2009年10月
2009年10月19日
ビール、日本酒、ワイン、みんな酔っぱらい
ある日の歓迎会。モンジュールさんの「辛口のビールが飲みたい」というリクエストにお答えして、アサヒ・スーパードライを準備した。モンジュールさんが日本に留学していたときに好んで飲んでいたビールである。
久しぶりの辛口ビールにモンジュールさんは上機嫌であった。イスラム先生も、アリさんも辛口ビールは好評であった。
次は、日本酒。天童市にある出羽桜酒造の「一路」。モンジュールさんが日本に来る前に、電話で「世界チャンピオンになった日本酒をご馳走する」と言っていた日本酒である。3ヶ月間、冷蔵庫で大事に冷やしておいた。とにかく、フルーティで飲み口の良い酒である。山形でも手に入りにくい「十四代」でなくとも、山形には美味しい日本酒がいっぱいある。
そして、ワイン。7月12日の日記で紹介した山形大学のワイン。全国の国立大学が独立行政法人になり、収益事業をしないと経営が難しくなっているという日本の大学事情をモンジュールさんたちに説明した。山形大学からもらった白と赤のワイン2本とも飲み干した。
まだまだ、飲み足りなくて、日本酒一升をほとんど空けた。みんな、酔っぱらって帰って行った。なんと言っても友と飲む酒は旨い。
2009年10月18日
蔵王キリスト教会でチャリティ・フリーマーケット開催
10月4日の日記で紹介したフリーマーケットが蔵王キリスト教会桜田チャペルで行われた。売り上げの中からアロアシャ学園に寄付していただけるということで、早速、お邪魔した。
バングラデシュがイスラム教国であることから、キリスト教会から寄付を受けることに抵抗があるのではないかと教会の方々が心配されていたが、モンジュールさんたちは、宗教に対する執着は全くなかった。
教会の1階は駐車場になっていて、そこでは、チジミ、玉こんにゃく、焼きそば、モツ煮込み(写真中)、野菜(写真下)の出店をしていた。韓国出身の女性が美味しいチジミを焼いていて、夕飯のおかずに大きいチジミを2枚買った。
教会の向かいの別棟では、フリーマーケットが行われていた。所狭しと商品が並べられ、近所の人たちが品定めをしていた。
教会の2階では午後1時と2時半の2回、アロアシャ学園の紹介をする時間をいただいた。寄付へのお礼と教会側から提案のあった使い道を奨学金とすることで、バングラ側に奨学金基金を作ることなどを説明した。
奨学金基金の構想では、アロアシャ学園を卒業し、高校に入る生徒のための学費を奨学金として支給する。基金には、寄付をしてくれた団体・個人の名前がついた基金を作り、その基金をどの生徒が支給を受けたかを公開することで、教会が望んでいる目に見える支援活動に応えていきたいと考えている。
説明の後、アロアシャのビデオを見てもらって、設立の経緯や学園の様子を紹介した。ビデオの後、突然、財布の中から1万円を出して、寄付を申し出てくれたご婦人がいて、すぐに1万円札だとわからず、びっくりした。キリスト教には寄付文化が定着しているということを改めて実感し、大変、ありがたい思いをした。
とかく、海外支援は物や金の使われ方や流れが不明朗で、支援を受けるべき人々に届かないことが多い。日本は、これからのODAや海外支援のありかたを本当に考え直すべき時期にきていると思う。
2009年10月17日
山形市長へメッセージ
モンジュールさんたちは、ラッシャヒ市長から山形市長へメッセージを預かってきた。モンジュールさんが日本の山形に行くとラッシャヒ市長に話をしたところ、是非、山形市長に自分のメッセージと贈り物を持って行って欲しいと頼まれたという。
ラッシャヒ市長は、若い市長で、昨年12月に替わった。ラッシャヒ市長は、ラッシャヒの街並みをきれいにしたいので、日本の街作りを参考にしたいと考えているという。
山形市議会開催中なので、山形市長には、直接、ラッシャヒ市長のメッセージを届けることはできなかったが、代わりに国際交流担当の山形市国際交流センターの職員に受け取ってもらうことができた。
贈り物はラッシャヒシルクで作ったサリー。以前も紹介したが、ラッシャヒはバングラではシルクの一大産地で、国営航空のビーマンバングラデシュ航空の女性客室乗務員のユニフォームであるサリーはラッシャヒで製作されている。
もう一つは、ベッドやソファーのカバーにできるような、大きな手工芸品。ラッシャヒ市長は、これらの贈り物を自分で買って、モンジュールさんが発つ朝6時にラッシャヒ駅に持ってきて、モンジュールさんに手渡し、モンジュールさんの旅立ちを見送ったという。
ラッシャヒ市長の父親は、印パ戦争の国民的英雄で、ラッシャヒ市内には、父親の名前のついた公園があるという。モンジュールさんは、ラッシャヒ市長から公園の整備計画を任されており、特に市長の希望で温室のデザインを頼まれたという。
日本側メンバーには、造園デザインの専門家がおり、次回渡航時に、直接、ラッシャヒ市長に会って、市長の希望を聞いてデザインすることになった。
2009年10月13日
ジェントルマン・アリさん、校長をやめる。
アリさんがアロアシャ学園の校長を9月いっぱいでやめた。
太陽光発電の技術者を養成し、バングラデシュの地域改善をしようという新しいプロジェクトに専念するため校長職を退いた。
アリさんは、日本に滞在中は、女性に大変人気があったようだ。日本語の覚えは悪いが、礼儀正しく、遠慮深い。日本語を教えていただいた先生方(全員女性)は、今までのワースト5に入るぐらい日本語を覚えられなかったという。四十を超えてからの語学研修では無理もない。
しかし、アリさんが帰国してからの先生方の話では、アリさんはジェントルマンだとの評判になった。また、住んでいたアパートの近所の奥様方とも仲良くなり、食事に誘われたり、帰国時にはお土産までもらった。
ジェントルマン・アリさんは、新しい事業の準備で忙しくしていると電話で言っていた。