モンジュールさん
2021年01月29日
ダッカモスリン再生でマスコミ露出中!
ダッカモスリンがラッシャヒ大学教授であるモンジュールさんの研究により再生できたことで、連日、バングラデシュのマスコミがモンジュールさんを取材し、テレビや新聞で大々的に放映されています。
バングラデシュ初のイチゴ栽培の時もマスコミに引っ張りだこでした。その後、地下水に含まれているヒ素の除去や様々な研究で、度々、マスコミに取り上げられました。
今回は、その技術が失われた世界最高品質の綿織物であるダッカモスリンが再生されたということで、モンジュールさんの露出ぶりは今まで以上のものとなっています。
再生されたダッカモスリンの技術がバングラデシュのアパレル産業への貢献、ひいてはバングラデシュ国家の発展に寄与することを期待するばかりです。
以下、放映されたテレビのリンクを張っておきます。
RtvNews DhakaiMoslin BengaliCulture
Ekattor TV Muslin came back
himajintaro at 06:56|Permalink│Comments(0)
2019年10月22日
とても座り心地の良い椅子
モンジュールさん宅にある、とても座り心地の良い椅子が気になっています。
写真では撮ってきましたが、正確に寸法を取ってきませんでした。
背もたれによりかかった時の安定感は抜群です。日本ではなかなかお目にかかれません。欲しいです。
写真では撮ってきましたが、正確に寸法を取ってきませんでした。
背もたれによりかかった時の安定感は抜群です。日本ではなかなかお目にかかれません。欲しいです。
himajintaro at 10:00|Permalink│Comments(0)
2019年09月18日
バイテク研究所も様変わり
しばらくぶりの渡航で、現地の様子もだいぶ変わっていました。
アロアシャ学園の屋台骨を支えている種苗販売の根幹となるのがバイテク研究所です。
校舎の隣にある研究棟の3階にあるのが、農産物の品種改良と苗を増やすバイオテクノロジー研究所です。
モンジュールさんの大学の専門的知識を生かして、バングラデシュにはない国産ジャガイモの種イモの品種改良をバイテク研究で始め、育てた苗を農場に植えて生産したのです。
当時は、ほとんどがネーデルランド(オランダ)からの輸入種イモで、直ぐに農家に売らずに、種イモとして何年も増やして農家に売ったために、病気だらけのジャガイモがバングラで流通していました。
これに目を付けたのがモンジュールさんです。無菌でバングラオリジナルの種イモを生産し、利益でアロアシャ学園を回してきました。
しかし、いつまでもモンジュールさんの独占が続くわけもなく、この技術は一般的なものとなり、天候に左右されたり、夏場の冷蔵保存にコストがかかり過ぎたりで、ついにはジャガイモの生産は止めてしまったようです。
スタッフもほとんどが入れ代わっていました。モンジュールさんの教え子が中心となって平均年齢も若かったはずですが、今では平均年齢がぐっと上がったような気がします。
上の写真の左から2番目の女性が一番若い研究員で、アロアシャ学園の卒業生です。
学園の教師も含め、農場や他のスタッフが変わるというのは、他の事業所からの引き抜きでない限り、その職員の素行が原因とすることが多いのです。
モンジュールさんは人が良いので、人を見抜けないと言われてきましたが、品行が悪い職員はトラブルを起こして出ていき、結果、顔ぶれが変わってしまいます。
モンジュールさんは、私に電話をかけてくることは、ほとんどないので、バイテク研究所で何があったのか、知りません。しかし、大きく顔ぶれがかわったということは、それだけ、たくさんのトラブルがあったということになります。
上の写真の一番右の女性ラブリーさん。交通事故で大けがをし、手術で治療費がかさみました。モンジュールさんも労災扱いとして、自分のポケットマネーから治療費を出しています。
また、モンジュールさんの日本留学時代の旧友で山形大学農学部の元助教授がラブリーさんへ支援したいと悪友に現金を渡していました。
蛍光灯はLEDに変わっていました。以前は、バングラ名物の停電で研究所の中の苗が全部お釈迦になるというのがザラでした。今は太陽光発電パネルとバッテリー、それに大型のディーゼル発電機があるので、そんな心配はなくなりました。
アロアシャ学園の屋台骨を支えている種苗販売の根幹となるのがバイテク研究所です。
校舎の隣にある研究棟の3階にあるのが、農産物の品種改良と苗を増やすバイオテクノロジー研究所です。
モンジュールさんの大学の専門的知識を生かして、バングラデシュにはない国産ジャガイモの種イモの品種改良をバイテク研究で始め、育てた苗を農場に植えて生産したのです。
当時は、ほとんどがネーデルランド(オランダ)からの輸入種イモで、直ぐに農家に売らずに、種イモとして何年も増やして農家に売ったために、病気だらけのジャガイモがバングラで流通していました。
これに目を付けたのがモンジュールさんです。無菌でバングラオリジナルの種イモを生産し、利益でアロアシャ学園を回してきました。
しかし、いつまでもモンジュールさんの独占が続くわけもなく、この技術は一般的なものとなり、天候に左右されたり、夏場の冷蔵保存にコストがかかり過ぎたりで、ついにはジャガイモの生産は止めてしまったようです。
スタッフもほとんどが入れ代わっていました。モンジュールさんの教え子が中心となって平均年齢も若かったはずですが、今では平均年齢がぐっと上がったような気がします。
上の写真の左から2番目の女性が一番若い研究員で、アロアシャ学園の卒業生です。
学園の教師も含め、農場や他のスタッフが変わるというのは、他の事業所からの引き抜きでない限り、その職員の素行が原因とすることが多いのです。
モンジュールさんは人が良いので、人を見抜けないと言われてきましたが、品行が悪い職員はトラブルを起こして出ていき、結果、顔ぶれが変わってしまいます。
モンジュールさんは、私に電話をかけてくることは、ほとんどないので、バイテク研究所で何があったのか、知りません。しかし、大きく顔ぶれがかわったということは、それだけ、たくさんのトラブルがあったということになります。
上の写真の一番右の女性ラブリーさん。交通事故で大けがをし、手術で治療費がかさみました。モンジュールさんも労災扱いとして、自分のポケットマネーから治療費を出しています。
また、モンジュールさんの日本留学時代の旧友で山形大学農学部の元助教授がラブリーさんへ支援したいと悪友に現金を渡していました。
蛍光灯はLEDに変わっていました。以前は、バングラ名物の停電で研究所の中の苗が全部お釈迦になるというのがザラでした。今は太陽光発電パネルとバッテリー、それに大型のディーゼル発電機があるので、そんな心配はなくなりました。
相変わらず、いろんなものを作っています。イチゴは、まだまだ寡占状態でドル箱商品です。
学者であるモンジュールさんにビジネスをやらせるのは所詮無理な話でした。
今まで、バイテク研究所と農場が大きくなれなかったのは、単なる研究員だけの集合体で、品行方正なマネージャーや営業マンがいなかったのが最大の原因です。
以前から比べると、バイテク研究所に活気がなかったと見てきました。
学者であるモンジュールさんにビジネスをやらせるのは所詮無理な話でした。
今まで、バイテク研究所と農場が大きくなれなかったのは、単なる研究員だけの集合体で、品行方正なマネージャーや営業マンがいなかったのが最大の原因です。
以前から比べると、バイテク研究所に活気がなかったと見てきました。
himajintaro at 07:50|Permalink│Comments(0)
2019年09月16日
スウェーデンからのお土産
モンジュールさんの二女ミデュラが不本意ながらも、留学先のスウェーデンから帰国せざるを得なくなりました。
彼女の話によると、スウェーデンは昼が短いために十分に光に当たることができず、また、とても寒い国だったので、心も体も疲れたと言っていました。
内々には、人種に対するヘイトな言動が彼女を疲弊させた聞いていました。
彼女がお土産に買ってきたワインとチョコレートを私たちがバングラデシュに行くまで取っておいてくれたようです。
スウェーデンでは紙パックのワインが多く売られているそうです。彼女が買ってきたのは赤ワインでした。
それにチョコレート。
私たちが渡航するまで取っておいてくれたミデュラの気持ちに感謝です。
ミデュラは、この春、岡山大学に留学しました。時々、フェイスブックに投稿していますが、まだ、日本の文化を楽しんでいるという雰囲気は感じられません。どちらかというと、バングラの話題が中心です。
もしかしたら、すでに、日本のワインやチョコレートを楽しんでいるかもしれません。
彼女の話によると、スウェーデンは昼が短いために十分に光に当たることができず、また、とても寒い国だったので、心も体も疲れたと言っていました。
内々には、人種に対するヘイトな言動が彼女を疲弊させた聞いていました。
彼女がお土産に買ってきたワインとチョコレートを私たちがバングラデシュに行くまで取っておいてくれたようです。
スウェーデンでは紙パックのワインが多く売られているそうです。彼女が買ってきたのは赤ワインでした。
それにチョコレート。
私たちが渡航するまで取っておいてくれたミデュラの気持ちに感謝です。
ミデュラは、この春、岡山大学に留学しました。時々、フェイスブックに投稿していますが、まだ、日本の文化を楽しんでいるという雰囲気は感じられません。どちらかというと、バングラの話題が中心です。
もしかしたら、すでに、日本のワインやチョコレートを楽しんでいるかもしれません。
himajintaro at 08:35|Permalink│Comments(0)
2019年07月07日
バングラで玉子酒を作りました。
モンジュールさんが風邪をひいて、なかなか治らないというので、玉子酒を作りました。
玉子酒というと熱燗に生卵を入れてかき混ぜるというのが主流なのでしょうが、私の場合、以前、人から教えてもらって、ニンニクとショウガを混ぜます。風で熱を出し、鼻が全く利かなかった時に飲んだら、翌日、すっかり良くなりました。
臭いは強烈になりますが、効果が高いので、作ることがあります。でも、最近はほとんど風邪をひかなくなったので、作ったことはありません。
モンジュールさんは玉子酒を飲んだ翌日は、多少改善はしましたが、あまり良くはなりませんでした。日本から持っていた風邪薬があったので、服用してもらいましたが、それからしばらくは風邪が抜けきれませんでした。
急に熱が出たような初期の風邪にはニンニク、ショウガ入りの玉子酒は効くのかもしれませんが、慢性化したような場合は、十分な栄養と保温と安眠しかないのでしょう。
玉子酒というと熱燗に生卵を入れてかき混ぜるというのが主流なのでしょうが、私の場合、以前、人から教えてもらって、ニンニクとショウガを混ぜます。風で熱を出し、鼻が全く利かなかった時に飲んだら、翌日、すっかり良くなりました。
臭いは強烈になりますが、効果が高いので、作ることがあります。でも、最近はほとんど風邪をひかなくなったので、作ったことはありません。
モンジュールさんは玉子酒を飲んだ翌日は、多少改善はしましたが、あまり良くはなりませんでした。日本から持っていた風邪薬があったので、服用してもらいましたが、それからしばらくは風邪が抜けきれませんでした。
急に熱が出たような初期の風邪にはニンニク、ショウガ入りの玉子酒は効くのかもしれませんが、慢性化したような場合は、十分な栄養と保温と安眠しかないのでしょう。
himajintaro at 08:14|Permalink│Comments(1)