終わってラマダン祭りがある。日本の盆と正月を一緒にしたような帰省ラッシュがあり、ダッカから故郷に戻るバスや車で大渋滞となるという。ダッカの町から何十キロと渋滞し、ほとんど、車は動かないという。
アリさんは、21日深夜にダッカに戻ったが、多分、ラッシャヒには帰れないだろうとモンジュールさんは言っていた。モンジュールさんは、今日の早朝、ダッカに戻った。23日になると渋滞が緩和されて、列車でラッシャヒに帰ることができると言っていた。
アリさんは、一日早く、日本を発ったが、ダッカで足止めを喰らい、結果的にはモンジュールさんと一緒にラッシャヒに帰ることになりそうだ。
それにしても、ダッカの交通渋滞は、年を追うごとに酷くなっていると感じる。
himajintaro at 10:29|Permalink│Comments(0)
2009年09月16日
ムハマド・ユヌス不評の理由その2
ある方から、グラミンについて次のような質問をいただいた。
「そんなシステムでバングラで最大の金融機関になったことに対するやっかみ、女性蔑視の社会での男性権威失墜などに対する反感などはないんものでしょうか。」
早速、モンジュールさんに、この質問をぶつけてみた。
「それは、あると思います。」
「ある大学の先生が、本当にグラミン銀行から金借りた女の人が、幸せになっているか、データをとって調べました。バングラデシュの新聞に発表しました。生活は良くなっていない。有名な話です。」
「バングラデシュのプライムミニスターのハシナさんは、グラミンは良くないと言っています。」
バングラデシュのプライムミニスター(首相)は歴代女性である。今も女性。
「そんなシステムでバングラで最大の金融機関になったことに対するやっかみ、女性蔑視の社会での男性権威失墜などに対する反感などはないんものでしょうか。」
早速、モンジュールさんに、この質問をぶつけてみた。
「それは、あると思います。」
「ある大学の先生が、本当にグラミン銀行から金借りた女の人が、幸せになっているか、データをとって調べました。バングラデシュの新聞に発表しました。生活は良くなっていない。有名な話です。」
「バングラデシュのプライムミニスターのハシナさんは、グラミンは良くないと言っています。」
バングラデシュのプライムミニスター(首相)は歴代女性である。今も女性。
himajintaro at 22:57|Permalink│Comments(0)