ルンジュさん
2015年10月11日
ルンジュさんと日本語教育の打ち合わせ
昨日、福島県伊達市に住むルンジュさんと会った。パブナで運営している小中学校・ジャパン・フレンドシップ・アカデミーで日本語教育を進めるための打ち合わせを行った。打ち合わせには、タヌキおやじの友人で、日本語教育の専門家にも同席をしてもらった。
日本語の国語の勉強とは異なると専門家である友人は言う。友人は、中学と高校の国語の教員免許を持っているが、日本に住む外国人に日本語を教えるためには、国語の教育では、教えることができないことがわかり、独自に日本語教育の勉強をし直したという。
ルンジュさんは、17年までに日本語教育が始まらないとジャパン・フレンドシップ・アカデミーの名前を変えてしまうという。そうしないと、保護者に嘘を言ったことになると焦りを感じた。
打ち合わせでは、何とか、日本語教育を始めることで準備を進めることにした。
話は変わるが、以前、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの校長先生だったムニさんが、彼女の姉が住んでいるアメリカに行くというので学校を辞めたと聞いていたが、その後の話があった。
実は彼女は、アメリカに行ったのではなく、金でライバル校に引き抜かれたのである。彼女がいなくなったことで学校の偏差値が落ちることを心配した何人かの保護者が子供を別の学校に転校させてしまったという。
少なからず、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーへの影響はあったようである。ムニさんの後は、ルンジュさんの従兄弟のラーマンさんがジェネラルマネージャーと校長を兼務して、多忙を極めているらしい。
そうして、さらに、その後の話があり、ムニさんは引き抜かれた学校から解雇されたのだという。つまり、ムニさんは広告塔として使われて、用済みになったので捨てられたのである。
ムニさんは、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーへの再就職を望んでいるようであるが、一度失った信用は、二度と回復できないようである。
別れ際に、ルンジュさんから、大好きなチャナツールとマンゴーバーのお土産をもらった。先月、ルンジュさんが帰国したときに、ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの様子を見てきて、昨日の打ち合わせをすることになった。
いずれにしても、今回の日本人殺害事件の真相究明を急いでもらいたい。
himajintaro at 11:25|Permalink│Comments(0)
2014年09月29日
久しぶりにルンジュさんと話をした。
木曜の夜、ルンジュさん宅に電話をした。ルンジュさんは寝る間も惜しんで働いているだろうから、きっと、奥様が電話に出るだろうと思ったら、ルンジュさんが電話に出た。
こちらの用件は、ラーマンさんの話では、ルンジュさんもタヌキオヤジと一緒にバングラに行きたいと言っていたというので、ルンジュさんの都合を聞くためであった。
ところが、ルンジュさんは、ラーマンさんにタヌキオヤジと一緒に行くとは言っていないと言う。おい、ちょっと待てよ。話に食い違いがある。
人間の耳は自分に都合よくできている。自分の希望や思い込んだ通りに聞こえるものである。だから、言った言わないでモメることが多い。ボイスレコーダーで隠し録りされて、後でバレル、なーんて事が巷ではよく見受けられる時代になった。何事も、両方の話を聞かないとわからないものである。
ルンジュさんは、案の定、忙しく、とてもバングラに帰国できる状態ではない。
となると、ラーマンさんからはバングラに来てくれとは言われているが、行くのか行かないのか、行くとすれば、何時行くのかも全くの未定ということで白紙の状態にして、ラーマンさんに伝えておくのが無難なのか、日本的に玉虫色でぼかしておいていた方が良いのか、ちょいと苦しい。
いずれにしても、期日は未定ながらルンジュさんと会う約束をしたので、その時に、具体的な話になるだろう。
少なくとも、年末年始に渡航することは無くなった。ジャパン・フレンドシップ・アカデミーについて、2月末に渡航したときの宿題が残っているので、それの解決のメドが立ってからの話である。
こちらの用件は、ラーマンさんの話では、ルンジュさんもタヌキオヤジと一緒にバングラに行きたいと言っていたというので、ルンジュさんの都合を聞くためであった。
ところが、ルンジュさんは、ラーマンさんにタヌキオヤジと一緒に行くとは言っていないと言う。おい、ちょっと待てよ。話に食い違いがある。
人間の耳は自分に都合よくできている。自分の希望や思い込んだ通りに聞こえるものである。だから、言った言わないでモメることが多い。ボイスレコーダーで隠し録りされて、後でバレル、なーんて事が巷ではよく見受けられる時代になった。何事も、両方の話を聞かないとわからないものである。
ルンジュさんは、案の定、忙しく、とてもバングラに帰国できる状態ではない。
となると、ラーマンさんからはバングラに来てくれとは言われているが、行くのか行かないのか、行くとすれば、何時行くのかも全くの未定ということで白紙の状態にして、ラーマンさんに伝えておくのが無難なのか、日本的に玉虫色でぼかしておいていた方が良いのか、ちょいと苦しい。
いずれにしても、期日は未定ながらルンジュさんと会う約束をしたので、その時に、具体的な話になるだろう。
少なくとも、年末年始に渡航することは無くなった。ジャパン・フレンドシップ・アカデミーについて、2月末に渡航したときの宿題が残っているので、それの解決のメドが立ってからの話である。
himajintaro at 09:37|Permalink│Comments(0)
2014年01月28日
ルンジュさんとの雑談
一昨日は、久しぶりにルンジュさんと多くのことを話した。もちろん、企業秘密もあり、ブログでは口外できないものもある。
その中でも、特筆すべき点は、
1.ルンジュさんたちが経営しているパブナの小学校ジャパン・フレンドシップ・アカデミーに、いち早く、すぐにでも日本の教育、日本の文化の良い点を取り入れて、バングラの次世代を担う子供たちを育てたい。
2.そのためには、日本語教師も欲しいし、現地の先生たちの教育も必要である。
3.ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの先生や子供たちを日本に呼び、日本の小学校との交流を実現させたい。
ラッシャヒでモンジュールさんがアロアシャ学園を立ち上げたのは、バングラデシュの建国のためには、貧しい子供たちの教育が必要だという視点があったからである。
ルンジュさんたちが豊かな家庭の子供たちを相手に小学校を立ち上げたのも、今のバングラデシュを変えたい、良い国にしたいという視点では、モンジュールさんと同じ目標であり、ただ、対象の子供たちが違うだけである。
ルンジュさんは、アロアシャ学園の弱点をすでに見抜いている。
アロアシャ学園を卒業しても就職の場がないこと。モンジュールさんの亡き後もアロアシャ学園の運営が続くという保証がないこと。日本人の我々が、いつまでも手弁当でバングラに行くようでは、この先、支援が続かなくなること。
バングラデシュでは、事業を成功させて起業しても、孫の代で食いつぶして無くなるのが普通で、何十年、何百年も続いている企業は10社も無いという。
ちょっと昔、山形県で全国福祉祭が行われたとき、ボランティアはすべて手弁当でするものだと言い張った山形県人がたくさんいて、全国から来たボランティアの人々に対して大恥をかいたことがあったが、結局、そう言った人たちは、ボランティアの世界から離れてしまった。
また、以前の日記で紹介したパブナでの農民の集会には、ルンジュさんも危惧していた。
「モンジュールさんはJA(農協)を作ろうとしています。JAを作るとバングラ国民の30%が組合員になり、政治家を使って、国会に圧力をかけることができるようになります。モンジュールさんは頭の良い人だから、JAを作りたがっています。」
モンジュールさんは全国にイチゴの生産組合を作った。ジャガイモの生産組合も作った。
モンジュールさんの役割は、生産者(土地の所有者)組合を作ることではなく、貧しい人たちの生活を農業で、どれだけ豊かにできるかのはずである。だから、アロアシャ学園を作ったのではなかったのか?
このままでは、遠かれ早かれ、タヌキオヤジの心がモンジュールさんから、離れてしまうことになってしまいそうだ。
その中でも、特筆すべき点は、
1.ルンジュさんたちが経営しているパブナの小学校ジャパン・フレンドシップ・アカデミーに、いち早く、すぐにでも日本の教育、日本の文化の良い点を取り入れて、バングラの次世代を担う子供たちを育てたい。
2.そのためには、日本語教師も欲しいし、現地の先生たちの教育も必要である。
3.ジャパン・フレンドシップ・アカデミーの先生や子供たちを日本に呼び、日本の小学校との交流を実現させたい。
ラッシャヒでモンジュールさんがアロアシャ学園を立ち上げたのは、バングラデシュの建国のためには、貧しい子供たちの教育が必要だという視点があったからである。
ルンジュさんたちが豊かな家庭の子供たちを相手に小学校を立ち上げたのも、今のバングラデシュを変えたい、良い国にしたいという視点では、モンジュールさんと同じ目標であり、ただ、対象の子供たちが違うだけである。
ルンジュさんは、アロアシャ学園の弱点をすでに見抜いている。
アロアシャ学園を卒業しても就職の場がないこと。モンジュールさんの亡き後もアロアシャ学園の運営が続くという保証がないこと。日本人の我々が、いつまでも手弁当でバングラに行くようでは、この先、支援が続かなくなること。
バングラデシュでは、事業を成功させて起業しても、孫の代で食いつぶして無くなるのが普通で、何十年、何百年も続いている企業は10社も無いという。
ちょっと昔、山形県で全国福祉祭が行われたとき、ボランティアはすべて手弁当でするものだと言い張った山形県人がたくさんいて、全国から来たボランティアの人々に対して大恥をかいたことがあったが、結局、そう言った人たちは、ボランティアの世界から離れてしまった。
また、以前の日記で紹介したパブナでの農民の集会には、ルンジュさんも危惧していた。
「モンジュールさんはJA(農協)を作ろうとしています。JAを作るとバングラ国民の30%が組合員になり、政治家を使って、国会に圧力をかけることができるようになります。モンジュールさんは頭の良い人だから、JAを作りたがっています。」
モンジュールさんは全国にイチゴの生産組合を作った。ジャガイモの生産組合も作った。
モンジュールさんの役割は、生産者(土地の所有者)組合を作ることではなく、貧しい人たちの生活を農業で、どれだけ豊かにできるかのはずである。だから、アロアシャ学園を作ったのではなかったのか?
このままでは、遠かれ早かれ、タヌキオヤジの心がモンジュールさんから、離れてしまうことになってしまいそうだ。
himajintaro at 22:57|Permalink│Comments(0)
2014年01月27日
急遽、バングラへ
昨日の夕方、ルンジュさんと会った。
ルンジュさんから、パブナのジャパン・フレンドシップ・アカデミーを訪問してもらいたいという依頼を受け、急遽、来月バングラへ行くことになった。
運良く、仙台からバンコク便が出ているのを利用し、ルンジュさんの了解を得て、今夜、タイ航空のロイヤルEブッキングでブッキングした。
昨夜は、ルンジュさんといろいろな話をした。その内容は、また、明日の話題としたい。
今日は、寝るまでの間、バングラデシュ大使館へのビザ取得の準備をする。
ルンジュさんから、パブナのジャパン・フレンドシップ・アカデミーを訪問してもらいたいという依頼を受け、急遽、来月バングラへ行くことになった。
運良く、仙台からバンコク便が出ているのを利用し、ルンジュさんの了解を得て、今夜、タイ航空のロイヤルEブッキングでブッキングした。
昨夜は、ルンジュさんといろいろな話をした。その内容は、また、明日の話題としたい。
今日は、寝るまでの間、バングラデシュ大使館へのビザ取得の準備をする。
himajintaro at 22:30|Permalink│Comments(0)
2013年10月21日
日本語教師を探す その2
バングラデシュでの日本語教師を探している情報を各方面に流しているうち、元バングラ駐在のJICA隊員のJ.Aさんから、ダッカでの日本語学校を経営している日本人の方を紹介してもらい、コンタクトを取ってみた。
すると、早速、ご返事をいただいた。
4年半ほど前よりダッカで日本語を教えております。
3年ほど前に志ジャパニーズカルチュラルセンターという日本語教室といったほうが適切な
小さな日本語学校を運営しております。
ご紹介できる人材について
残念ながら わたしの手持ちの中では先生になれるほどの日本語を話せる生徒はいません。
場所が限られているので、知り合いにも該当するような方はおりません。
ダッカでも良いベンガル人の日本語の先生がほとんどいません。
お金の問題があると思います。
その解決方法として
JICAさんの草の根資金などを利用して資金を得れば可能かも知れません。
こちらで資金を得て日本から日本語の先生を呼ぶのが一番早いと思います。
そして、日本人の先生を雇っても3年以内に自立できるようにプロジェクトを組まれるのはいかがでしょうか。
実際問題
日本から日本人を呼ぶ場合
ビジネスビザを取得したとして 3ヶ月に一度外国に出国する必要があります。その費用をどう負担するのか。
また給与の問題があり、もし常勤の場合はワークパーミットが必要になると思います。
日本人へのワークパーミットの条件として最低 毎月8万tkの給与を支払う必要があります。
また、往復の航空券代 中国東方航空での移動でも一回5万円ほど
滞在の海外傷害保険なども検討する必要があると思います。
こういった条件をボランティアレベルで探すのは本当に骨が折れると思います。
良い先生を捜される場合は、こういった条件を全てクリアにする必要があると思います。
経験を持ちたいという若い人は、一年くらいの短いスパンで帰ってしまいますし、
経験もしっかりした方はなかなか、日本から出たくない方がほとんどです。
難しい状況だと思います。
日本語教師はボランティアでお願いするのは、
継続を考えると難しいかもしれません。
日本語教育は非常に時間の掛かるものだと思います。
学生たちであれば、すくなくとも学生の間 勉強してもらうことになると思いますが、
ただ、SSCやHSCなどの試験がある以上、日本語の勉強はどうしても後回しになると思います。
現状 日本へ留学しているのは、英語での博士号取得などだと思います。
そういったことを踏まえたうえで、日本語をどうやって彼らに教えていくのか
日本語の先生だけに全責任を負わせるのは酷だと思います。
みなさんも一緒に考えられる環境が必要だと思います。
こちらの方に多いのは全部丸投げになるので、良い面と悪い面があり
悪い面が先生には過大なストレスになる場合もあります。
簡単に日本語の先生を呼べば何とかなるという程度でお考えであれば、
時間とお金のロスが大きいのでやらないほうが良いかもしれません。
日本語教育の場合、長期のプランが必要になると思います。
学校で ある程度日本語を勉強して、
それを将来の何に結びつけるのかが重要です。
趣味で勉強する層が増えるにはまだ、全体的に経済的力が弱く、
あと5年程度は少なくとも掛かると思います。
あとはこちらの生活環境になれるだけの適応力があるのかという点も重要です。
過干渉のこの国では 人に囲まれたり、人と接するのが大好きな方でも、ダメになってしまう方がいらっしゃいます。
観光と生活とは全然違うので、住んでみないと分からないことも多々あると思いますが・・・。
文化の違いでストレスを感じない方が必要です。
ボランティアでお願いするのであれば、毎回探さないといけないので、
継続的に日本語を教えるの人を確保するのは難しいかもしれません。
お金を払ってボランティア日本語教師をしたいという日本語教師の卵だといるかもしれません。
非常に厳しいことばかりを申して、お気を悪くされましたら申し訳ございません。
わたしとしては、責任をもってきちんと日本語教育に向ってくださる方に来ていただきたいと思います。
この国の日本語教育状況は非常に悪いです。
底辺を脱出したような状況ですが、まだまだ先は分かりません。
ただ、10年くらいを一つの目安として 本気で日本語を教えようと考えて下さっている方でないと
まったくのゼロから日本語を教え、形として継続していくことは困難だと思います。
そういった考えで取り組んでいけば、きっと10年後には、日本語だけでなく日本に対する考え方も
今とは違った形で、バングラデシュの人たちに受け入れられていくと思います。
非常にありがたいアドバイスをいただいた。アロアシャ学園を運営してきた過去の状況から、自分たちが苦労してきたことが、そっくり、書かれていた。
アロアシャ学園も20年近くかかって、安定した経営ができるようになった。
ルンジュさんは平成15年を目処にJapan Friendship Academyの経営を軌道に乗せたいと考えている。しかし、日本語教育については、じっくり、準備した方が良いようである。
すると、早速、ご返事をいただいた。
4年半ほど前よりダッカで日本語を教えております。
3年ほど前に志ジャパニーズカルチュラルセンターという日本語教室といったほうが適切な
小さな日本語学校を運営しております。
ご紹介できる人材について
残念ながら わたしの手持ちの中では先生になれるほどの日本語を話せる生徒はいません。
場所が限られているので、知り合いにも該当するような方はおりません。
ダッカでも良いベンガル人の日本語の先生がほとんどいません。
お金の問題があると思います。
その解決方法として
JICAさんの草の根資金などを利用して資金を得れば可能かも知れません。
こちらで資金を得て日本から日本語の先生を呼ぶのが一番早いと思います。
そして、日本人の先生を雇っても3年以内に自立できるようにプロジェクトを組まれるのはいかがでしょうか。
実際問題
日本から日本人を呼ぶ場合
ビジネスビザを取得したとして 3ヶ月に一度外国に出国する必要があります。その費用をどう負担するのか。
また給与の問題があり、もし常勤の場合はワークパーミットが必要になると思います。
日本人へのワークパーミットの条件として最低 毎月8万tkの給与を支払う必要があります。
また、往復の航空券代 中国東方航空での移動でも一回5万円ほど
滞在の海外傷害保険なども検討する必要があると思います。
こういった条件をボランティアレベルで探すのは本当に骨が折れると思います。
良い先生を捜される場合は、こういった条件を全てクリアにする必要があると思います。
経験を持ちたいという若い人は、一年くらいの短いスパンで帰ってしまいますし、
経験もしっかりした方はなかなか、日本から出たくない方がほとんどです。
難しい状況だと思います。
日本語教師はボランティアでお願いするのは、
継続を考えると難しいかもしれません。
日本語教育は非常に時間の掛かるものだと思います。
学生たちであれば、すくなくとも学生の間 勉強してもらうことになると思いますが、
ただ、SSCやHSCなどの試験がある以上、日本語の勉強はどうしても後回しになると思います。
現状 日本へ留学しているのは、英語での博士号取得などだと思います。
そういったことを踏まえたうえで、日本語をどうやって彼らに教えていくのか
日本語の先生だけに全責任を負わせるのは酷だと思います。
みなさんも一緒に考えられる環境が必要だと思います。
こちらの方に多いのは全部丸投げになるので、良い面と悪い面があり
悪い面が先生には過大なストレスになる場合もあります。
簡単に日本語の先生を呼べば何とかなるという程度でお考えであれば、
時間とお金のロスが大きいのでやらないほうが良いかもしれません。
日本語教育の場合、長期のプランが必要になると思います。
学校で ある程度日本語を勉強して、
それを将来の何に結びつけるのかが重要です。
趣味で勉強する層が増えるにはまだ、全体的に経済的力が弱く、
あと5年程度は少なくとも掛かると思います。
あとはこちらの生活環境になれるだけの適応力があるのかという点も重要です。
過干渉のこの国では 人に囲まれたり、人と接するのが大好きな方でも、ダメになってしまう方がいらっしゃいます。
観光と生活とは全然違うので、住んでみないと分からないことも多々あると思いますが・・・。
文化の違いでストレスを感じない方が必要です。
ボランティアでお願いするのであれば、毎回探さないといけないので、
継続的に日本語を教えるの人を確保するのは難しいかもしれません。
お金を払ってボランティア日本語教師をしたいという日本語教師の卵だといるかもしれません。
非常に厳しいことばかりを申して、お気を悪くされましたら申し訳ございません。
わたしとしては、責任をもってきちんと日本語教育に向ってくださる方に来ていただきたいと思います。
この国の日本語教育状況は非常に悪いです。
底辺を脱出したような状況ですが、まだまだ先は分かりません。
ただ、10年くらいを一つの目安として 本気で日本語を教えようと考えて下さっている方でないと
まったくのゼロから日本語を教え、形として継続していくことは困難だと思います。
そういった考えで取り組んでいけば、きっと10年後には、日本語だけでなく日本に対する考え方も
今とは違った形で、バングラデシュの人たちに受け入れられていくと思います。
非常にありがたいアドバイスをいただいた。アロアシャ学園を運営してきた過去の状況から、自分たちが苦労してきたことが、そっくり、書かれていた。
アロアシャ学園も20年近くかかって、安定した経営ができるようになった。
ルンジュさんは平成15年を目処にJapan Friendship Academyの経営を軌道に乗せたいと考えている。しかし、日本語教育については、じっくり、準備した方が良いようである。
himajintaro at 12:11|Permalink│Comments(0)