ルンジュさん

2018年01月14日

ダッカ空港濃霧で閉鎖



昨日のディリースター紙にダッカ空港が濃霧のため一時閉鎖されているという記事がありました。

2018年1月10日の記事「68年ぶりの最低気温?」でも紹介しましたが、バングラデシュは冷え込みが厳しく、夜間から午前中にかけて霧が発生しているようです。

霧の発生は、2012年の年末の渡航で初めて経験し、以来、乾季には毎年のように発生し、ダッカ空港の夜間飛行禁止が続いています。

この霧を避けるために、夜間到着の香港ドラゴン航空便から昼到着のタイ航空に切り替えた経過があります。

福島のルンジュさんが帰国されているとのことです。ご自身は寒さに弱いと奥様からお聞きしております。ストーブやコタツのないバングラで寒さに震えているのではと心配しています。日本に戻るときに支障がないと良いのですが。 無事のお戻りを祈っています。

himajintaro at 08:45|PermalinkComments(0)

2017年07月09日

美味しいビリヤニ作りました。

福島県伊達市に住むルンジュさんからバングラデシュ土産に香米をいただいたので、女房からのリクエストでビリヤニ(注1)を作ってみました。以前、来日したことのある元アロアシャ学園校長のアリさんから教えてもらった方法で作ってみました。レシピは2009年8月21日「美味しいビリヤニの素の作り方」を参考にしてみてください。














上手く炊けました。香米の匂いとバングラデシュ米特有の小さくてポロポロした感じとビリヤニの風味とがうまくマッチングして美味しいの一言に尽きます。私が住んでいる山形県内では、本格的なビリヤニを出しているカレー屋さんに出会ったことがありません。

米は5合で、大人6人と子供1人分にして炊いてみましたが、少し余りました。まだ、香米が残っているので、また、近いうちに作ろうと思っています。

※(注1)ベンガル人の方でもビリアニと言ったり、ビリヤニと呼んだりする方がいます。

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2017年05月23日

三春藩cub主総会に出席しました。

バングラデシュには直接関係がありませんが、一昨日の21日、福島県三春町で行われた「三春藩cub主総会」に出席しました。ホンダの名車スーパーカブの所有者を「株主」と掛けて「cub主」とし、所有者を対象にイベントを開催するので、「総会」とするところに遊び心があります。200台のスーパーカブが地元の福島を始め、北関東、新潟、山形、宮城などの各地から集まってきました。

この「cub主総会」は本家があり、製造元のホンダが毎年、東京青山で開催しています。様々なカスタマイズをした迷車が集まってきます。エントリーをすると「総会」で様々な特典やプレゼントが受けられるのですが、東京まで自分のスーパーカブで行くという条件があります。また、東京での開催は、寒くなる時期なので、とても、山形からは出かけることができません。

ということで、三春町で「cub主総会」が行われるという情報を山仲間が聞きつけ、早速、山仲間と共に「総会」に出席したという状況でした。私は、愛車リトルカブを走らせて、朝5時に山形を出発し、地図上の最短コースを取って、三春町に入りました。ちなみに、JICAが協力隊員に派遣先で貸与しているのはリトルカブだったような気がします。

総合司会はお笑い芸人の「なすび」さんでした。彼は福島出身で、ネパールの地震の時にネパールに居合わせて、地震の被害を目の当たりにして、現在もネパールへの支援活動をしているそうです。











































あまりの暑さに耐えかねて、郡山名物グリーンカレーを食べて、12時半には会場を後にしました。暑い福島市内を通って帰るのも芸がないというので、お隣の田村市から国道349号線を北上し、伊達市の保原まで向かいました。



伊達市にお住まいのルンジュさん宅にお邪魔してきました。急にアポなしでお邪魔しましたが、ルンジュさんと奥様といろいろお話しさせていただきました。

ルンジュさんは4月からゴールデンウィークに掛けて、バングラに帰国されたそうで、バングラの様子を教えてもらいました。



帰りに、バングラのお土産をいただき、また、ルンジュさんにお会いする約束をして山形へとリトルカブを走らせました。

とにかく、暑い一日でした。

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2016年12月03日

ルンジュさんとペンション櫻へ

久しぶりに山形市内で福島のルンジュさんと悪友と懇親会をやらないかという話になり、どのみち、山形で泊まるのなら、いっそのこと宿で美味しい料理を食べながら一杯やろうとタヌキおやじが提案した。バングラの現地駐在員のJ氏と泊まった蔵王ペンション村のペンション櫻で楽しいひとときを過ごした。ペンション櫻はアルコールの持ち込みOKというのが魅力の一つでもある。

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食事前に軽く缶ビールを1本飲んだ後、夕食にした。

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山形県長井市今泉の馬刺しをいただいたが、久しぶりの馬刺しは美味かった。山形県内では、北部の最上地方や長井市の置賜地方は馬の生産を昔から行っていたので馬肉は出荷されていたが、なかなか、県内産の馬刺しはお目にかかったことがない。

今泉駅前には昔から馬肉ラーメンを出す店があり、休日は行列ができる。山形県は日本一のラーメン消費県なので、様々なラーメンが各地に存在するが、真っ黒なスープの上に馬肉チャーシューが乗っているラーメンも異色なラーメンの一つである。

悪友が、宿の予約時に豚肉はダメよと頼んでくれた甲斐あって、今泉産の馬刺しにありつけたが、ルンジュさんにも抵抗なく食べていただいた。

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きのこたっぷりの鍋の締めに、ほうとうを四角にしたような「うどん」をいただいた。味は「うどん」というより、「すいとん」に近かった。このうどんにはルンジュさんは懐かしさを感じるという。昔、ルンジュさんがお祖母ちゃんから作ってもらった、日本で言う「すいとん」に近いものを食べたことを思い出すという。バングラの「すいとん」は米粉で作り、手で汁に絞り出して作るという。

悪友もタヌキおやじも、バングラに行って20年になるが。まだ、バングラすいとんにはお目にかかったことがない。今でも、バングラには、このような食文化が残っているのだろうか。

夕食の時に、オーナーシェフの山口信行さんのお兄さんと悪友が仕事上の付き合いがあることがわかり、悪友も山口さんもビックリしていた。悪友がペンションの下の集落・上山市小倉で田んぼの圃場整備事業(区画整理)の担当者で、山口さんのお兄さんが小倉の土地改良区の理事長されていて、工事で何度も打ち合わせをしたという。8年前の事業であった。何という巡り合わせか、必然だったと言うべきか。世間は狭いと言うが、正しく、そのとおりである。

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前回来たときには気がつかなかったがペンション櫻にはトマトの木があった。多分、前回は外に置いてあったので気がつかなかったのだろう。トマトの原種に近いのかもしれない。2年目で実がなったという。

2次会は、同じ大広間の低いテーブルで再度飲み直した。2次会には山口さんも参加した。酸っぱいトマトも出していただいた。余り物だ言いつつ、高畠の日本酒まで出してもらった。

さらに、山口さんの息子さんが釣ってきたというカンパチとサワラを下ろしてもらい、生きの良い刺身までご馳走になりながら、4人での話は尽きなかった。

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ルンジュさんは、バングラの魚はどれが美味しいとはいえないという。魚は全部カレー味にされて、魚の持つ味を楽しむことができないという。それに比べ、日本食は一つ一つの食材の味を楽しめるから美味しいのだという。なるほどと思いつつも、バングラの魚も種類によっては、美味しい、美味しくないは感じてきた。確かに、一つ一つの食材の味を楽しむという食文化は無い。全部カレー味にされてしまう。衛生的にも生ものを食べられない弊害はある。

しかも、包丁が板に固定したサーベル状をしていて、食材を押して切るとなれば、魚を三枚に下ろすことなど到底できるわけがない。極端な話、魚は全部輪切りにされてしまう。今だからこそ、文化包丁を普通に使う家庭が増えたので輪切りとは限らなくなった。そこから転じて、日本の包丁の話で2次会の場が盛り上がった。

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楽しい宴会を過ごした次の日は、三宝荒神山や地蔵岳が霧氷で白くなっているのがわかった。アマチュアカメラウーマンの女将さんは、写真を撮りに行きたくてうずうずしていた。

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次回は福島で会いましょうと約束をしてルンジュさんと別れた。

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2016年01月02日

朗報

福島県伊達市のルンジュさんの奥様から連絡が入り、ルンジュさんは18日から帰国しているようである。

奥様の話によると、小学校の5年生が受ける国家試験でジャパン・フレンドシップ・アカデミーはパブナで一位の成績を収めたとのこと。

バングラデシュは、小学校は英国式にプライマリースクールと言い、アメリカのようなエレメンタリスクールとは呼ばない。小学校は5年間。

5年生は、卒業前にPSC(プライマリスクールサティフィケート:初等教育終了証)を得るための国家試験を受ける。これに合格しないと卒業できないし、この結果が公表されて、偏差値となり、学校の順列が決まる。

創設時に校長先生だったムニ先生が抜けて、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーはダメになるだろうと噂されていたというが、これで汚名返上。

昨日、パブナで一位の小学校になったため、県知事を呼んでセレモニーが行われ、生徒と保護者でパレードが行われたという。良くも悪しきも、何につけてもパレードをしたがるベンガル人。横断幕を持ち、ニコニコとパレードを行ったのであろう。

ムニさん無き後、校長として経営者として孤軍奮闘していたラーマンさんも、これで苦労が報われた。

himajintaro at 06:07|PermalinkComments(0)