2014年03月31日
招かざる客
辻さんとシャヘブバザールでバイクの話をしているうちに、モンジュールさんがアロアシャ学園に戻ったと言う連絡が入り、急遽、我々もアロアシャ学園に向かった。
学園には、公益財団法人日本国際協力財団の秋山さん他職員2名(内1名はアロアシャ学園駐在)とモンジュールさん夫妻とモンジュールさんの上司で学科長のイスラム先生夫妻が待っていた。
ラーマンさんを秋山さんたちに紹介をし、バイテク研究所と太陽光発電装置を見せてもらうことにした。研究所と太陽光発電装置の案内は、タヌキオヤジでもできるが、一応、モンジュールさんに案内してもらった。
普通のお客さんなら、寒天培地を保管している部屋の内部も細かく案内してくれるはずなのだが、モンジュールさんは案内しなかった。いかに鈍感なタヌキオヤジにしてもラーマンさんが招かざる客であることが、この時すぐにわかった。
一通り、研究棟を見て回り、職員室に戻った。本当のところ、秋山さんたちともっと話がしたかったのであるが、「帰りましょう!」と切り出したのは、他でもない、このタヌキオヤジだった。とても、落ち着いて話をできる状況になかった。
この日、モンジュールさんのジェラシーを目の当たりに見てしまったからである。
前回の次男を連れてきた時も、渡航前に電話でパブナに行くと言ったら、「パブナは原理主義のボスがいて危ない所だから行かない方が良い。学校の場所を詳しく教えて欲しい。」とモンジュールさんは言っていた。
パブナに行く直前に、研究所の女子職員によるホルマリン誤飲事件が起きた。ホルマリンなんか、刺激臭があり飲めるはずなんか無いじゃないか!
そして、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの開校式前日、迎えに来てくれたルンジュさんに、霧が濃いから、霧が晴れてからパブナに行った方が良いとモンジュールさんは言った。我々日本人は、モンジュールさんの「忠告」を無視して、開校式の当日早朝、アロアシャ学園を抜け出した。ルンジュさんは、開校式に間に合うか、心配で眠れなかったと言う。
さらに、招待者であるモンジュールさんは開校式がとっくに終わった午後8時過ぎに、招かれてもいないムホンさんとピントさんを連れだってジャパン・フレンドシップ・アカデミーに到着した。
ついでに、翌朝、我々にゆっくり朝食もさせずに、モンジュールさんが自ら危ないと言ったパブナで全国農民代議員大会に連れ出した。
今考えると、モンジュールさんのジェラシーは、前回の渡航から始まっていた。
ラーマンさんは、モンジュールさんにとって招かざる客だった。ラーマンさんも前回の開校式の件では、大変ご立腹で、「アロアシャ学園には二度と行かない!」と言っていた。
さらにこれに輪をかけた事が起こった。
ラーマンさんとアロアシャ学園を去ることになったが、先に学園を離れたのはモンジュールさんたちだった。秋山さんたちをみんなでホテルに送るため、先に帰ってしまった。
残った辻さんをジャパン・フレンドシップ・アカデミーに誘った。快諾してくれて、我々はジャパン・フレンドシップ・アカデミーのあるパブナ・カシナプールに戻った。
実は、この夜、アロアシャ学園では秋山さんたちが翌日ダッカに戻るというので焼き鳥パーティを行った。その場所に、タヌキオヤジもいなければ、辻さんもいなかった。辻さんは、ラッシャヒからは遠い赴任地にいた協力隊OBで、バングラに赴任中は、モンジュールさんを慕って何度もアロアシャ学園に通っていた。その辻さんまでもが焼き鳥パーティに参加しなかった。
モンジュールさんが泣いたという話を聞いたのは、日本に帰ってからのことだった。
himajintaro at 07:00│Comments(0)│ジャパン・フレンドシップ・アカデミー