ジャパン・フレンドシップ・アカデミー

2021年02月14日

ジャパン・フレンドシップ・アカデミーは休校中


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一昨日の金曜日(12日)の夜、久しぶりにバングラデシュ・カシナプールのジャパン・フレンドシップ・アカデミーのオーナーであるラーマンさんにFacebookのメッセンジャーで電話をかけてみました。この日は、応答がなく、翌朝、ラーマンさんから電話がかかってきました。

相変わらず、ラーマンさんと家族はみんな元気のようでした。カシナプールのコロナの発生は、ほとんどなく、平和な毎日であるとのことでした。しかし、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーは休校中のようでした。

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4月には再会できるだろうと言っていましたが、コロナの影響でしょうか。

私は、以前から、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーのインターネットの回線スピードが気になっていました。

2年前、ラッシャヒに行ったときは、モンジュールさんのアパートがWi-Fi環境になり、20年ぐらい前の日本のネット環境に近くなっていました。

カシナプールがそれに近ければ、日本からジャパン・フレンドシップ・アカデミーをつないで、何か授業ができないかと考えていました。ラーマンさんにしてみれば、日本語教育が喉から手が出るほどしたいことは分かっていますが、こちら側の環境が整っていません。

日本語を外国人に教えるのは、大変難しく、学校の先生ならできるというものではありません。日本語を教えるための専門の教育が必要です。

最初は、zoomを使い、回線状態が良ければ、授業で使えそうな別のツールを使って、しばらく、テストをしながら、何ができるか考えてみたいと思います。


himajintaro at 22:56|PermalinkComments(0)

2019年02月09日

バングラ渡航前に羅名さんの店に立ち寄りました。

バングラデシュ渡航のため昨年末12月25日の午前中に山形を出発しました。26日羽田発0時20分のバンコク行きに搭乗するまでの間、下町のベンガル人、橋本羅名さんの焼肉店・牛将に寄り道するため、上野駅で新幹線を降り、日暮里で京成本線に乗り換えて、堀切菖蒲園に到着しました。



一度は堀切菖蒲園駅改札から30秒のところで営業していた牛将の経営権を人手に渡したものの、昨年10月7日に自宅の一階にリニュアルオープンした牛将の開店祝いのため立ち寄ったのです。

羅名さんによると経営者が代わった牛将は羅名さんが経営していないことがお客さんにわかり、かえって牛将の名前では売り上げが上がらないので別の名前にしたとのことです。このため牛将の名前が使えることになったようです。



新しい店は堀切菖蒲園駅改札から東へ歩いて5分もかからないところにあります。









営業時間は15:00から23:00までです。以前は17:00ごろから24:00か1:00ぐらいまで営業していたような気がします。



以前は近い場所に店があったとは言え、自宅から通わなければなりませんでしたが、今度は自宅の1階ですので、物理的にも精神的にも楽になったと思います。何より、家族とすぐに顔を合わせることができることは良いことだと思います。





今回、開店祝いとして持参したのが将棋の駒で有名な天童の「左馬」です。この「左馬」は商売繁盛、家内安全のための縁起物として開店や新築の祝い品で贈られるものです。



この「左馬」は天童にある菱沼王将製作所(山形県天童市北目3丁目3−50  023-653-4472)という製造元から直接購入しました。



実は、2014年8月3日「左馬」(ひだりうま)でも紹介しているようにバングラデシュ、パブナのカシナプールにあるジャパン・フレンドシップ・アカデミーにも「左馬」を学校の開校祝いとして持参しています。

仕込み時間にお邪魔しました。仕事の邪魔にならないように気を付けて仕込みを見させていただきました。

himajintaro at 12:29|PermalinkComments(0)

2019年01月19日

帰国直前にラーマンさんから入電



ダッカを離れる1月4日。ホテルで朝食を終えたところにカシナプールのラーマンさんからファイスブックのメッセンジャーで電話が入りました。

ラーマンさん側の電波状態が悪く、会話が途切れて、互いに何度も掛けなおしました。

家の中(ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの校舎と自宅が同じ建物)は電波の受信状態が悪いというので、建物の外に出て通話をしても改善しませんでした。

ラーマンさんは、私たちがバングラに来たのにカシナプールに立ち寄らなかったことを残念がっていました。

今回は、総選挙と重なったため、私たち外国人は警察と軍隊のシークレットサービスの監視を受けて、ラッシャヒに滞在することになりました。監視と言っても、モンジュールさんに警察や軍が安否を確認するだけのことでした。

ダッカからの移動は列車やバスを使わずに飛行機を使ったことで、安心で快適な旅をすることができました。

このことは、ラーマンさんもよく理解してくれました。

以前から、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーで日本語教育ができないか、日本からネットで遠隔授業ができないかと模索していましたが、入管法が改正することになり、日本側の下地ができたと思った矢先、法改正の中身は低賃金の外国人労働者を受け入れるということになり、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーでの日本語教育の意義とはかけ離れたものになってしまいました。

しかし、日本で学んだことがバングラデシュで役に立つのなら、日本への留学や技術研修という選択肢は残っています。

そういう意味でも、日本語教育の需要があればジャパン・フレンドシップ・アカデミーでの日本語教育は進めていった方が良いと思っています。

ラーマンさんの話では、自宅の3階にWifiのルーターを付けたと言っていますが、それが全く役に立っていないのか、それともWifiのルーターではないのか、現地に行ってみないと、話だけでは状況がわかりません。

以前から、悪友とジャパン・フレンドシップ・アカデミーに行って状況確認と場合によっては、ネット環境の改善をしたいと思っていました。

ラッシャヒはアロアシャ学園もモンジュールさんの家もWifi環境が整って、停電さえなければ、大体は使える状況になりました。

カシナプールはどうなのか。もう少し、調べてみる必要があります。

 

 

 

 

himajintaro at 10:53|PermalinkComments(0)

2018年05月10日

ラーマンさん元気ですか?の続編

4月18日の記事「ラーマンさん元気ですか?桜咲きました。」の続編です。

不幸にも日本人7人を含む死傷者が出たダッカのテロ事件以降、治安の悪化が最大の理由で、しばらく、バングラ渡航を自粛していました。

日本側には、当時の後遺症は残っているでしょうが、ここ最近は、現地では何事もなかったようなニュースばかりで、テロの首謀者たちへの関心はなくなったかのように見受けられます。

一時期、行動規制がされていた現地の日本人たちは、今では普通に暮らしています。

そんな中、ラーマンさんとの電話でのやり取りで、以前から気になっていたのがジャパン・フレンドシップ・アカデミーでの日本語教育でした。

一旦は、JICAのバングラ隊員OBを現地に送り込もうか、それとも、日本から遠隔で授業ができなかといろいろ画策を進めていたところにテロ事件が発生し、日本語教育は頓挫してしまいました。

バングラ隊員OBはバングラで様々なトラブルに巻き込まれバングラに愛想をつかし、ベトナムへ婿に行ってしまったのです。

私たちが10年以上前に、山形県鶴岡市の小学校とアロアシャ学園をアイボールというスカイプのようなソフトを使って音声と映像を送りあって交流会をし、なかなか、途切れ途切れで進まない中、何とか日本とバングラデシュの子供たちに感動を与えることができました。

現在ではとても考えられないぐらいにIT技術が進歩し、電話でさえもLINEやFacebookを使ってバングラと普通に話せるようになりました。

私が以前勤めていた山形市内の公立の高等学校と福島県立会津短大をネットで繋ぎ、会津短大の先生の授業を遠隔サテライトで受けています。

バングラ側のネット環境が良くなっていることは間違いありません。ジャパン・フレンドシップ・アカデミーまで光回線が繋がってれば、遠隔授業は現実的なものとなります。

現在のネット環境についてラーマンさんに聞きましたが専門的な知識が無いので、今一、よくわかりませんでした。ラーマンさんに限らず、昔からベンガル人にものを尋ねると、必ずオショビダナイ(ノープロブレム)という返事が返ってきます。

よくもまあ、わからないくせに、軽々しく返事を返すものだと思っていました。オショビダナイ(問題ない)に翻弄されてきた20年と言っても過言ではありません。

できることなら、ラーマンさんの思惑を実現してあげたい。日本側としても事業化して、いくらかでも収入が入れば雇用も生まれ、インバウンド政策にも貢献できるという思惑もあります。また、日本の人口減少に歯止めをかける方法としては、高度な技術力を持つ人材を他国から招き入れる、いわゆる、移民政策を早急に採らないと日本という国が無くなる可能性があります。

日本に行きたいという若き優秀なるベンガル人に日本語を教えることは、これからの日本の国策にも適うことだと思うのです。

ラーマンさん伝えたことは、とにかく、現地のネット環境を見てみたい。現実化できるとすれば、ハード的に何が必要なのか、システムやメンテナンスができるのか、この目で確かめないとオショビダナイに翻弄されていては、先に進まない。

ラーマンさんがどうしても日本語教育を進めたいというのであれば、詳しい現地調査と打ち合わせが必要であるとラーマンさんには話をしたところです。

アロアシャ学園の前の国道には大分前に光回線が入りました。ジャパン・フレンドシップ・アカデミーは光回線は繋がっていないと思います。光回線に直接繋がっていなくとも中継局まで光で繋がり、そこから回線スピードさえ落ちなければ十分使うことはできると思います。

これから、どう進むかわかりませんが、日本語教育はサテライトで世界各地で行われることは間違いないと思います。




himajintaro at 07:42|PermalinkComments(0)

2018年04月08日

ラーマンさん元気ですか?桜咲きました。





昨日、モンジュールさんに電話する前に、ラーマンさんへ桜の写真を送り、電話をしました。

ラーマンさんは日本の桜を自分の学校に植えて育てたくて、ダッカから桜だと言われて苗木を買ってきましたが、なかなか、花を咲かせることができませんでした。

2014年4月18日「気になる桜」2014年4月21日「ジャパン・フレンドシップ・アカデミーで荒療治」2014年8月8日「これって、桜?」で紹介したように栄養状態が悪く、桜と思っていた苗木は、実はサルスベリ(百日紅)だったという落ちになりました。

もちろん、ラーマンさんはガッカリしました。

バングラで咲かせることができる桜は、沖縄で1月に咲くヒカンザクラだろうと思います。しかし、バングラでヒカンザクラの苗木を手に入れることは至難の業です。

ラーマンさんは日本で桜を見ているので、その感動をベンガル人にも味わってもらいたいと考えていました。せめて、日本の桜の写真だけでもラーマンさんに見てもらおうと送りました。

ラーマンさんは喜んでくれました。

ラーマンさんとの話の内容は次回に掲載します。

himajintaro at 10:33|PermalinkComments(0)