2015年08月

2015年08月15日

パソコンも代替わり

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何年か、バングラのお供をしていたノートPCが老朽化して、次の世代へバトンタッチする時が来たようである。

今まで、ASUSのネットブック、東芝のダイナブックのネットブック、それから、写真の右下にあるパナソニックのレッツノートと代替わりをしてきた。レッツノートは、悪友からもらったもので彼の奥さんが使っていたが、ハードディスクを今流行のSSD(ソリッドステートディスク)に交換しようとしてポインティングマウスの接続コードを切ってしまい、お釈迦にしてしまったものであった。

ポインティングマウスの接続コードは薄くて平べったいコードなのであるが、悪友は在庫部品を持っていなかったため修理絶対不能PCと判断し、タヌキオヤジに部品取りPCとして回ってきたものである。しかし、タヌキオヤジは他称「PCレスキュー兼PCパーツ収集家」であり、ディスクトップパソコンのみならず、ノートパソコンも修理不能品から共有部品をストックしておいたので、ポインティングマウスの接続コードも在庫品で難なく修理して、タヌキオヤジ用として現役に復活してしまった。

レッツノートは、象が踏んでも壊れないという堅牢なボーディを持つ。その秘密は、随所にあるが、その最たる所は液晶画面の裏側、いわゆる天板がアルミニュームで出来ていて、液晶との間に十分な空間を持たせて、衝撃を吸収させている。マスコミの多くの記者たちが会見でレッツノートを持ち込んでいるのは、軽くて、丈夫で使いやすさに人気の秘密がある。

このレッツノートはバングラ渡航三代目のマシンだったが、ポインティングマウスのクリックボタンと電源ボタンとDVDプレーヤーの開閉ボタンが経年劣化して寿命を迎えた。

四代目は、写真の左下のSONYのバイオである。このマシンは、別の友人から、今年もらったもので、指紋認証と地デジが見られるという変わり種のマシンである。Windows Vistaが載っていたが、動作が重く、Kona Linux(コナ・リナックス) というリナックスソフトを載せ替えて軽快に動くマシンに生まれ変わった。

ちなみに、写真右から2番目は、悪友からもらったセレロン・プロセッサーが載っていたマシンであるが、近所の知人からもらった修理不能PCに載っていたコア2ディオ・プロセッサーを取り外して、悪友のマシンに載せ替えた。Windows7からWindows10に切り替えた。

一番左のマシンは、バイオとともにもらった、マウスコンピュータのコア2ディオ・マシンである。ハードディスクが外されていたので、あり合わせの250GBのノートPC用のハードディスクを取り付け、Haze OS(ヘイズ・オーエス)という64ビットのリナックスソフトを入れ、軽快に動いている。 アプリケーションがたくさん入っていて、どちらかというとWindows8を意識して作られたかのようなソフトである。

タヌキオヤジがメインマシンとして使っているのは、自作したディスクトップマシンである。水冷4コア・プロセッサー(i5)、高速SSD2台と空冷ファン付きハードディスク1台、放熱板付きメモリー8GBで回す、ちょっとだけ高速起動して、重い仕事もこなす。ノートパソコンは、TPOで使い分けをしている。

いつもながら思うことではあるが、コンピュータ本体、特にノートパソコンのスピードは、限界に近づいている。売らんがために、ギュウギュウにアプリケーションソフトを入れて、スピードが落ちないようにマシンのスピードを上げてきた。メーカーディラー・マシンには、いらないソフトがワンサカ詰め込まれている。

そして、素人が簡単に使えないマシンを作って、言葉巧みに売ってきた。基本的には、コンピュータはトラブルが起きたら、ほとんど、初心者には修理は不可能である。メーカーは、素人相手のサポートはしない。わざと難しい言葉で素人を目眩ましている。

そろそろ、必要な分だけのアプリケーションソフトが入っていて、難しい専門用語が必要のない、誰にでも理解が出来て、メンテナンスができるコンピュータを作る時代が来たのではないかとタヌキオヤジは独り言を言っている。

himajintaro at 23:27|PermalinkComments(0)生活 

2015年08月08日

バングラのハンバーガー

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バングラにも世界的なファーストフードの波が押し寄せてきていることは、今まで、何度か紹介してきた。そのほとんどは、欧米のチェーン店的な店舗がダッカの街の中に点在している。
バングラで5番目に大きい都市、ラッシャヒでも、ダッカのような小綺麗な店も見受けられるようになったが、商品だけ真似をして、一般の店舗で売られているのがほとんどある。
写真のようなハンバーガーが無造作に並べられて売られている。
野菜もソースも入っていない、肉のフライだけが挟んであるハンバーガー。タヌキオヤジ的には、食べてみたいが、日本人なら絶対手を出さないであろう。
ショーケースにも入れられず、不衛生極まりないと見向きもされないだろう。
一緒にマーケットに買い物に行ったベンガル人のアロアシャ関係者も絶対に手を出さない。
現地の人間も手を出さないのには訳があるのだろう。
写真を撮ってから日本に帰ってから気がついた一枚である。

himajintaro at 08:43|PermalinkComments(0)植物 

2015年08月05日

バングラには生クリームがない!

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以前から、卒業したアロアシャ学園の子供たちの就職場所として、ケーキ屋を作ろうという話が出ていた。アロアシャ学園のイチゴを使ってイチゴのショートケーキを販売できればいいねという発想であった。菓子作りの工場と販売する店舗に卒業生を配置したいと考えていた。
構想から何年たったであろう。いつになっても、現地では実現できない。日本なら三日で出来ることがバングラでは3年かかっても不思議はないとタカをくくっていた。
ところが、現地に駐在している日本人スタッフから聞いて、唖然とした。話が進まない最大の理由は、バングラには生クリームが無いということなのである。
これには、参ったとしか言いようがない。
日本では、昔のケーキはバタークリームでとても堅かった記憶がある。今のバングラも、同じ状態なのである。タヌキオヤジが小学校の頃は給食で脱脂粉乳を飲んでいた。大きな袋に入った脱脂粉乳の粉を巨大なヤカンに入れてお湯で溶いていた。脱脂粉乳は嫌いな人が多かったが、タヌキオヤジは、香ばしくて美味しかった記憶がある。
高脂肪の牛乳が生産できない。草だけを食べさせるバングラの畜産業では、美味しい牛乳は、到底望めない。植物性の生クリームという手もある。
飼料となる高タンパクの4倍体トウモロコシは、モンジュールさんが品種改良で作っている。美味しいケーキを作るには、まず、飼料作りと牛乳生産から始めないといけないようである。


himajintaro at 20:34|PermalinkComments(0)農業 

2015年08月02日

アロアシャ学園から感謝状をもらった。

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今年のゴールデンウィーク5月3日にアロアシャ学園の創立20周年記念式典が行われた。この時、悪友と創立当時の日本の支援団体「アロアシャの会」の事務局長だった山形大学農学部OBの鈴木洋先生が出席した。
この式典で、アロアシャ学園に協力してきた団体、個人に対して感謝状の盾が贈られた。
このブログでも紹介した蔵王キリスト教会に対して盾が贈られ、タヌキオヤジが蔵王キリスト教会に持参した。
このタヌキオヤジも盾を頂戴した。
もらって、箱の中にしまい込んでいたが、今日、書斎のテーブルの上にリキシャの模型とともに飾ってみた。
賞状や盾やトロフィなど、もらう機会は全くないので、飾ることもなかったが、少しの間飾ってみようと思う。
先日、モンジュールさんとも電話して、新しい事業に協力する約束をしたので、めげないように、自分への励ましとして飾っておくことにしたのである。


himajintaro at 21:10|PermalinkComments(0)アロアシャ学園 

2015年08月01日

久しぶりのモンジュールさんへの電話

1年以上、モンジュールさんへ電話をかけることがなかった。
理由は、タヌキオヤジの心が病んでいたからなのである。多くの仲間とともにシュンドルボンに行った時には、すでに病に冒されていて、旅の前半は、心休まる状態ではなく、とても辛かった。船の上で、モンジュールさんたちと旅を楽しんでいるうちに、だんだん楽になってきた。
その後、本格的な治療を始めたのが約1年後。足かけ4年以上、心の闇に支配されて、苦しんできた。治療もさることながら、考え方、生き方を見直すことができるようになってから、本当の意味の完治と呼べる状態まで辿り着くことができた。
モンジュールさんは元気であった。悪友から、タヌキオヤジの病状は聞いていたので、大変心配していた、早く良くなるように祈ってくれていたという。何と、ありがたいことか。
モンジュールさんも奥様のボナニーさんの父上が亡くなってから相続問題で心労し、今まで住んでいた家を出て、アロアシャ学園の農場近くに引っ越した。このことは、悪友から聞いて、知ってはいた。モンジュールさんも苦労が絶えない。
バングラデシュは、今年は雨が多く、南部、東部で洪水になっているという。ラッシャヒの気温は32、33度で、山形の方が暑い。
今年の1月から3月にかけて大騒ぎした最大野党BNP(バングラデシュ・ナショナリスト・パーティ)の勢力が急速に衰え、過激に発生していたゼネスト・ホッタル(ハルタル)も影を潜めているとのこと。2月に渡航する予定であったが、無差別に車両に放火して、治安が極度に悪化したため、渡航を断念した経過がある。
モンジュールさんは、次女のポロマから、フェイスブックを見せられ、自分自らもフェイスブックを始めた。タヌキオヤジや日本の友人知人のフェイスブックに書かれた日本語をポロマがウエーブ翻訳でベンガル語に直し、モンジュールさんに教えていたようである。
タヌキオヤジの写真や記事の内容をポロマが観察していて、タヌキオヤジの心の病が治り始めていることがわかったという。
何と、便利になったことか。モンジュールさんも驚いていた。20年前、高い電話代とFAXでのやりとりに苦労していたことを考えると夢のようである。
ただ、リアルタイムでチャットなどできるようになったものの、やはり、肉声にはかなわない。そして、直接会って話をすることの方が心と心が通い合う。そんなことを改めて感じた。
正月にラッシャヒに来て下さいとモンジュールさんから言われた。行きたい。是非、行きたい。心の中の見失っていたものを取り戻すためにも行きたい。


himajintaro at 06:47|PermalinkComments(0)生活