ケアさんが作ってくれた美味しい料理悪友、遅い夏休みを取りバングラへ

2014年09月20日

モンジュール家の波平さん逝く

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モンジュールさんの奥様ボナニーさんのお父さんが今月14日亡くなった。
モンジュールさんは「マスオさん」で、ボナニーさんは「サザエさん」である。その「サザエさん」のお父さんなので「波平さん」ということになる。
「波平さん」は、ラッシャヒで一番最初にバス会社を設立した実業家であった。大きな池のある、お屋敷に、一戸建ての家を建て、二階に「波平さん」夫妻、一階にモンジュールさん一家が住んでいる。
モンジュールさんがラッシャヒ大学の学生時代にボナニーさんの家庭教師にきていて、そのうち、恋仲になり結婚した。
「波平さん」は今まで何度か体調を崩して危ないと言われてきたが、その度ごとに復調し、タヌキオヤジが渡航したときには、いつも元気な姿を見せていた。
彼は、毎日、自宅の池で、魚を釣り、晩ご飯のおかずになっていた。
「波平さん」の所有地で、ラッシャヒ市郊外にあるナサリーは、アロアシャ学園の運営資金を捻出するための農作物の品種改良を行ってきた試験圃場であり、アロアシャ学園の研究所から、バングラ初のイチゴを始め、数々のヒット商品を生み出してきた場所でもある。
幾度ものアロアシャ学園存亡の危機を乗り越えられたのは、「波平さん」の農地があったからこそであり、「波平さん」なしではアロアシャ学園を語ることはできない。
ここに、アロアシャ学園の経営に関係してきた者の一人として、「波平さん」の死に対して、深く哀悼の意を表するとともに、モンジュールさん一家にアラーの神のご加護があらんことを祈念する。


himajintaro at 05:04│Comments(0) 

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